フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

8月14日(木) 晴れ

2008-08-15 02:26:10 | Weblog
  9時、起床。朝食はハムトーストとオレンジジュース。午前中のルーティンワークの後、青い空と白い雲のコントラストが美しかったので、散歩に出る。呑川沿いの道を歩き、JRのガード下をくぐって東口に出る。路地裏で映画かTVドラマの撮影をやっていた。炎天下、大変だなあ。

         

         

         

         

  京急蒲田駅から電車に乗って横須賀美術館へ行く。馬堀海岸で下車し、観音崎行きのバスに乗り、観音崎京急ホテル前で降りる。ホテルのレストランで昼食(ビーフカレー、サラダ、珈琲)をとってから、美術館へ。ライオネル・ファイニンガーという初めて聞く名前の画家の回顧展をやっていた。パンフレットからの引用。

  「ドイツ系移民の子としてニューヨークに生まれたライオネル・ファイニンガー(1871-1956)は、音楽を学ぶためにドイツに渡りますが、すぐに画家を志し美術を学び始めます。雑誌の挿絵や諷刺画を描いた後、油彩を描き正統派画家としての評価を得ると、1919年に造形学校「バウハウス」の設立に参加し1932年まで教授をつとめました。しかし、ナチスが政権を取ると「退廃芸術家」と見なされ、1937年ドイツを離れニューヨークに戻りました。
  1910年頃のファイニンガーは、鮮やかな色彩を用い表現主義を思わせる作品を描いていましたが、キュビズムの影響を受けた後1920年代には幾何学的に分割した面に色を段階的に重ねることで光を透過するガラスのような硬質さと透明性をもつ作風へと移行しました。都会の塔や海辺に停泊する船、海浜の廃墟などドイツ・ロマン主義の画家達が好んだモティーフを近代的な造形理論に基づき描いた作品は、伝統的な絵画と前衛美術をつなぐものとして独自の地位を占めています。」

         

  初めて油彩の絵を描いたのが35歳(1907年)というのはずいぶんと晩学である。でも、その初期の都市の人々を描いた作品は漫画や諷刺画のタッチが特徴的でとても惹かれるものがあった。キュビズムの影響を受けた後の作品は、絵画としては本格的なものに違いないが、私はそんなに感心しなかった。漫画家よりも油絵画家の方がステイタスが高いという階層構造の中での立身出世という感じがした。でも、ニューヨークへ帰ってからの都市を描いた作品はとてもよかった。
  美術館を出たのは4時半ごろ。美術館の前の海岸には砂浜がほとんどない。海水浴には不向きに思えるが、それでも子どもたちは元気に泳いでいた。

         

         

         

  蒲田には6時半ごろ着いた。家の者には「ちょっと散歩に行って来る」としか言ってなかったので、いつものように蒲田駅周辺の喫茶店で本でも読んでいたのだろうと思われているようである。