<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

大いなる放棄

2007年11月29日 16時30分24秒 | Weblog
仏教で出家というときに、その「出家」は「大いなる放棄」と訳されることがあります。

      *

「あれもしながらこれも」ではなく、「これもあれも捨ててただ仏道を歩む」ということでしょうか。

      *

反省させられます。「これもあれも」の欲望が多いのです。これではとても出家はできません。出家が僧侶になるということならなおさらできません。在家でいながら、そこで仏道が歩むことが許されているのですが、肝心な「仏道を歩む」ということができません。

      *

「仏道を歩む」よりももっともっといいものがあると思っていて、それに取り憑かれているのです。欲望がたくさんたくさん芽生えてきます。そのどれも捨てられません。

      *

仏道を歩むより大切なものはないのです。すくなくとも仏教徒にとっては。仏の教えをいただこうとする者にとっては。それが仏道を歩むよりもどれもこれもが大切に大事に見えてきてしようがないのです。

      *

家を捨てなさい。持っているものをすべて捨てなさい。家族を捨てなさい。愛する者、愛する物をすべて捨てなさい。財産を捨てなさい。自分の物と思っている物をすべて捨てなさい。これは原始仏教の教えです。

      *

それよりも「大事な道」があることが、愛する者、愛する物を所有していたのでは見えてこないのでした。こうしてわたしは結局のところ、その大切な仏道を歩まないままこの世をおさらばしていくようです。

      *

残念なことです。人に生まれたこと、このたびこそは仏道を歩もうとしていたはずなのですが、それが今回もお流れになってしまいそうです。

      *

「大いなる放棄」ができない。ささやかな放棄もできない。無所有にならなければ見えてこなかったのに、煩悩や愛着を所有することで、人生のすべての価値を満足してしまったのだ。

      *

あれもこれもの所有でもって、とうとう無所有の大切さが分からないで終わったのだ。悲しい。仏陀ご自身の「大いなる放棄」が少しも分かっていないのだ。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

風邪で寝込んでいました

2007年11月25日 17時07分41秒 | Weblog
ごめんごめんごめん。風邪を引いて寝込んでいました。体が弱ってしまって、風邪菌に勝てるところまで来るのに期間がかかりました。かれこれもう一週間、風邪菌につかまっていました。もうそろそろいいようです。といっていながらまだ、ハクショーンが出ています。

      *

少しづつまた書いていきます。よろしく。

      *

風邪撃退法をアドバイスしてくださった方にお礼を言います。有り難うございました。お風呂につかるのも改善策だったんですね。昨夜やっと風呂にもつかりました。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

わたしに射してくるひかり

2007年11月16日 21時31分28秒 | Weblog
わたしのうしろから
ひかりが射してくる
わたしのまえからも
ひかりが射してくる

わたしのまうえから
ひかりが射してくる
まうえからのひかりが
はねかえって
わたしのましたからも
ひかりが射してくる

こうして四方八方から
ひかりに射されていたので
わたしはとうとう
ひかりになって
溶け出してしまった
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

闇にいる

2007年11月12日 21時41分16秒 | Weblog
どうしてなんだ

    *

どうして光の中に遊んでいられないんだ

    *

光の中で遊んでいるのにこころを闇にしているんだ

    *

闇にひそんで、そして光を受けている

    *

光の中に遊んでいられるはずなのだ それをそうさせないでいるのはなぜなのだ

    *

闇にいるのにも、光の中にいるくらいの価値があるからに違いない
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

花いちもんめ

2007年11月11日 11時26分47秒 | Weblog
1匁(もんめ)というのは1貫の1000分の1。1目1銭。
重さにして3.75g。価値にして小判1両の60分の1。1文目の銭1文。

    *

花いちもんめは子どもの遊び。二組に分かれて、歌を歌いながら、じゃんけんをする。勝った方が相手方のこどもを呼び寄せる。好きな子どもの名前を呼んで呼び寄せて、こちら側の味方につける。勝って嬉しや花いちもんめ、負けて悔しや花いちもんめとやり交わす。

    *

もうそんな遊びはしなくなってしまったことだろう。花を1匁摘んできてもほしいような相手方は、もういないのだ。3.75kgになるほどの花片というのはそうそう摘めない。サザンカであれば、何枚の花片だろう。運動場いっぱいに散り敷いたサザンカに匹敵するだろうか。

    *

木枯らしが吹いて寒いゆうぐれに、あの子がほしくて花片を1匁集めている男の子女の子が、いまもいてほしいものである。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

おしっこが

2007年11月09日 06時36分35秒 | Weblog
おしっこが、ちいたらたんたん、としか出ない。おしまいなのかなあ。力んだだけしか出ない。ちいたらたん、ちいたらたん、長い時間かかってしまう。

下半身麻痺になったときからこの症状が続いているけど、いよいよ究極かもしれぬ。大便の出る装置も小便の出る装置もいよいよ懸命というところ。

ご苦労さんだったなあと思う。長いこと生きてきたものなあ。もうそろそろおしまいになってもいいよなあ。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

仔猫のクロタン

2007年11月06日 13時12分28秒 | Weblog
仔猫のクロタンは手ほしがりだ。網戸に前足を伸ばして立ち上がって、網戸を叩く。ごおりんごおりん擦る。遊んでくれ遊んでくれの合図を送ってくる。窓を開けるとすぐに侵入してくる。だから、窓は開けない。

庭に出るとすぐにやってきて、ごろんと寝そべってお腹を見せる。腹をさすってくれの合図だ。座って腹をさすってやると、ごおろがおろと喉鳴きをする。無視すると、手元にぶらさがってくる。尚無視するとズボンを這い上がってくる。

草を取り始めると、手元に来てじゃれる。じゃれるから、草取りが続行できない。頭を撫でてやる。頭だけではたりなくて、膝元によじのぼる。抱けとねだる。抱いてやる。喉鳴きが高くなる。

クロタンはもう仔猫とはいえないくらいに大きくなっている。人間で言えば、少年からそろそろ青年になるころ。体つきもでかくなった。オスの貫禄もついてきた。のに甘える。どの猫もそうなのではないらしい。愛情要求を控えめにする猫もいる。

クロタンは、愛情要求を控えめにすることができない性格らしい。クロタンはまっくろである。尻尾がとっても短い。散歩に出かけるときには、うしろからついてくる。どこまでも、とはいかない。途中から引き返していく。猫は家の中では飼わない。小屋の入り口の段ボール箱に寝ている。木枯らしが吹いたら寒かろうなと思う。 
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

長い長い宇宙旅行

2007年11月01日 16時25分40秒 | Weblog
宇宙空間を僕ひとりで旅することはできない。
で、星の地球が僕についてきてくれたんだと思う。
僕ひとりでだったら、第一さみしかったことだろう。
太陽系は銀河系宇宙を旅している。これも、僕ひとりでは旅ができなかったけど、
太陽系宇宙が僕についてきてくれた。嬉しいなあ。嬉しいなあ。そう思う。
しかし、僕はずいぶん大きな世界を、ともかくもこうして旅ができたんだ。
お礼を言わなくちゃならない。
僕を、こうやって大がかりな細工をして、旅を貫徹させようとしているから、
この旅はずいぶん意義深いものであるに違いない。
僕は、じゃ、何を見たのだろう? 僕は何を眺めたのだろう?
これだけの壮大な意志が僕に向かった動いたんだ。
僕はここで、この宇宙旅行で、はたしてどんな理解をしたのだろう?
60年間で僕が宇宙空間を動いた距離は? 
長い長い宇宙空間の旅がもうすぐ終了する。
ふふふ。法華経によると、旅はこれからもずっとずっと継続され、
僕が仏陀になるまでは、終了をしないのだけどね。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

山村草木みなことごとく

2007年11月01日 04時23分34秒 | Weblog
 <山川草木悉有仏性>

山も川も草も木も
みなことごとくが
仏になる

みなことごとくが
仏になる

山は仏になる
川は仏になる
草は仏になる
木は仏になる

つぎつぎに
つぎつぎに
仏になり

仏になり仏になり
みなことごとくが
仏になり仏になり

    *

仏になった山
仏になった川
仏になった草
仏になった木

みなことごとくが
仏になって向かい合っている

    *

縁起とは相関のことである

ひとりではない

ひとりが仏ではない
ひとりということはありえない

万物が
関わり合っているのである

万物が照らし合っているのである
万物が支え合っているのである

     *

ひとりが仏であって
他は仏ではないということは
ありえない

仏とは
仏の結び目ということである

仏を結び合うということである

たがいに働き合って
たがいが
おのずからにして
仏を見せ合うということである

     *

法華経には
だから
かずかぎりない仏が登場してこられる

釈尊おひとりではない

     *

仏に見られたものは
仏である
仏に見られたものは
仏にしかなりようがない

山は仏である
川は仏である
草は仏である
木は仏である

法華経の世界では
みがみなことごとく
仏である

たがいにたがいに
仏になって
向き合っている
照らし合っている
コメント
この記事をはてなブックマークに追加