死ぬときに脳内で快感ホルモンが分泌する。らしい。
(このホルモンの名前をどうしても今思い出せないでいる)
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それで、死者は、にっこりする。
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頬がバラ色になる。血潮が戻ってきたようになる。
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死者はこれで死ぬ苦しみから逃れられることになる。
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完璧だなあと思う。人間の最後を快感で締めくくるように設計されているとは。
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死者が死者の国に旅立つときに親しい人たちが迎えに来てくれている。
仏さまも菩薩衆を引き連れて迎えに来てくださっている。
・・・と経典は教えている。
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そのお迎えの人たちに出会ったから、だから、にっこりしているんだ、喜んでいるんだという説もある。
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すべてが用意されているのだ、と思うと嬉しい。完璧なまでに舞台設定はできている。
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何一つ心配がない状態になっていて、そこで、「あなたはもう死ねますよ」というチャイムが鳴る。
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で、安心して息を引き取る。
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ひとりでは死ねないのである。すべてが準備完了されていて、死ぬ条件がすっかり整えられていて、
そこではじめて死が完了する。
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だから、正確には、「死ぬ」という自動詞ではなくて、「死なされる」という他動詞の受動態でなければならない。
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「生まれる」から「死なれる」まですべて一貫しておまかせの世界なのである。「わたし」のすきいる隙間はないのである。
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はじめからおわりまで安心して安心していていいのである。
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宗教はそのように死を受け入れている、ふしがある。だから、宗教は楽観主義的である。
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「わたし」がなければ、驕りがない。傲慢がない。傲慢がなければ他者の配慮に感謝ができるのだ。
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死ぬときだけ、いい気持ちなのではない。生きている間だずっといい気持ちであっていいのである。
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われわれはよい方向へよい方向へ導かれているだけである。
よい方向に導かれているのだから、いい気持ちに浸っていていいのである。
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われわれはもっといい気持ちがするところへ移動をしていく。
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それを目の当たりに見せられたら、ここ地上の楽しみに執着するこころは失せてしまうだろう。
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進歩のセオリーを聞き、歓喜の飛躍の仕組みを知らされたら、いい気持ちがしないわけはないではないか。