<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

僕はひどく簡単な構造なのだ

2019年12月10日 21時24分13秒 | Weblog
夕方はいつものように畑仕事をした。ほんの30分ほど。里芋畑で赤芋を掘り上げた。寒風の中で。芋の白い細い根を削除してから、タワシでごしごし水洗いをした。これで泥が落ちた。ボールに入れて台所に運んだ。小さいのは、明朝の味噌汁の具にしてもらえるかもしれない。

少しの時間でいいから、こうして土を弄(いじ)っていたい。無言で弄っていたい。そうすると安らげる。満ち足りる。僕はひどく簡単な構造なのだ。
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あの人がわたしの目を見ている

2019年12月10日 21時09分50秒 | Weblog
あの人がわたしの目を見ている。おしゃべりをしながら、わたしの目を見ている。あの人の目がわたしの目を見ている。目と目が、人を置きざりにして、ふたりになっている。距離があいているのに、距離を感じさせない。ふたりの目にそれぞれの光があって、光は光の速度で走るからだ。

あの人が振り向いてわたしに話しかける。ソプラノで話しかける。わたしは声の蝶を睫で受け止める。そしてすっと放つ。蝶は何もなかったようにしてまた空に舞い上がる。

冬空の雲の上に美しい人がいる。美しいおんなの人がいる。天界の人なのかも知れない。
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こんなに美しくして見せたい理由はなんだろう? ラスト

2019年12月10日 21時05分43秒 | Weblog
15
夕日は、そんなに深遠なことをさらりとして見せてくれるんだ。理屈ですまさずに、具象化してわたしに見せてくれている。

夕日が大空を赤く染めている。

わたしの目が開いてさえいれば、それが見えるようにして、そこにある。やさしく語り掛けて来られるようにして、そこにある。この絶対のフシギ。不思議を思う。
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こんなに美しくして見せたい理由はなんだろう? その14

2019年12月10日 21時03分28秒 | Weblog
14
でもね、今見ている夕日が未来なのだ。ちょっと手元の尺度計をずらしてみればいいのだ。現在だと思っていたものが、実は、その先の、未来を輝かして見せてくれているのだ。そういう位置付けをする役目を負っているのだ。

夕日は、美しい未来を輝かしていてくれるんだ。(あ、これが今日、僕の行き着いたところかなあ)


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こんなに美しくして見せたい理由はなんだろう? その13

2019年12月10日 20時54分25秒 | Weblog
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むしろ行けば行くほどに高まりを見せて行く。そういう自分に驚いて驚いて行くばかりなんだ。

だから不安に思うことはさらさらないのだけど、しかし、不安に思う。この先は何処へ行くのだろうかと漠然と思う。いつも不安に思う。


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こんなに美しくして見せたい理由はなんだろう? その12

2019年12月10日 20時48分38秒 | Weblog
12
わたしたちは次へ次へと進む。次へ進むと進むほど、むしろ見ている世界の輝きが高まって行く。美しいものを美しく見る側の感度も、それに応じて、上がって行く。幸福感が高まって行く。膨張しないと包含できなくなる。ときどき、膨張が間に合わなくて、爆発も起きる。


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こんなに美しくして見せたい理由はなんだろう? その11

2019年12月10日 20時43分06秒 | Weblog
11
死ねば肉体の目は失うけど、目は精神にもついているから、不自由はしない。美しいものがいつまでも見られるのだ。

肉体の目が見えるようにしてあったように、そのように、精神の目にも見えるようにしてあるのだ。夕日も、夕日が見られるのも、すべては他力なのだ。そのように働き掛けられて来るのだ。


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こんなに美しくして見せたい理由はなんだろう? その10

2019年12月10日 20時37分41秒 | Weblog
10
でもね、それは此処だけじゃないんだ。そんなにけちくさくはないんだ。行けども行けども極樂浄土なんだ。生きても死んでも同じ。行けども行けども美しいのだ。美しさが輝きだして行くんだ。

それが無限で無量だから、量(はか)り知れないから、<無量光明土>って名付けてある。


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こんなに美しくして見せたい理由はなんだろう? その9

2019年12月10日 20時33分31秒 | Weblog
この地上に生まれて来た者にはこれだけの特典がついている。美しいものが見られる。それをじっくり楽しめる。幸福感へ辿り着ける。安心が得られる。

それはなぜだろう? どんな構造体系になっているのだろう? そしてそれをそうする理由はなんだろう?


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こんなに美しくして見せたい理由はなんだろう? その8

2019年12月10日 20時28分40秒 | Weblog
此処が極樂浄土だぞ、今此処を楽しむんだぞ、それをゆくりなくたっぷり楽しめるほどの尊い存在なんだぞ、きみは、って言い含めていてくれているのかもしれない。絵画的にビジュアルに。

(僕は多く仏教に馴染んできたから、仏教用語の極樂浄土と言っているけど、それは指さしているだけのことで、そこをどんな言葉で説明したっていいだろうと思う。)


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