<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

厚い冬布団が火照る

2019年12月26日 23時24分36秒 | Weblog

12月27日、木曜日。まもなく午後11時30分。気温は12℃もある。厚い冬布団が火照る。布団から、足を出す。冷やす。

風邪が治りきれない。風呂にも入らず、早くから寝てしまったが、鼻づまりがしている。呼吸がしづらい。おまけに、寝付けない。あれこれ思案する。他愛もないことばかりを。

朝が来るまでにはまだ7時間ほどもある。枕元の本でも読むか。そのうち欠伸をして、眠くなるだろう。

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まだ風呂に入らない

2019年12月26日 19時01分29秒 | Weblog

まだ風呂に入らない。入ろうという気にならない。風邪がぶり返しそうで。不潔不潔と言われても、仕方があるまい。

 

咳がついてきた。長引くのは嫌。気管支炎を来してしまうことが、これまでにあった。とても、苦しかった。それが恐い。

 

早く完治しないかなあ。風邪と言ってもばかにはならないからなあ。用心に用心を重ねることにする。

 

恐いものだらけだね、まったく。それで、逆作用して、ことさら安全志向となっているのか。

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死者のこころは顛倒しない。慌てふためかない。ゆったりとしていられる。阿弥陀経を読む

2019年12月26日 17時13分30秒 | Weblog
その人、命終わるときに臨んで、阿弥陀仏は、諸々の聖なる(菩薩)衆とともに、その(人の)前に現在したまふなり。

(故に)この人の(命が)終わる時にも、(その人の)心は顛倒(てんどう)せず、即(時)に、阿弥陀仏の極樂国土に、往生することを得るなり。
 

これは浄土系の経典「仏説阿弥陀経」の中の一文である。

<来迎>である。

次の世界に向かうときに、こうして迎えに来てもらえるのである。仏や菩薩たちがお迎えをされるのである。


これで死が成就する。死なせていただけるのである。


「死ぬ」は自動詞にしてあるが、自分では死ねない。死なせてもらうのである。

仏陀によって死なせてもらうのである。みなが用意されていたのである。死んでもよいように準備が出来上がっていたのである。


だから、死は、阿弥陀仏のお仕事である。

だから、全部、おまかせである。仏陀に一任していればいいのである。


阿弥陀仏という仏陀の、仏智の<おはからい>では、そうすることをよしとされたのである。苦界の苦の生から、次の段階のよりよい高みへ<進んでいい>とされたのである。

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だから、死者の心が顛倒することはない。慌てふためかないのである。

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即得往生をしてしまうからである。その場で極楽国土へ往生を果たしてしまうからである。

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極楽国土は仏陀の世界である。苦悩の衆生界ではない。新しい展開を得たのである。だから後悔することはない。後ろ向きになることはない。大手を振って前進が図れるのである。

わたしは、気楽な解釈をしたがる癖がある。わたしは僧侶ではない。仏教学者でもない。こうであってほしいと解釈をしたまでのことである。

読者諸氏は、阿弥陀経をご自分で読んで、ご自分で解釈をなさって下さいね。


13
経典には、「心不顛倒」=「死者の心は死によって顛倒されることがない」と書かれている。「即得往生」=「その場でたちまち仏国土に往生する」と書かれている。

わたしはこれで安心を得るのだ。

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わたしが死をはからうことは無用だったのだ。仏陀のおはからいに打ち任せていれば、わたしの死は完成していくのだ。

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この世を生きる者はすべからく、<生きてよし、死んでよし><生まれてよし、死なれてよし>の受動態のみなのだ。

16
一寸(ちょっと)出来過ぎか。悪党の僕には、いささか命の福が有り過ぎる。

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小鳥は雨の日でも傘を差さない

2019年12月26日 17時00分48秒 | Weblog
そうなんだ、小鳥たちは雨の日でも傘を差さないのだった。レインコートも着らないのだった。

うん、小鳥たちだけじゃないよ。

傘を差したりレインコートを着たりするのは、人間だけなんだよ。

雨に濡れてもいいようになっているんだ、鳥も虫も魚も獣たちも。


どっちが進化をしていると見るべきだろう? やっぱり人間の方かな?

人間は道具を使って、足りないものを補うことが出来るから。

人間は、そのための智慧を持っている。

足りていなくてもいいようにしてあるんだよ。


小鳥も虫も魚も獣も、己の中だけで足りている。借り物をしない。

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これも見事な進化と言うべきかも知れない。
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今朝はお粥。軽めの食事。

2019年12月26日 16時44分00秒 | Weblog
今朝はお粥にしてもらった。ときどき、こうしてお粥がほしくなる。

お茶粥にしていただいた。

梅干しと赤紫蘇と、塩昆布を混ぜ合わせた。素朴な味がした。

病人食みたいだけど、これで胃の負担が軽くなる。

普段の食べ過ぎを修正することにもなる。

お昼もこれを食べた。残っていたので。お昼は味噌汁をぶっかけて啜った。
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こんな日にはお天道様の有り難さに行き着く。

2019年12月26日 16時35分42秒 | Weblog
まだ4時半を過ぎたばかりなのに、もう外が薄暗い。日射しが射して来ないから、こうだ。こんな日には、お天道様の有り難さに行き着く。

お天道様が射しているときには、そんなこと思わないのに。なんでも失って初めてその有り難さが分かる仕組みになっている。

今日は雨降り。だったら?

雨の有り難さに気がつけばいいんだな。無い物ねだりをしないで。

幼いキャベツの苗を植え替えてやったから、引っ越し先の土の中で、雨を吸った根がしっとり潤って、よろこんでいるだろうな。


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目白が熟し柿を啄みに来る

2019年12月26日 16時26分59秒 | Weblog
こんなことになるなら、短い文ですますことにする。長々と書いていると、あれよあれよという間に、途中で消えてなくなってしまう。

目白が庭の熟し柿を食べに来る。つがいで来る。おいしそうに食べる。警戒を怠らず、何度も辺りを見回しながら、啄んでいる。しばらくするとパートナーに譲る。こうしてかわりばんこをしているのが、なんともほほえましい。小鳥の夫婦って仲がいいんだな。

雨の日でも、彼らは雨に濡れないでいられるようだ。羽が雨を弾くようになっている。

熟し柿は、梅の木の枝と枝の間に、落ちないように上手に挟んでいる。今度は小蜜柑を半分に輪切りにして、枝に刺しておいてあげようかな。
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ふん、だ。

2019年12月26日 16時21分21秒 | Weblog
みんな消えちゃった。

せっかく書いたのに。もうすぐ完成というところで、消えちゃった。やだなあ。

どこか変なキーを押したんだろうなあ、きっと。

やり直し。

でも同じものは書けないよ。書く気がしない。

ふん、だ。
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暮れて行く歳月にお礼を言わなくちゃ

2019年12月26日 05時49分33秒 | Weblog

一年が暮れたね。一年365日さんにお礼を言わなくちゃ。歳月さんにお礼を言わなくちゃ。

ありがとう。いつもいっしょにいてくれて。手を引いて、導いてくれて。元気をくれて、励ましてくれて。

ぶつくさ、ぶつくさ不平を鳴らす僕から遠ざからず、いっしょにいてくれたね。慰めてもくれたね。ありがとうよ。

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雨垂れの音がしている。

2019年12月26日 05時26分31秒 | Weblog

雨垂れの音がしている。間隔が開いている。小雨のようだ。いま夜明け前。まもなく午前5時半。気温は10℃。あまり寒く感じない。

 

僕は目が覚めてしまって、眠られなくなってしまった。灯りをつけた。あれこれを考えてしまう。とりとめもなく。

 

もう、今日は12月26日になっている。新年まであと6日を残すのみとなった。お正月までには、風邪を完治させておきたいな。鼻づまりで、呼吸がしづらい。

 

 

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