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<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

ただ無明の生死を尽くして、涅槃に趣かず。

2025年06月13日 08時55分36秒 | Weblog

1

おはようございます。6月も、1日を12回重ねて、12日になっています。積み木だったら、積み重ねたら崩れ落ちそうな高さになっているはずです。崩れ落ちないでいます。落ち着き払った12日を迎えています。有り難いです。

気温は23℃ありますが、肌寒く感じます。長袖シャツを重ねました。足は短パンのバーミューダです。で、炬燵に入っています。雨は止んでいるようですが、空も地も曇っています。風は吹いていません。畑の牛蒡が薹を伸ばして蕾を着けています。

菩薩勝慧者 乃至尽生死 恒作衆生利 而不趣涅槃

ほーさーしょうけいしゃー たいしーじんせいしー こうさくしゅうせいりー じーふーしゅーでっぱん

真言宗経典 「百字の偈」より

勝慧(しょうけい)は「すぐれた仏の智慧」を指す。

わたしは経典を、あろうことか、玩具にしています。これで遊んで過ごします。こうしているときは、幼児に戻れます。不届き者です。

利他の修行に明け暮れる仏道修行者=菩薩はどの人もどの人も仏の智慧をよくよく理解している人たちなので、生死を尽くします。生死を尽くしていつもいつも衆生を安心させようとして励んでいるので、一人だけで己の涅槃寂静に赴くことがありません。

わたしは生死を恐がっているだけなのに、彼らは生死を尽くしていてくれています。己の身に降りかかる生死を厭わずにいます。彼らには救済事業という優れた任務があるからです。人々の不安を安心に変える任務についているからです。

「涅槃に趣かず」にいるということは、不安がるわれわれといっしょに過ごしているということです。これを「同事」と言います。高い地位についているのではなく、同じ高さ低さにいてくれている、ということです。己を低く低くしている菩薩たちのことを思っていると、胸が熱くなってジーーンと来ます。

偉くなろうとしないこと、高い地位に立とうとしないこと。威張らないこと。威嚇しないこと。勝ち誇って吠えないこと。

その通り、わたしは偉くなれなかった。高い地位にも就けなかった。威張れるほどの強権も持たなかった。終始、低迷して地獄に堕ちて、暗愚に過ごした。でも、これでよかったのだ。

10

生死を尽くす。生まれて生きて死ぬ。この一本の道を歩く。これでいい。恐れながら、悩みながら、悲しみながら、この一本の道を歩く。暗愚に歩く。これでいい。

11

菩薩がこれを通されているのだ。

12

畑のトマトがほんのり赤くなって来た。このほんのりはいいなあ。カラスに食われてしまう前にと思って捥いで来たら、虫が丸い小さな穴を開けて入って、住処(すみか)にしていた。

 

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山が安らいでいる。空が安らいでいる。草が安らいでいる。

2025年06月12日 10時36分55秒 | Weblog

畏れなきを施す。施無畏。セムイ。

このお仕事をしていてくださっているお方が仏さま・菩薩さまである。

心配しないでいいんだよ、不安にならないでいいんだよ、恐がらなくていいんだよ。安心して暮らしていていいんだよ。安らかなこころをして生きていていいんだよ。現世安穏でいいんだよ。

最後には浄土往生、往生成仏することが決定(けつじょう)しているんだよ。それをよろこんで、未来のあなたは輝いて輝いて輝くんだよ。

それを繰り返し繰り返し、1万回10万回100万回繰り返して説いていてくださっている。

恐れさせてはならない。恐がらせてはならない。脅してはならない。どやしつけてはならない。威嚇してはならない。暴力を振るってはならない。戦争をしてはならない。

武勲をあげないでいい。勝者にならなくていい。威張れなくていい。褒められないでいい。小さな者と揶揄されようと、一人分の小さな幸福に満ち足りて、平和に生きていい。

施無畏。安心を提供する生き方。空がそれをしていてくれる。山がそれをしていてくれる。草木がそれをしていてくれる。光がそれをしていてくれる。

ロシアが核戦争の話をしているようだ。恐ろしい恐ろしい。世界中の人を恐ろしがらせている。施無畏の反対の方向に向かっている。

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何処からでも仏陀が見える。

2025年06月11日 16時03分48秒 | Weblog

その人に応じた分のよろこびをよろこぶ。これでいい。

Aさんの受け取るよろこびと、Bさんの受け取るよろこびは、同じではない。

AさんがBさんのよろこびをよろこぼうとすると、そこで食い違いが起きてくる。

AさんにはAさんにだけの奇特なよろこびを与えてある。BさんにはBさんだけがよろこべる種類の希有なよろこびを与えてある。

わたしのよろこびをよろこぶ。これでいい。

人の真似はしないでいい。真似するとそこで食い違う。嫉妬がおきる。

上下はない。高低はない。優劣はない。千差万別でいい。何処からでも仏陀が見える。

その人だけによろこべるよろこびというのがある。それをよろこべばいい。

トマトにはトマトの花が咲き、胡瓜には胡瓜の花が咲き、茄子には茄子の花が咲く。優劣はない。

10

それを同じにしようとすると、ぎくしゃくしてしまう。悩みに落ちてしまう。

11

わたしが受けるよろこび、それをよろこんでいればいいのだ。

12

それぞれの生き方がある。そのそれぞれの生き方に、それぞれ独特のよろこびが与えられている。

13

10000段の石段がある。10段目の石段から見る風景も美しい風景である。上り詰めた10000段目の石段から見る風景も美しい風景である。

14

上り詰めた高い高い石段の上から出ないと美しい風景が得られないのではない。どこの石段に立っていても、美しい風景が与えられている。

15

心配は要らない。

16

能力が劣っていることは決してマイナスなことではない。それぞれでいい。

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100倍にしてよろこべは、よろこびは100になる。100分の1倍にしてよろこべは、そのよろこびは100分の1になってしまう。

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よろこびを10倍、100倍にする能力が、人には与えられている。

19

よろこびを100分の1にしてしまう人よりも、100倍にしている人に、より多くの感動の涙が流れるだろう。

20

わたしたちが生きているこの世界は自己否定を学ぶ所にもなるが、自己肯定を学ぶところでもある。

21

仏陀は差別をなさらない。仏陀は平等主義者である。誰もがそれぞれに己の価値を見出して、よろこびを受けて生きていいことになっている。

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仏のハタラキカケに応じます。わたしへのハタラキカケに随順します。

2025年06月11日 12時32分21秒 | Weblog

我今深発歓喜心 随喜一切福智聚 諸仏菩薩行願中 金剛三業所生福

がきんしんばーかんぎーしん すいきーいっせいふくちしゅー しょーふーほーさーかいげんちゅう きんこうさんぎょうそーせいふく

真言宗経典 「金剛界五悔」第三至心随喜 より

わたしはいま深く歓喜心を発(おこ)します。(眼前に現れた)一切の福と智とその実践の積み重ねとを見て随喜いたします。

多くの仏と多くの菩薩が(わたしに対してなされた)大悲の願いと利他の実践とのただ中において、なされた身と口と意の三業の、金剛のような福徳のハタラキカケに、(随喜します)

(間違った読みかもしれません。わたしはこういう読み方をしました)

ハタラキカケに応じます。仏と菩薩の(わたしへの)ハタラキカケに、わたしは応じます。するとそこに歓喜心が湧き起こってきます。

随喜(ずいき)は五悔(ごげ)の一つ。仏・菩薩のハタラキカケに随順して、受けて、歓喜すること。法悦。

わたしに働きかけて来ているお慈悲がたんとたんとたんとある。このむさ苦しいわたしの、むさ苦しさを厭わずに、働きかけて来るお慈悲がたんとたんとたんとある。ていたらくのわたしのていたらくを厭わずに、なおなお働きかけて来るお慈悲がたんとたんとたんとある。

ジャガ芋の花が畑で白く咲いている。花が咲き終わったら、食ってやろう。食ってやろうなどとしか思っていないわたしに対しても、ジャガ芋の花は純白を穢さないで咲いている。不思議だ。

しばし雨が止んでいる。暑くもなく寒くもない6月の風が、そよそよと吹いて来る。わたしのところまで吹いて来る。嬉しくなる。

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わたしの義を立てないでも

2025年06月11日 10時01分50秒 | Weblog

義なきを義とす。と、聞いた。

わたしがわたしの義を立てないでも、義が立っている。宇宙全体の義が、成立し調和している。

ここは仏法のハタラク世界である。ダンマが働いている世界である。

お任せをする。わたしのハカライを捨てるしかない。捨てるしかないのに捨てられないでいるけれど。

無義の実りの世界=仏法の世界を生きているのだから、そこにわたしの小さな間違いの義を立てることは無用だ。

わたしの義はうろちょろする。よろよろする義だ。立てようとしても立てないのだが、それでもわたしの義を立てようとする。ジタバタする。

任せっきりを選んだ茄子の花が咲いている、雨の中で静かに。義を立てないで、植物は静かにしていられる。文句を言わないでいられる。安心していられる。そこがスゴイ。スゴイなあ。

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朝は、一日を始めてくれます。

2025年06月11日 07時39分02秒 | Weblog

おはようございます。朝は一日を始めてくれます。あちこちで、よいしょよいしょの元気な掛け声が聞こえます。その善意の声を聞いているだけで元気をもらえます。

いまのところ雨は止んでいます。庭のあちこちで一斉に透かし百合が咲き出しています。大きく育っています。花の色は様々です。でも、雨に濡らしているばかりです。

雨が降っていない時間帯に畑に出て行って、追肥をしてあげようと考えています。トマト苗、胡瓜苗、ナス苗、西瓜苗、メロン苗、トウモロコシ苗、落花生苗に。大仕事です。

 

 

 

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ことごとに己が慚愧されて来る。そして次へ進む。

2025年06月10日 18時35分36秒 | Weblog

わたしは楽天家。オプテイミスト。いいようになると思っている。

それを越えてそれを越えて行く。悲しみを越えて行く。苦しみを越えて行く。

次へ行く。視界がその度に明るくなる。明るく広がって行く。

ああそうだったなあ、そうだったなあというメザメが起きて来る。

すると、すまなかったなあ、になる。

イヤな目で見ていた自分が恥じられて来る。暗い目で見ていた自分が羞じられて来る。この世はつまらない世だ、なんて、もの知り顔をしている己が慚愧されて来る。

それもしかし、一時で、またイヤな目に戻る。何かあると暗い目に戻る。明暗を行ったり来たりする。死ぬが死ぬまではこうだ。煩悩迷妄を繰り返す。

それがイヤで、ついつい楽天家を選択したくなる。オプテイミストを自称していたくなる。いい気なものだ。

花が咲いたら、辛酸を嘗めている己のことなど忘れたかのように、花の美しさを愛でていたくなる。労苦を却下して、ただただ六月の新緑の山を称賛していたくなる。

 

 

 

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めでたしめでたしだ。後生の一大事は決まっている。

2025年06月10日 17時38分27秒 | Weblog

雨が止まない。豪雨ではない。微雨が続いている。洗濯物干しの竿に雨の雫が列んで、丸くふくらんで落ちる。

諸仏世界 復不可計 無数刹土 光明悉照

しょぶつせかい ぶふかげ むしゅせつど こうみょうしっしょう

浄土真宗経典 讃仏偈より

諸々の仏の世界は数えることがないほどにたくさんたくさんあるのだが、その無数の仏国土は、仏の慈悲と智慧の光明が残らず隅々までも照らしているので、輝きに輝いている。

そこへまもなくわたしが行く。行くことに決まっている。決めたのはわたしではないが、そう決まっている。わたしは、そこで輝きに輝く。輝くことに決定している。輝きに輝いて、やがて仏と等しくなる。

そう決まっているのだから、私達は誰もジタバタしないで済む。恐れないで済む。安らいでいられる。わたしたちにはそういう明るい未来が待ち受けている。その設定をしてくださったのだ。

往生不退至菩提。おうじょうふたいしぼだい。往生して退かず菩提に至る。この世を去って仏国土に往ってそこで誕生して、涅槃寂静する。そこに落ち着いて安らぐことになる。

めでたしめでたし、だ。わたしがそれを、自力でするのではない。仏がそれをするのである。絶対他力である。安心安堵していていい。後生は決定(けつじょう)している。

わたしの未来=後生が決まっている。では、その日が来るまでは、この世の花を見て鳥を見て風を見て月を見て、そこでうっとりしていていいように思える。うっとりとしないで、苦虫を潰していても、それでもそれでいいように思える。

往生安楽国。おうじょうあんらくこく。わたしたちはやがて仏の国に往生して、そこでまざまざと仏を見、教えを聞き、こころ安らぎ、こころ楽しむ。これ以上の幸福があろうか。

10

ここを出発点にしてわたしたちは、しかし、また次の旅に出る。出ることになる。次の使命と次の活躍と次なる進化向上が待たれているからである。

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朝方は雷が鳴り響きました。

2025年06月10日 14時54分35秒 | Weblog

「おはようございます」の時間を過ぎてしまいました。もうすぐ午後3時になります。こんにちは。

雨が降り止みません。ずっとずっと降っています。朝方は雷さんまで鳴っていました。豪雨でした。いまは微雨です。

これだけ降り続いていれば、何処にも行けません。畑にも出て行けません。家の中に潜んでいるばかりです。退屈します。

カラスの大群が家の周りを徘徊して、離れません。大群で、ガアガア鳴いてやかましいです。雨の日は食べ物が見つからないのでしょう。

畑にはトマトが実っています。まだ熟成していません。青い実ですが、大きくなっています。胡瓜も、ズッキーニも食べ頃です。それを狙っています。

天気予報だとこれからずっと雨マークです。長期にわたるようです。読書をして過ごすよりありません。

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畑の西瓜苗が四方に蔓を伸ばしています。

2025年06月09日 12時03分57秒 | Weblog

雨が止んでいます。南西に見える祇園山に霧が出てけぶっています。祇園山は低い山です。もと祇園神社があったので、この名が残っています。

やっと畑の西瓜が四方に蔓を伸ばし始めています。花芽も見えます。4月初めには植えたのに、勢いを見せるまでにずいぶんと時間が掛かりました。施肥をしてあげねばなりません。

80歳になる山里のお爺さんの楽しみは、10株ほどある西瓜畑へ行って、成長ぶりを見に行くことです。たあいないです。トランプさんの100兆分の1以下です。でも、これでいいんです。これでにっこりできます。

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