生と死とがある。生は死に向かう。生は滅する。動いているからだ。生きているからだ。進もうとしているからだ。生も動いている。死も動いている。生が死に向かって動いてきたように、死がまた生に向かって動いてゆく。心配はない。生も死も動きながら動きながら、自転しながら、太陽を回っているのだ。太陽系は銀河系を回っているのだ。大きく大きくわれわれは動いて動いてゆくのだ。
霰は音がする。霙はしめっていて粒が小さいが、霰は乾燥して粒が大きい。投げられたように勢いもある。それが緑葉樹の大きな葉にあたる。瓦にあたる。土にぶつかる。すると高い音がする。金属音がする。
*
山頭火は、鉢を手に抱えている。家々を廻って、読経をして、いただきものを鉢に受ける。銅貨の時もあるし、米粒の時もある。広い葉に包んでおにぎりをわけてもらう時もある。手がかじかんでいる。ぱらぱらぱらと霰が落ちてきた。どうせ木彫りの鉢しか持ってはいないのだが、鉄鉢のように響いてきた。
*
受ける物を受ける。受けてしか生きられないことを体で覚えてゆく。われわれはわが計らいによって、わが働きによって、わが智恵によって生きているように錯覚して一生を終えるが、その迷いの中に、懺悔(さんげ)を加える時も持つ。それが行脚であろう。受けることがあることを喜ぶ。霰はよろこびの音である。
*
山頭火は、鉢を手に抱えている。家々を廻って、読経をして、いただきものを鉢に受ける。銅貨の時もあるし、米粒の時もある。広い葉に包んでおにぎりをわけてもらう時もある。手がかじかんでいる。ぱらぱらぱらと霰が落ちてきた。どうせ木彫りの鉢しか持ってはいないのだが、鉄鉢のように響いてきた。
*
受ける物を受ける。受けてしか生きられないことを体で覚えてゆく。われわれはわが計らいによって、わが働きによって、わが智恵によって生きているように錯覚して一生を終えるが、その迷いの中に、懺悔(さんげ)を加える時も持つ。それが行脚であろう。受けることがあることを喜ぶ。霰はよろこびの音である。
あの人がいることがうれしい。あの人が、わたしがいることが嬉しかろうと嬉しくなかろうとそれにはとんと無頓着、お構いなしに、わたしの方で一方的に、あの人がいることが嬉しい。あの人がこの世に生きていることが嬉しい。遠くからじっとあの人を見ている。風が吹いてくる。あの人のいるところから風が吹いてくることが嬉しい。
*
人生の中でこういう日が何日あるのだろう? どうしてそれがなくなってしまうのだろう? 嬉しいだけではどうしていけなくなったのだろう? 風が吹いてくるだけで嬉しかった日々がなつかしい。もうこれからの人生ではこうした無茶苦茶な無計算な嬉しさは訪れてこないのだろうか?
*
人生の中でこういう日が何日あるのだろう? どうしてそれがなくなってしまうのだろう? 嬉しいだけではどうしていけなくなったのだろう? 風が吹いてくるだけで嬉しかった日々がなつかしい。もうこれからの人生ではこうした無茶苦茶な無計算な嬉しさは訪れてこないのだろうか?
ずいぶん書かないでいました。このブログを読んでいてくださる方がいないようです。それで、書こうという気持ちが起きませんでした。はあい、わたしはずぼらで~す。
*
青青の二分刈りに切っていた頭の髪も、相当にのびてきました。牢獄囚人の親分格くらいになっています。髪は短く切ってもやっぱりわたしはずぼらです。怠け者です。ちっとも気合いが掛かりません。
*
猫を可愛がっていた娘が長期に留守をしています。猫の世話がわたしにまわってきました。わたしは猫が好きではありません。でも、お腹を空かしている猫を見ると食べさせないわけにはいきません。食べさせていると、猫がすり寄ってきます。頭を撫でてやります。するとくうんくうんと鳴きます。情がうつってしまいました。猫は家の外にいます。五匹もいます。わたしのずぼらは少しだけ訂正されてきているかもしれません。
*
青青の二分刈りに切っていた頭の髪も、相当にのびてきました。牢獄囚人の親分格くらいになっています。髪は短く切ってもやっぱりわたしはずぼらです。怠け者です。ちっとも気合いが掛かりません。
*
猫を可愛がっていた娘が長期に留守をしています。猫の世話がわたしにまわってきました。わたしは猫が好きではありません。でも、お腹を空かしている猫を見ると食べさせないわけにはいきません。食べさせていると、猫がすり寄ってきます。頭を撫でてやります。するとくうんくうんと鳴きます。情がうつってしまいました。猫は家の外にいます。五匹もいます。わたしのずぼらは少しだけ訂正されてきているかもしれません。