フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

12月28日(月) 晴れたり曇ったり

2009-12-29 02:36:37 | Weblog

  9時、起床。朝食はとらず、9時半に予約してある近所の歯科へ。冷たい水にしみる歯があり、診てもらう。見た目には虫歯はなく、知覚過敏というやつかもしれないが、昔治療して詰め物をした歯の内部が虫歯になっている可能性もある。その場合は詰め物を除去してみないとわからないので、それは正月明けにして、とりあえず知覚過敏を想定した処置(歯に何か塗った)をしてもらう。帰宅して、30分ほどしてから(医者にそういわれたので)、朝食。昨日の夕食の残りの肉じゃがをご飯にかけて肉じゃが丼。


汁ダクで

  朝食をとりながら『坂の上の雲』第4話(録画)を観る。正岡子規が新聞「日本」の社主の陸羯南と俳句論を交わす場面があったが、そこで、子規は蕪村の「春の水山なき国を流れけり」をダメだという。「山なき国」って何だ、全然情景が浮かんでこないという。ドラマでは言及されないが、これは内藤鳴雪との論争が背景にあって、2人とも蕪村を高く評価しているのだが、この句に関しては、鳴雪が蕪村の代表作といって非常に高く評価しているのに対して、子規は評価しない。理由は絵画的(=写生的)ではないから。松山出身の子規にとって「山なき国」を流れる川なんてものを想像することは困難であったのだろう。つまりシュールな句だったわけだ。一方、鳴雪は松山藩の武士の子だったが、生まれ育ったのは江戸の武家屋敷で、関東平野というものを知っている。私も東京生まれだから、鳴雪に加担する。これ、いい句だと思う。

春の水山なき国を流れけり  蕪村

  「山なき国」という言葉が実に効果的で、まず、山のある風景の中を流れる春の川が浮かんできて、瞬時に、その山が消えるのである。「山なき国」といっても「山」という文字が目に飛び込んできた瞬間、われわれはそこに「山」を見るのである。それが「山なき」と否定されることで、山の姿がスーッと消えていくのである。後には平野の中をゆったりと流れる春の川の映像が残るという仕掛けだ。蕪村にはこんな句もある。

橋なくて日暮れんとする春の水  蕪村

  理屈は同じ。まず「橋」という言葉にわれわれは反応し、その直後に、その存在が否定されるのである。何かの不在を表明することで、その何かがかえって意識されるのである。不在の逆説とでも呼ぶべきレトリックである。ちなみに子規にはこんな句がある。

下総の国の低さよ春の水  子規

  蕪村や鳴雪であれば、「下総は山なき国よ春の水」とでも詠んだであろう。その方が句としての格は上だろう。でも、子規はあくまでも写生にこだわる。山がないんじゃない、山が低いのだ、と。頑固である。子規は無形語(存在しないものを示す言葉)を使わなかった。写生と心中するつもりだったのだろう。子規が亡くなったのは明治35年(1902年)、アンドレ・ブルトンが「シュルレアリズム宣言」を発表する20年ほど前のことである。  

  小雀が窓の外をじっと見ていたので、外の空気に触れさせてやろうと思い、手の平の中に入れて玄関を出たら、途端にあせったように手の平から出て頭上に飛び立って、お向かいの家の木の上の方に止った。突然の別れかと慌てたが、小雀もどうしていいかわからなかったようで、「チュン!」と呼ぶと、下の枝の方へ降りてきたので、保護する。おい、びっくりさせるなよ。
  門松を門柱に立ててから、紀要に載せる原稿の再校ゲラをバッグに入れて、散歩に出る。「中華つけ麺大王」で遅い昼食(肉入りつけ麺)をとってから、「シャノアール」でゲラに目を通す。修正は一箇所だけだった。


冬の雲山なき町をとおりけり  雀荘主人

  夜、『坂の上の雲』第5話(録画)を観る。続きは来年の12月。なんともスケールの大きなTVドラマである。