1
念仏者は無碍の一道なり。そのいはれいかんとならば、信心の行者には天神地祇も敬伏し、魔界外道も障碍することなし。罪悪も業報を感ずることあたはず、諸善もおよぶことなきゆゑなりと云々。
歎異抄第7条より
2
念仏を称える人はただただ阿弥陀仏信仰の一道を歩いているのでこれを余所から妨げられることがない。この一道は阿弥陀仏が設けた道だからである。
だから天の神々も地の神々もこの信心の行者を敬って守りに就き、邪魔が得意の魔界・外道もこの行者には近づけない。
為した罪悪ですらも阿弥陀仏の救済に与って罪業にならず、阿弥陀仏信仰が最大最高の善行なので、自力の善行を積むことも無用になってしまう。
(これは無明煩悩のわたしの受け取りですから誤りを含んでいます。読者氏はご自分の受け取りをなさってください)
3
阿弥陀仏に守られ導かれて、無碍の一道を歩んでいる者=念仏者の歩みは力強い。無礙光如来の阿弥陀仏を胸に抱き取っている人の、その歩みは力強い。
4
山里に住む80歳のお爺さんは今日は、親鸞聖人の信仰の教えである歎異抄の、第7条に出遭っている。嬉しい。ぽっかりと月が出たように嬉しい。
5
この道が
すべての人の足の先に用意されている
幾つもあるように見えているが
一道である
迷いによって妨げられないですむようにしてある
阿弥陀仏の救済の道は一道である
わたしたちはみなこの一道を歩く
この道を行くとわたしたちはみな
阿弥陀となって涅槃寂静する
この世を死んで、死なない永遠の光の命になる