蜜柑の花の香りが大好き。痺れてしまう。
で、昼から、ドライブをして、香を嗅ぎに行って来た。
山際の蜜柑園に。
もう少し盛りを過ぎているようだったが、香が流れて来た。
吸った。胸の奥まで吸い込んだ。
甘い甘い香りだった。
蜜柑の花の香りが大好き。痺れてしまう。
で、昼から、ドライブをして、香を嗅ぎに行って来た。
山際の蜜柑園に。
もう少し盛りを過ぎているようだったが、香が流れて来た。
吸った。胸の奥まで吸い込んだ。
甘い甘い香りだった。
もういいかなあ。雨雲は立ち去っていったかなあ。
風はまだあるようだ。ときおり風の音がする。
いやいや、突風だ。あいまあいまに、突風が吹き荒れている。
☆
いま12時20分。窓の外は光で溢れている。光がまぶしい。
さ、お昼にしよう。お昼はパンだ。たくさん焼いてもらったのがある。
なんにも体を動かしていないから空腹も感じていないけれど。
☆
お昼からは作業着に着替えるとしよう。
畑に出よう。
それまでに突風が吹き止んでいればいいのだが。
ガンジス川の川の砂粒(=恒河沙=ごうがしゃ)ほどもたくさんの、仏陀がいらっしゃるのだ。
仏陀は釈尊(お釈迦様)お一人ではない。
なぜか?
生まれて生きている者は、長い長い命の旅の後で、みな仏陀になられたからである。
成仏を果たされたからである。
仏陀になられたら、それぞれがお名をお持ちにる。
仏陀は、後から生まれて来たものたちを守って導いてお救いになられる方である。そのハタラキを働いて下さっている。
地球での生死を終えた者を仏国土にお迎えになる。そこでその人たちに法を説いて仏陀に育てられる。
仏国土は夜空に瞬く星のように光っている。輝いている。そこには仏陀がいらっしゃるのだ。法を説いておられるのだ。
だから、死者は、「お安らかにお眠り下さい」と言われるけれど、眠ってなんかいないのである。しばらくは眠っているかもしれないが、死後の全期間を惰眠を貪ることはしない。
大法を聞いて悟って、実践して、活動するのである。やがて仏陀として活躍するのである。
わたしもやがてそうすることになる。成仏する。仏陀となる。仏陀となって活動を起こすことになる。
☆
不安で不安で恐怖心を抱いて死んでいくのだが、その後は、もう不安も恐怖もないのである。次へ進んでいくのである。次へ次へ進んでいくのである。輝いて輝いて行くのである。
春菊が高く茎を伸ばしている。その茎の一つ一つの頭に、黄色い花を着けている。それが風に揺れている。
1mは優に超えている。
花を着けた後はもう食べられないから、抜き去って捨ててもいいのだが、捨てられずにいる。
花がきれいだから。
昨日は仏壇にもお供えした。
春菊を秋冬にたくさんたくさん食べた。すき焼きや鍋物に投げ込んでおいしく頂いた。
頂いた分はわたしの血や肉になって生きているはずだ。
春菊は菊の名があるとおり、菊の匂いも保っていた。潔癖の匂いがした。
唯願わくば天人尊よ。無上の法輪を転じ、大法の鼓を撃ち、大法の螺を吹き、普く大法の雨を降らして、無量の衆生を度したまえ。
法華経化城喩品第七より
☆
唯(ただ)願わくば、世尊よ、どうぞわたしたちに仏の法をお説き下さい。仏法の太鼓を高らかに撃ち鳴らし、仏法の法螺貝を高らかに吹き鳴らして下さい。すべての衆生に仏法という雨を降らして下さい。そしてみんなに仏の悟りを開かせて下さい。
と、梵天王たちが口々に仏陀にお願いを申し上げた。
☆
「天人尊」:天界の人も人間界の人も等しく尊敬申し上げる方、すなわち仏陀・世尊を指す。
「法輪を転じる」:仏陀は悟りを開かれたが、これを衆生に説くことを躊躇っておられた。衆生が仏法を聞いたとしても理解不能だろう、という躊躇いがあったのである。しかし多くの勧請を受けられて、一大決心をなさって、法を説き始められた。大きな車輪を回すかの如くに。これを「転法輪(てんぽうりん)」という。これがなかったら、覚られた悟りはひとり仏陀のみの悟りになるしかなかったのである。
「大法螺(おおぼら)を吹く」の語源が此処に見いだされる。法螺貝は山伏の修験者が吹いている大きな法の貝殻である。大法を説かれる前触れに、この貝が使われていたのだろうか。
「法螺(ほら)」は、「仏陀の説法をする道具の貝」のことだったが、現在では「大言壮語、もしくは虚言」の義に用いられているフシがある。「法螺吹き」は「嘘つき」の代名詞になっているようだが、語源を辿れば、まったく逆の意味であった。
☆
梵天王たちは「度無量衆生」を仏陀に懇願したのであった。苦海に惑溺している数限りない衆生に仏陀の悟りの法を説き聞かせてお救い下さい、と。
仏陀は転法輪を決意された。この決意があったので大法(仏陀の悟りの内容)がわたしたちにも届けられてきたのである。
「梵天勧請(ぼんてんかんじょう)」がなければ、仏陀の教えはわたしたちの耳には聞こえてこなかったはずである。
やっ、晴れたぞ。日が差して来たぞ。
いきなりの雨、いきなりの雷、そして今度はいきなりの快晴。
いきなりが好きなんだなあ、今日の空は。
☆
新緑の若葉が雨露に光っている。
そこへ雀たちがやって来て遊びだした。
ひゅううっと伸びだ細い枝が、雀の体重で折れそうになる。
☆
僕をなぜ生かしておいてくれるのだろう?
ふっとクエスチョンが湧き出す。山霧のように湧き出す。
アンサーができない。答えられない。
☆
なぜが分からなくともいい。そこもまたいいところだ。
アンサーを出さなければならない、ということがない。
しらんふりしていていい。そこも有り難い。
☆
客人だ。玄関の呼び鈴が鳴る。トッポを来たまま出て行く。
ご婦人だ。家内へのお見舞いの、パンを頂いた。
家内はまだ快復しない。メニエル氏病症状で頭がぐるぐる回っているらしい。
さっき、書いたよね。
命は旅をしている、って。永遠の旅をしている、って。
永遠の宇宙空間を永遠に旅をしている旅人なんだ、僕は、だから。
☆
死んだように見せているけど、それは方便。命の本質は死んでなんかいない。
かりそめの死を死んで、次へ移行する。移行は次に旅するための準備。
これは仏陀だけがすることではない。誰でもしていることなのだ。普遍なのだ。永遠不変なのだ。
宇宙が死なないように、宇宙の命を生きている人間も死なない。
死んで見せて、生まれて、生き返って、復活劇を演じて、新しく新しくなっていくだけだ。
恐れなくてもいい。恐れるだろうけど、恐れなくていい。
腹を据えていていい。どっかりしてていい。
☆
新しく新しく生まれて、成長と進化を辿っていくのだ。
生まれて行くたびに、様々な経験を通しながら、成長を感じていけるのだ。
そして、どんどんどんどん完成に向かっていくのだ。
星のように輝いて光って行くのだ。
やがて星そのものになって行く。そしてそこに多くの命を受け入れて、一人一人の成長を助けて行く。
おおおおっ。今度はいきなり雨だ。それも大粒の。
急転直下だ。庇のスレートがバシバシ音を立てている。
ごろごろろろ、雷さんまで鳴り出した。ふへええ。
これで今日の水遣りは省略できそうだ。
昨日差し込んだ薩摩芋の蔓は、土が潤って、根付きやすくなる。
しめしめ。
☆
庭の大山レンゲが白い蕾を膨らませて来たようだ。
今日は気温が下がっているので、開花が遅れるだろう。
バシバシバシバシ。雨の音が高い。風も出て来て、横殴りに降っている。
☆
イングリッド・バーグマンに逢いたいな。逢えることなんてないけど。
美しいおんなの人が恋しくなった。僕はこんなに老爺なのに、それでも、こころが甘い物甘い夢甘い空想を欲しがってしまう。
そんな人がいるもんか。何処をどう探したって、タンスの引き出しの中からだって、出て来そうもない。
ちょっ、始末に負えない。
待てば海路の日和あり。
ふふ、ふ。日が差し込んで来たぞ。但し、ほんの少しだけ。
もうすぐ畑に出て行けるかもしれないな。
畑に出て行けば、あれこれをしたくなる。
種から蒔いたトマト苗が、成長している。小さなポットから根が食み出して来ている。居心地が悪そうだ、いかにも。
畑に移植して上げるとよろこぶだろうな。
種から蒔いたので苗の数が凄い。20株くらいはある。
だから、全部は無理だ。畑に移植するとしても4~5株だけだな。
ややや、しかし、風が出て来て居るぞ。庭の木々が揺れている。寒そうだ。
もう少し待とう。
畑はこの老人の友達。遊び相手をしてくれる。終始、無言と無言だけど。
老人はいたたまれなくなって、ときどき口笛を吹いてやる。ロマンチックな映画音楽をふういふういふういと。風がすぐに消しにかかる。
星の数ほどの人生がある。
いまは地球に住んでいるから、地球人生を過ごしている。
僕は宇宙人。宇宙を旅している。旅人だから、あっちへこっちへ行って楽しむ。
もうたくさんの星を巡って来た。旅を重ねてきた。何十何百回と。
次はまだ決めていない。オリオン座のその中の星かもしれない。
死は、地球の旅の終わりであって、旅そのものの終わりではない。
地球の旅も楽しい旅だった。でも、此処に止まっていなくてもいい。
楽しい旅は無限なのだ。行く先々で新しい楽しみに出会えるのだ。
別離を悲しむよりも、新しい遭遇を期待する方がいい。すべては新しく新しく展開していくのだ。
星がきらめいている。星々が輝いているのは、みなお誘いだ。こっちへおいでよ、こっちへおいでよ、こっちにもおいでよ、と。
星の数は無限。慌てないでいい。悔やまないでいい。
一つの星の旅が終わることを悲しんでいる暇などない、はず。
命の旅はエターナルなのだ。誰もが永遠を生きているのだ。
それが仏陀の悟りの内容だった、などと僕は考えて、悟りを覚って、にたりとする。
でなくちゃ、あんなに膨大な数の星があるはずがないではないか。
しかもその星々の宇宙はいまだにどんどん拡大拡張して窮まりがない。