朝から冷たい雨が降っている。季節が冬へ向って一気に加速している感じだ。卵焼き、豚汁、ご飯の朝食。
10時半に家を出て、母と妻と3人で、鶯谷の菩提寺にお十夜の法要に出かける。ただし、私は墓参りをすませて、そのまま大学へ向う。午後から大隈会館で開かれる「間宏先生とお別れする会」に出席するためである。菩提寺に近くの入谷の駅(日比谷線)から地下鉄に乗り、茅場町で東西線に乗り換えてると、30分足らずで早稲田に着く。
第一文学部の社会学専修で同僚であった間宏先生が79歳で亡くなったのは8月5日のことだった。葬儀はご親族だけですませられたので、今回、先輩・同僚・教え子らが集まるお別れの会がもたれることになったのである。出席者は60名ほどで、面識のある方とない方が半々くらいであった。
間先生が東京教育大学(現在の筑波大学)をお辞めになって、早稲田大学に移って来られたのは、1976年4月のことであった。当時、私は学部の3年生で、間先生の早稲田での最初の授業を受講した。教室に入って来られた先生は、平安時代の貴族、京都のお公家さんに似た風貌の方であった。そういう印象は私一人のものではなくて、他の学生たちもそう感じたようで、以後、間先生は学生の間で「麿(まろ)」と呼ばれることになる。そんな繊細でひ弱な外見の先生であったが、年齢は40代後半、これから新しい職場でやっていくのだという気概がひしひしと伝わってくる話しぶりであったのが記憶に残っている。
出席者の中に竹内洋先生(京都大学名誉教授、関西大学教授)がいらして、初対面であったが、「清水幾太郎の研究をされている大久保先生でいらっしゃいますね」と声をかけていただく。竹内先生がいま清水幾太郎の評伝を執筆中(あるいは準備中)であることは存じ上げている。清水の評伝は単行本では2冊しかなく、1冊は天野恵一『危機のイデオローグ 清水幾太郎批判』(批評社、1979年)、もう1冊は小熊英二『清水幾太郎 ある戦後知識人の軌跡』(お茶の水書房、2003年)で、おそらく竹内先生の出される本が3冊目になる。私の出す(かもしれない)本は4冊目か5冊目になるであろう。いまの日本に清水幾太郎についての本を書こうとしている人間はわれわれ2人を入れても5人はいないと思うが、ここで竹内先生とお会いできたのは間先生のお導きのような気がする。「先生のご本の出版を心待ちにしております」と私が言うと、「どうぞ先生から先に出してください」と竹内先生がおっしゃる。竹内先生は私の発表した清水幾太郎関連の論文はすべてご覧になっているそうだ。「いや、先生から」「いやいや、先生から」と、それを何度かくり返す。もし、「では、私から出させていただきます」と私が言ったら、ダチョウ倶楽部のネタのようになってしまうだろうなということをこのとき私は考えていた。やはりまず竹内先生、しかるのちに私というのが正しい順序、歴史的必然というものである。
帰りに丸善丸の内店に寄り、以下の本を購入。
F・R・ディキンソン『大正天皇』(ミネルヴァ書房)
嘉戸一将『北一輝 国家と進化』(講談社)
寺出道雄『知の前衛たち 近代日本におけるマルクス主義の衝撃』(ミネルヴァ書房)
夕食は外ですまし、喫茶店で1時間ほど本を読んでから帰宅。