午前8時、起床。焼ソーセージ、トースト、紅茶の朝食。紅茶はホットで。朝食の飲み物が冷たいものから暖かいものへ替わる季節である。
午後、五反田のゆうぽうとホールへ牧阿佐美バレエ団公演「白鳥の湖」を観に行く。オデット/オディールは伊藤友季子、ジークフリード王子は逸見智彦。牧阿佐美バレエ団におけるベストの組み合わせである。伊藤については言わずもがな。逸見はベテランのダンサーだが、その気品は天性のもので、若手の追随を許さない。「王子」役はこの人にとどめをさす。
今日は土曜日で、一週間の疲れが溜まっていて、第一幕と第二幕を観ているとき、何度かウトウトとしてしまった。弱ったなと思っていたら、第二幕と第三幕の間の休憩時間のときにパンフレットで右手の小指を切ってしまい、その鋭い痛みで目が覚め、第三幕と第四幕は集中して観ることができた。怪我の功名というべきか。
同じバレエ団の公演を何度も観ていると、主役級以外のダンサーたちの顔も覚えてくる。「白鳥の湖」は第一幕で王子の友人や村びとたちが踊り、第三幕では各国の踊子たちが踊る。これが楽しい。第二幕と第四幕の白鳥たちの沈鬱で張り詰めた踊りとは好対照で、もしずっと白鳥たちの踊りだったら息が詰まってしまうに違いない。
今日の伊藤友季子は第三幕の何でもないところで回転の軸がぶれてハッとする場面があった。初めて彼女を観たのは(それは私が初めてバレエの公演を観たときでもある)、3年前の「眠れる森の美女」だったが、そのとき彼女は第二幕の何でもないようなところで派手に尻もちをついた。バレエ公演初体験の私は、それがよくあることなのか(オリンピックの体操選手が着地で失敗するみたいに)、めったにないことなのか、わからなかった。その後、場数を踏んで、後者であることがわかった。彼女の踊りは静謐にして流麗、彼女が舞台に現われると、他のダンサーの見応えのある踊りが、すっかりかすんでしまい、すべてが彼女のための前座であったように感じさせてしまうのだが、しかし、その一方で、ときおり、「頑張れ、友季子」と祈るような気持ちに私をさせる。実際は、今日がそうであったように、小さなミスの後に、一番の難所であるオディールのあの連続回転をなんなくこなしてしまうので、心配は杞憂に終るのであるが、もしかしたらこれは彼女から目を離せなくするための演出なのではないかとさえ思えてしまうのである。安定感、彼女に注文をつけるとすればそれであるが、ただ、「安定感のある伊藤友季子」を私が本当に望んでいるのかと自問すれば、必ずしもそうではないような気もするのだ。