フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

10月17日(土) 曇り

2009-10-18 09:58:54 | Weblog
  6時、起床。このところ秋晴れの天気が続いていたが、今日は朝から曇天だ。昨夜の残りのロールキャベツ、トースト、冷麦茶の朝食。フィールドノートを更新してから、二度寝をする。土曜日は一週間の疲れが出る。先日、事務所に提出した来年度の時間割案は、直前まで土曜に講義と演習を入れるつもりでいて、諸般の事情から平日に戻したのだが、それでよかったのだと思う。
  昼食はテイクアウトの握り鮨。曇天で薄ら寒くもあるので、散歩には出なかった。代わりに次回の「ライフストーリーの社会学」で使用する予定の映像資料のチェックをする。全15回の授業のうち、昨年やった内容を微修正すればいい回は前日に準備をすればよいが、新しいものをやるためには、週末にだいたいの構成を決め、資料も準備し、前日に仕上げるという二段階方式で準備をする、次回がそれにあたる。
  夕食は焼餃子と水餃子。どちらも美味しいが、これからはますます水餃子の美味しい季節になっていく。

  中学の3年生のとき(1969年)、クラスの友人2人とフォークソングのバンドを作って遊んでいた。とくに音楽的才能があったわけではない。普通の少年たちがフォークギターを手にして、自分で詞を書き、自分で曲を作り、自分で歌う、そういう時代だった。アマチュアリズム全盛の時代だったのだ。そういう時代を代表するバンドがザ・フォーク・クルセダーズだった。「青年は荒野をめざす」は気恥ずかしくてめったに歌わなかったが、「悲しくてやりきれない」は何度歌ったかわからない。本当はそんなに悲しい気分ではなかったが、悲しくてやりきれない、と言ってみたいような気がしていたのだ。要するに青年期の入り口にわれわれは立っていたということだろう。ザ・フォーク・クルセダーズの3人の中では、私は北山修が好きだった。ユーモアがあってインテレレクチャルな雰囲気に惹かれたのだと思う。彼はその後、音楽業界からは足を洗って、精神科医になり、いまは九州大学の教授をしている。二人の友人は加藤和彦のファンで、たしかに音楽的才能は彼が群を抜いていた。寡黙で(おしゃべりは北山修とはしだのりひこに任せて)、いつも微笑をたたえていた。夕方のテレビのニュースでその加藤和彦の死を知った。悲しいのかどうかは定かでないが、間違いなく、やりきれない気分だ。