<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

眠りのための安らかな瞑想をする。

2019年12月24日 21時59分07秒 | Weblog

夜もふけた。10時である。物音はしない。なんにも。風の音もしない。水の流れる音もない。

 

万物が、一日の活動を遣り終えて、深い眠りについているようだ。穏やかな眠りを眠っている。

 

僕は眠りから覚めてしまった。ダムの放水をするためだ。一晩に何度も目覚める。お布団を出て、寒いところへ行くのは辛い。

 

眠りのための瞑想をする。と、心地よくなる。こころが、さまざまな果実の豊かな収穫の国に向かう。

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この世だけで終わるのではない

2019年12月24日 19時29分57秒 | Weblog
十方世尊 智慧無礙        大無量寿経 上巻 讃仏偈より


じっぽうせそん ちえむげ

十方の世尊の智慧は無礙(むげ)である。


十方におれるの諸仏の智慧は、妨げられるということがない。まっすぐにわたしに向かって、わたしをやわらかく包んで、わたしを生かしている。


仏陀は一人ではないのである。ガンジス川の砂の数ほどもおいでになられるのである。その一々の仏陀が、わたしを護っているのである。わたしを導いているのである。


この導きはこの世だけで終わるのではない。次の世でも、またその次の世でも続いて行くのである。わたしが仏陀に成るまで続いて行くのである。


安心していていいのである。
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わたしたちは全員、そして一人一人、丁寧に護られている

2019年12月24日 19時16分44秒 | Weblog
守護霊さまはいらっしゃいます。霊だなんていうから、びくびく怯えてしまうけど。わたしを守護してくださっている方がいらっしゃいます。でないと、わたしは生きて行けません。守られているんです。必ずしっかり護られているんです。そんなふうに思えて来る。

今日を生きられたのである。生きられない条件が100の100乗倍もあったのだけど、それをそうさせないでいてくれたんです。オセロゲームみたいに、黒をみんな白に裏返しにしてくれてたんです。大変な労力を使ってこれを成し遂げていてくれたんです。

その労力を傾けてくれた存在がいます。それを有り難く思って、擬人化しているのだと思います。

わたしたちはこうして一人残らず守護されています。護られています。いい方へいい方へ導かれています。だからわたしたちもそのお返しをすることになります。その時がやがて訪れて来ます。

これはわたしのぼんやりとした憶測ですけどね。

でも、ともかく今日を護られていたので、今日を生きられたと思っています。
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鼠が減っている、って、ほんとうか?

2019年12月24日 19時08分34秒 | Weblog
鼠が減ったらしい。ほんとうだろうか。疑わしい。

お米の収穫法が一代進歩したためらしい。

刈り取ったら、すぐにコンバインが袋詰めにしてしまう。すると、鼠がかじれない。そういうことになるらしい。

昔は、稲子積みがあった。長くこずんであった。ここで食糧を得て種の繁栄を図っていたらしい。可哀想に、それができなくなった。

来年は子年だ。鼠の年ということになっている。

ふうううん、鼠に取ってみればこれは大問題だ。米に変わる食糧はないのだろうか。

この寒空に彼らはお腹を空かしているのか。

鼠たちの国会では、夜な夜な、打開策を話し合っているだろうなあ。
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100%もうけものなんだ

2019年12月24日 19時00分48秒 | Weblog
今夜もお風呂には入らないでおく。風邪をこじらせては行けないから、我慢をする。不潔だけど。一人で寝るんだから、臭くもあるまい。

早く全治したい。

全治してお正月を迎えたい。

熱はない。熱はないから風呂に入ってもいいかもしれないが、自重する。

湯たんぽを沸かしてもらって、それをお布団の中に置いて、ぽかぽかして寝(やす)む。

「ああ、今日もいい一日だった」それを何度もぶつくさ繰り返す内に入眠するだろう。

死なないでいられたんだ。100%もうけものなんだ。
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万事こんな風だ

2019年12月24日 18時54分42秒 | Weblog
ジャンパーを忘れてた。友人の車の中に。みんなと飲んで、飲まない友人に送ってもらった、その帰りに。後部座席に。

今日電話が掛かってきたので、とりに行って来た。ばかだなあ。

数日前のことなんだけど、その友人も気づかなかったんだろう。今日、車を動かしたときに気がついたのだろう。

ま、迷惑を掛けたわけではなし。自責はやめる。

万事こんな風だ。高齢だからなあ。
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今夜の夕食はおでんだった。

2019年12月24日 18時43分12秒 | Weblog
夕食はおでんだった。

辞典に由れば、「でん」は「田楽」の「でん」らしい。田楽豆腐のこと。煮込み田楽の略。豆腐、里芋、はんぺん、つみれなどを醤油で煮込んだ料理。関東炊き、関東煮がある。

ふううん、そうだったのかあ。

ことのほか大根、里芋がおいしかった。お酒がはずんだ。

若い頃、よく赤提灯の垂れ下がっている店に行って、おでんを食べたなあ。酒を飲んだなあ。

夜中、ふらりと学生下宿を出て行って、おでん屋さんへ行って、そこの経営者のおじさんやおばさんと仲良くなってたなあ。

いまはあるかなあ。そんなおでんを出してくれる気軽な飲み屋さんなんて。もうなさそうだなあ。

時代が移っているよなあ。
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玄関の鍵をなくしてしまった

2019年12月24日 17時43分18秒 | Weblog
家の玄関に鍵をなくした。ポケットに入れておいた分だ。帰宅したら、ないことに気づいた。でも、何処で失ったのかははっきりしない。ぼさっとしている。

忘年会会場でだったかもしれない。先週の火曜日のことだから、もう幾日か経っている。

行ってみた。そしたら、あった。ホテルの方で保管して下さっていた。駐車場のところに落ちていたらしい。

代行運転をお頼みしたときに、車のキーをお渡しした。そのときに、うっかりしたのかもしれない。ポケットからはみ出してしまったのかもしれない。夜間だったから分からなかったのだ。誰かが拾って下さったのだろう。

ともかくお礼を申し上げた。

高齢者はこういうミスが多い。まったく情けない。

でも、見つかってよかった。鍵には5円玉が巻き付けてあった。
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うううん、困った困った。どうなることか。

2019年12月24日 17時29分41秒 | Weblog
わはは、ははは。笑ってみる。

風邪を引いてぐすぐすいっているけど、笑ってみる。笑うのは自由。

笑わないのも自由。

だから、笑いたいときに笑い、笑いたくないときには笑わない。むっつりしている。

むっつりに嫌気が差したら、変化をしてみる。

つまり、わははは、はははをしてみる。

悪くない。

で、畑に出てみた。春菊の畑の草取りをした。雨が降った後なので、土が湿っていて、草が抜きにくい。

でも、ゆっくりすればいい。慌てることはないんだから。

で、抜いた草の一山ができた。

<ああ、働いたぞ>というふうに思って見る。

しばらくして止めにした。風は冷たい。風邪をこじらせたらタイヘンだ。

外の水道の蛇口で、手を洗う。

とそこへ、仔猫が顔を出した。ふっくらとしている。かわいい。何処かで飼われていたのかもしれない。

人懐っこい。我が足と足の合い中に来て動かない。動くとついて来る。

ここで居候を決め込む気だな。どうもそうらしい。居つかれたら嫌だよ。

我が家には已に親猫がいる。親猫がそろりとやって来た。ご対面だ。双方、嫌がらない。

うううん、困った困った。どうなることか。
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ひさしぶりに大好きな良寛さまの歌を読む 

2019年12月24日 15時31分58秒 | Weblog
法(のり)の道まことは見えできのふの日もけふも空しく暮らしつるかな    良寛


良寛歌集を読んでいる。良寛さまに会っているようで、ほのぼのとする。


<法の道>とは仏道のことだろう。玉島に於いて、若い頃、道元禅師の曹洞宗のご修行をなさった方だ。寺を持たず、妻を娶らず、家族を持たず、生産せず、自己所有を離れ、ひたすら行乞(ぎょうこつ)の生涯を、貫かれた。


自己反省の厳しい方だから、こういう歌が生まれたに違いない。仏陀が指し示された道を歩かれながら、それが<道が見えていない己>を恥じられている。空しく過ごしていることを恥じておられる。求道者は、いつもいつも己に厳しい注文を出しているようだ。
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