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後生・前生・今生 ごしょう・ぜんしょう・こんじょう

2013年10月14日 12時37分35秒 | Weblog
仏教用語に、後生がある。今生がある。さらに前生がある。



いのちは連続をしているようだ。

前生がある。

前生を経て今生が開始する。

今生で終わりになるのではなくその先に後生がある。



今生だけがいきなり現出したわけではないのである。

今生の始まりの前に始まりがあり、終わりの後にまた後生の始まりがある。

あくまで連綿として繋がっているのである。



後生が始まるとすぐにそれは今生になる。

そうすると後生の前の今生がそこで前生になる。

原因が結果を造りだし、その創り出された結果がまた原因になる。

ということはどこまで行っても、無結果だと言うことだ。

永遠の結果はない。ということになる。



何がどう、どれだけ積み上がっていくのかわからないけれども、1+1+1・・・のように積み上げて積み上げて行くのだ。



前生・今生・後生の連続する生命の営みが、積み上げるべき1を構築する土台だとすればどういうことになるだろう。



土台なくして積み上がることはできないから、土台も積み上げられた蓄積値も同等に尊重すべきであろうが、土台だけを唯一絶対とするものでもないはずである。
コメント
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