<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

そうするちからがわたしに加わった

2018年05月31日 23時45分22秒 | Weblog

さ。寝よう。寝るときが来た。ときというのは向こうから歩いて来る。

すたすたすたすたと歩いて来る。親しげに親しげに歩いて来る。

もうすぐ12時。今日もいちにちを過ごせた。

そうするちからがわたしに加わった。それを思うとわたしはおごそかになる。

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すまないことをした 詫びた

2018年05月31日 23時29分46秒 | Weblog

すまないことをした。やっと実がなり出したので、喜んでいた。それで周りの草取りをして追肥を撒いた。そのとき、そこをすり抜けて行くときに、接触をしたのだろう。根元からポキンと折れてしまっていた。その時はそれと気付かなかった。夕方になって、西瓜畑に麦藁を敷きに行ったときに発見した。ピーマンはもうしなだれていた。手遅れだった。わたしが犯人である。ほかには誰も此処へ来てはいない。すくすくと順調に育っていたのだった。その未来を断ち切ってしまった無慈悲な犯人はわたしだった。すまなかったすまなかったと詫びた。

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いのちというのはけなげだ 凛々しい 逞しい 感動をくれる

2018年05月31日 23時08分43秒 | Weblog

偉いなあ。去年収穫後に捨てておいた里芋の親芋が、草むらで蘇っている。青い茎を伸ばし青い葉を広げている。それを発見した。

南極に置いてけぼりしたタロウジロウの犬に再会した感動を味わった。偉いなあを何度も繰り返した。

農事をしているとこんなこともある。捨てた里芋にも人情が湧いてくる。冬を凌ぎきったのだ。偉いなあと思う。

土の中に埋めていたわけじゃない。放りだしたままだったのだ。いのちというのはけなげだ。凛々しい。逞しい。感動をくれる。

明日、またそこへ行って、土の中に埋めてあげようか。畝を盛り上げて。施肥をして。うんと喜ぶかも知れない。

俺が出世して偉くなるというのも、それも捨てたもんじゃないが、間近に偉い植物に接するのもそれに匹敵する。

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耳に聞こえただろうか

2018年05月31日 22時50分25秒 | Weblog

虫にたかられて弱り切ったカボチャ🎃苗がいる。瀕死の重傷を負っている。苗物屋さんで買って来た。高価だった。

でも辛うじて生き延びている。殺虫剤はたびたび掛けてやった。根元にオルトランも撒いた。水は足りているはず。

畑に来てそこに座って、株周りの草取りをした。病人のようにしている。青白い。細い。

ガンバレガンバレの声掛けをした。耳に聞こえただろうか。聞こえるように口を近づけて語り掛けた。

もう何度もそうしている。苗物を育てるのは人を育てるのと類似している。元気づけがいる。

今度は撫でてやろう。ここを凌ぎ切ったら、褒めてやろう。ぽとりと涙を零してやろう。二人の関係というのは人間界だけの専有物ではない。

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このブログは2006年6月にスタートしています

2018年05月31日 14時30分23秒 | Weblog

このブログ「おでいげにおいでおいで」は2006年6月にスタートしています。ですから、もう12年間書き継いできたことになります。途中なんどか途絶えてもいるようですが、忍耐力の乏しいわたしにしては,続いています。

さっきそのスタートの1日目のブログに戻ってみました。

で、今日は2018年5月31日。今日のブログと読み比べてみました。あんまり成長が見られません。でもそれでいいことにしましょう。ともかく続いたんですからね。

その前には別のブログを書いています。幾つものブログを書き継いでいます。どれにも「おでいげ」がタイトルについています。もう読めないのもあります。

そのうちの詩だけを拾い集めて、合計50篇ばかりの詩集を編んだらいいなあと思って来ましたが、それにはお金が要ります。数十万円ほども掛かります。で、お金が集まらないので、沙汰止みになっています。もうこれほどの高齢者になったので、諦めるしかありません。

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じゃ、うだつが上がらなかったことが正解だったんだ

2018年05月31日 13時47分48秒 | Weblog

(ア)

この男、一生うだつが上がらなかった。出世もしなかった。お金持ちにもなれなかった。権力を振るうほどになれなかった。ずっと下積みだった。賢くもなかった。褒められることもしなかった。博学でも多才でもなかった。

(イ)

この男、うだつが上がっていたら、いまどきどうしているだろう。出世をしてお金持ちになって、権力を振るって、博学で,多才で、賢くて、人に褒められる高い座に跳ね上がっていたら、いまどきどうして過ごしているのだろう。

(ウ)

うん、天気がよければ連日、休憩を挟んで朝から晩まで、ひとり畑に出て、ぼんやり草取りをしていることはないだろうね。草取りをして汗を流して、それで満ち足りて、アドレナリンを分泌して、それがとってもいい気持ちなので、それをひたすら繰り返しているなんてことはなかったろうね。なかったろうね。

(エ)

じゃ、うだつが上がらなかったことが正解だったんだ。

(そこへ落ち着いた。笑っちゃった。負け惜しみなのかもしれないけどね)

(オ)

畑で出ていて、うっとりしていて、時が過ぎるのを忘れて、背中に白い夕月を背負っていることもある。そしてふっと、この高齢者でありながら、この特上の体験ができる己の境遇を神さまに仏さまに感謝していることがある。

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揺すり筍というのがある 今はその季節か その3

2018年05月31日 11時16分39秒 | Weblog

猪は根っこを掘って食べるが、この地上高く伸びた筍には手を出さないらしい。あれだけの知恵者なのに。人間の知恵者も竹林の急激な拡大には心を痛めているようだ。杉の林を奪い取って枯らしてしまうからだ。竹の利用法はないものか。いまのところありそうにないらしい。昔だと竹製品が多く生活用具に使われていたのだが。

竹炭というのもあったが、今は炭を使うことはほぼなくなった。現代という時代に合わなくなっているのだ。洗濯物を干す竹竿も売って来ない。そんなもの買わないのだ。有明海の海苔作業には、以前は長い竹が使われていたが、いまはそれもビニール製になってしまった。

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揺すり筍というのがある 今はその季節か その2

2018年05月31日 11時12分07秒 | Weblog

山地に分け入るとどこもかしこも竹林が鬱蒼と茂っている。密生している。まるでジャングルだ。今の時期には、ここにこの揺すり筍が林立している。筍を食べなくても、揺すり筍は落としていかねばならないらしい。そうでないと過剰成育で、竹林そのものが枯渇の憂き目を見かねない。竹林には空がないくらいなのだ。

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揺すり筍というのがある 今はその季節か その1

2018年05月31日 10時59分26秒 | Weblog

孟宗竹の筍は終わった。でも、揺すり筍というのがあるらしい。草丈が2mほどになったその先端を、揺すって落とすのである。揺するだけで手に入るから、これがまた重宝らしい。今がその季節か。みなさん筍には三月四月で喰い飽きているから、それほど需要は望めないようだ。

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新聞は、わたしの場合には、書く楽しみのためにも存在しているのかもしれない

2018年05月31日 10時47分46秒 | Weblog

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投稿する詩の作品の、原稿を書き上げるのに10日はかかる。推敲にまた10日を掛ける。後は月の初めの金曜日をひたすら待つ。

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明日が其の月一の、月の初めの金曜日だ。これがすんだら、後ろ髪を引かれずに旅に出て行ける。原稿を捻ったり推敲したりは、旅先でも出来る。

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読者の広場欄に投稿することもある。500字くらいの分量で、男性用のエッセー欄に投稿する。もう数回載せてもらった。するとまた投稿をしたくなる。

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同じ読者の広場欄にはオピニオンのようなのを書くところもある。ここは規定では400字としてある。これにも数回投稿した。新聞は、わたしの場合は、書く楽しみを得るためにある。そのようにも思われる。

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