土曜日は、S新聞読者文芸作品の、掲載日。
僕は落選だった。先週に引き続き。力が抜けるわい。
川柳部門、俳句部門、短歌部門の、どの部門にも我が作品は見いだされなかった。
人様の入選作品を読ませて頂いた。
人様のようには書けない。己は己流儀。落選を続けても、それを通すしかない。
土曜日は、S新聞読者文芸作品の、掲載日。
僕は落選だった。先週に引き続き。力が抜けるわい。
川柳部門、俳句部門、短歌部門の、どの部門にも我が作品は見いだされなかった。
人様の入選作品を読ませて頂いた。
人様のようには書けない。己は己流儀。落選を続けても、それを通すしかない。
骨に皮が被っている、って感じだな。シワシワの皺の皮が、ゴツゴツの我が手の甲の、骸骨を覆っている。皮の下には肉がまだ幾らかはあるけれど。これがお爺さんの手だ。
死ねば燃やされて灰になる。白い粉になる。骨も皮も。肉も。
これでまたゼロに戻る。もともとはゼロだった。ゼロにいろいろなものが添加されて、やがて我が肉体が豊満になった。そしてその豊満が薄れて希薄体に傾斜して行く。行くばかり。
お借りしていた物ばかりだったのだ。我が所有ではなかったのだ、肉体も。骨も、皮も。お返しするときが刻々と近付いて来ている。お返しするのを拒んではなるまいから。
蚊が部屋に迷いこんで来ている。キーボードを打つ手の、指先に止まっている。小さな吸血鬼だ。
パチンと叩いたが、逃げられてしまった。どこから侵入して来たのだろう。畑から戻るときに、いっしょについて来ていたのかもしれない。
夜中、寝ているときに、またぞろブウウウンと羽音を鳴らしてやってくるのかもしれない。やだなあ。
蜜蜂に好かれる。追い払っても追い払っても、ぶんぶんぶんぶん羽音を立てながら、顔の前後左右を飛び回る。
「僕は花じゃないよ」と言って言い聞かすのだが、効果なし。
「花じゃないから、花蜜なんか吸えないよ」と言い含める。
で、ふっと、「待てよ」と思った。思い当たった。
僕の体臭、あるいは吐き出す呼吸が、蜜のように甘い匂いをさせているんじゃないか、と。
僕は、実は糖尿病前期患者。尿も甘い匂いがすることがある。
で、血液中の糖度を抑える薬が欠かせない。
のに、日本酒の熱燗を飲んで、晩酌をしている。毎晩、飲んでいる。抑制が効かない。
蜜蜂さんに気付かれるほどになっているのかも知れない、と思ったら、ぞっとした。
今回が初めてじゃない。
真偽のほどは分からない。もしかしたら、こんなことは誰にもあることかもしれない。
林檎を食ったあとは、しばらく林檎の臭いがしていることだってありえることだ。
夕暮れどき。もう外は暗くなっている。薄暗くなる5時50分まで外にいた。最後の10分は、猫のAちゃんを撫でていた。撫でてくれと擦り寄って来るから。
2時半から1時間ほど客人が見えられて、お茶と蜜柑をお出しして、お喋りをした。
お帰りになったその後は、野良仕事をした。あれこれあれこれの。赤い里芋も掘ってみた。子芋がたくさん収穫できた。
親芋も捨てないでいる。赤芋は親芋も食べられるらしいが、食べないで来年用の種芋にしておく。穴をやや深めに掘って埋めておく。
秋野菜の種が、まだ袋の中に一杯余っているので、捨てるには忍びず、これをプランターや畑に蒔いた。
最後にたっぷり水撒きをした。いまごろは、長い眠りから目覚めて、種さんたちが、目を擦っているかもしれない。
これで生命活動ができるようになるのだから、種蒔きをした僕は彼らに感謝されるだろう。
僕は僕で、無心になれた。完全な無心ではないだろうから、威張れたもんじゃ亡いけど。
作業をしているときは、雑念が少なくなっている。手先を動かすのに集中しているからだろうか。
作業をした後は満足感に浸る。この時間が貴重だ。なんのことはない、やっていることは幼稚園児の砂遊びほどなのだが。
長く長く生きてきた。そして少年はお爺さんになった。お爺さんは足腰も弱ってよろよろしている。力を発揮できなくて、よぼよぼしている。
よくまあ、こんなによろよろするまで生きて来られたなあ。よくもまあ、こんなによぼよぼになるまで生き永らえて来られたなあ。そういう感心もする。
能力が高かったわけではない。むしろ低かった。低いのを埋め合わせするのに、生涯ずっと苦労の連続だった。我が身の無力さを嘆いて、何度も泣いた。喚いた。夢にも魘(うな)された。
イワシの尻尾ほどの弱点補強だけで一生を費やした感がある。結局、補強にもならなかったけれど。こころにダメージを受け続けた。泣きべその少年のままじゃないか、ここは。
それでも生きて来た。生きて来られた。よろよろになっているので、もう他者と競争しないで済むようになった。なんでも諦めが効くようになった。
寂しさが残っている。どこにも退けようがない寂しさが残留している。それがときおり笛を吹く。笹笛を吹く。長く微かに吹く。お爺さんは耳をウサギにしてこれを聞く。
飴玉は、舌の上に載せて、しゃぶる。これでいっとき過ごせる。
やがて、しかし、解けていってしまう。また、口寂しくなる。もう一個を口の中に放り投げる。
一日、楽しいことを追い掛ける。楽しいことがないかなあ、何か楽しいことがないかなあ、きっとどこかに見つけるだろう、と。
やっとそれらしいものに行き当たる。小躍りする。スケールが小さいから、手の平の指の間から、砂になって摺り堕ちてしまう。
砂にならないうちに、飴玉にしておかねばならない。舌の上に載せて、しゃぶっておかねばならない。
1トンも2トンもある岩石のような飴玉はないか。材料成分はみんな<楽しいこと>。掘削機で崩しながら、飴玉にする。
これだと一日を全部楽しいことで埋められる。そういう空想をしてみる。幼稚園児の児戯に等しいのだが。
楽しいこと、楽しくないこと。どちらもある。楽しくないことが、楽しいことを冷却する。氷にしてしまう。
氷は冷たく身を冷やす。温めるには、周辺から薪を見つけて来て、どんどん燃やさねばならない。その燃料の薪がなかなか手に入らない。
山茶花が咲き出している。今年は花の量が少ない。
明日は10月30日。弟の命日である。明日、7回忌の法要がある。遺族と弟の子供たち家族と、兄夫婦が集まる。
弟は兄の僕より4歳年下。病に斃れてしまった。まだ若かった。死にたくなかっただろう。弟に先立たれた兄は寂しい。
7年前、棺に、我が家の庭に咲いていた山茶花を摘んで行って、敷き詰めた。あの年には、山茶花の花が早咲きした。
風が強い。強いなあ。畑のアスパラガス群が大揺れに揺れる。揺れても、大丈夫、嫋やかなので、折れたりはしない。
午前9時を過ぎた。空の青が海の青にような色になっている。澄み渡っている。祇園山の緑が、緑を深めて対抗している。
家内が手伝ってくれと言うので、そうした。座敷に、冬用の絨毯を敷き詰めた。座敷には黒檀の重たい机がある。一人では退けられない。
炬燵に両足を伸ばしてゆったりしている。音楽を聴いている。世事はすべて、なるようにしかならない。なるようにしかならないのなら、憂えるまい。
気温14・7℃。やや肌寒い。今日の最高気温は24℃。午後2時から3時までが高い。
今日はこのよぼよぼよろよろお爺さんは何をして過ごそうかな。かといって、何でもできるわけじゃない。何をしようと、童遊びを遊ぶようなもの。他愛もない。
発芽がうまく進まなかったプランターに、もう一度、秋野菜の種蒔きをしておこうかな。種は袋に余っているから。発芽しても、今年は虫に食われてしまうことが多かった。