フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

8月31日(日) 晴れ、夜になって雨降る

2008-08-31 23:03:47 | Weblog
  デジタルカメラが故障した。スイッチを入れても液晶画面が表示さらず、ズームレンズが本体に収納されない。まだ保証期間(1年)内なので、これを購入した駅前のキシフォトに修理を依頼する。「テラス・ドルチェ」で遅い昼食(炒飯と珈琲のセット)をとり、持参した『20世紀少年』第5巻を読んだ。それから「シャノアール」でレモンスカッシュを飲みながら、『20世紀少年』第6巻を読んだ。
  夕食の支度をしながら妻が津軽海峡横断リレー(「24時間テレビ」の企画の1つ)が潮の流れがきつくて途中で中止になったという話をした。その話を聞いて、私は妻に言った。「オッチョと角田が海ほたる刑務所から脱獄したとき、泳いで5キロの木更津ではなく10キロの東京を目ざしたのは、木更津側は潮の流れが逆向きだったからだ。」妻はキョトンとした顔をして、「オッチョって?」と言った。私は呆れた。ケンジの親友でタイではショーグンと呼ばれていたあの男のことだ(映画では豊川悦司が演じている)。妻は本当に『20世紀少年』を読んだのだろうか。私がそのことを言うと、妻は「急に言われてもわかんないわよ」と言った。いいや、それは違うぞ。たとえば『ドラゴンボール』全42巻を読んだ人間ならば、「ギニュー特戦隊」と聞けば、すぐにギニュー、リクーム、ジース、ベータ、グルドの5名の顔が思い浮かぶはずである。私はちょうどその場に顔を出した息子に「そうだよな」と聞いてみた。息子は「そうだね」と同意した。そうなのである。コミックを読む、読み込む、というのはそういうことなのである。

           
              左の山が既読 右の山が未読

8月30日(土) 曇りのち雨

2008-08-31 02:12:33 | Weblog
  蒲田宝塚で「20世紀少年」を観た。今日封切りの話題作であるから混んでいるかと思いきや、そこは場末の映画館、15:30からの回で3割ぐらいの入りであった。大人と小学生が多い。若者たちは有楽町・新宿・渋谷あたりの映画館にくりだしているのだろう。

           

  映画「20世紀少年」は浦沢直樹の同名のコミック全22巻(および「21世紀少年」上下巻)が原作で、今回の作品を第一部とする三部作(第二部は2009年冬、第三部は2009年秋の公開予定)である。私は原作のコミックは読んでいない。読んではいなが、学生たちの間で話題になっていることは知っていた。「先生もぜひ読んでみて下さい」と出席カードの裏に書かれていることも一度ならずあった。実は、わが家には原作のコミックが全巻揃っているのである。妻が購入したもので、妻はもちろん娘も息子もすでに全巻を読んでいる。私ひとりがおいてけぼりなのである。妻のコミック好きは尋常ではなく、妻のワークルーム、夫婦の寝室の鏡台周辺、さらには私の書斎の一角まで膨大なコレクションで埋まっている。私も決してコミックが嫌いというわけではないが、身銭を切って購入したのは「ドラゴンボール」全42巻、「北斗の拳」愛蔵版全15巻、「沈黙の艦隊」愛蔵版全16巻の3作品だけで、蔵書全体の中で占める割合はSF・ミステリー小説と同じ程度である。

       

  映画を観終わって、帰宅してから原作の第3巻までを読んだ。映画は原作にかなり忠実に作られている。もちろん原作では第8巻の途中までに相当する話を2時間ちょっとの作品にしたわけだから、あれこれ削られているのは当然だ。その結果、映画の展開はかなりスピーディーなものになっている。だから主人公の遠藤健児という平凡な一人の男が、小学校のときの仲間に呼びかけて、世界を救う闘いに立ち上がるまでのプロセスが短兵急に感じたのだが、原作を読むと、その心境の変化に十分についていけた。
  さて、問題は、コミックをこれから何巻まで読むかである。今回、映画化された第8巻の途中までは間違いなく読むとして、そこで立ち止まることができるだろうか。