<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

ぐうたら弁護

2008年03月30日 10時14分13秒 | Weblog
なあんにもしないでも、一日は暮れて行くね。それがいいんだよね。ぐうたらのぼくは
なあんにもしない。毎日なあんにもしないでいる。忙しい人からすれば、もったいない
と思えることだろう。起きてトイレにかけこんで、それから顔を洗って朝ご飯を食べて
新聞を読む。もう昼が近い。昼ご飯をすます。眠くなる。だあらりんと昼を寝る。
一度くらいは外に出てもよかろうと考えておもむろに外に出る。庭を見て回る。
椅子を出してきて椅子に座る。本を読んだりぼんやりしている。夕暮れが来る。
夕食の準備をする。家族が揃ったら夕食だ。しばらくテレビを見て過ごす。入浴をすると
もう眠くなる。ごろんとなる。布団に入る。夢を見る。夜中に一度トイレに立つ。
朝が来ている。

      *

とこんな具合だ。意義のあることなんてなあんにもない。自慢にできることなんて
なあんにもしていない。むしろ恥ずべきことばかりだ。

      *

何かをしなければならないなんていうのは愚の骨頂だ。あれをしたこれをしたと自慢にする
ようなことは、老子先生から言わせたら、波間の枯れ葉である。

      *

とまあ、老子先生に肩入れをする。ぐうたらは味方がほしいらしい。これも愚かなことだ。
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攻撃興奮

2008年03月29日 23時51分31秒 | Weblog
ぼくは、自分が興奮して行くのが分かる。口ごもる。鉛筆を持つ手が震える。
箸でものが掴めなくなる。でも、一方で冷静に自分を見えない鏡に映している。
性的興奮ではない。攻撃興奮だ。沈黙の守備を破るときに興奮が起こる。
我慢の限界が来ていることを知らせる。守備から攻撃に移行する。
相手を言葉で張り手を打つ。心臓のビートが速くなっている。どもりだす。
手の平が汗を掻いているのが分かる。おとなげない。まだ幼児並なんだな。
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一月で3kg痩せていた

2008年03月27日 23時11分40秒 | Weblog
糖尿病を宣告されてから、食事に気をつけている。
医者は一日1700cal以内にするようにとアドバイスした。
食事の前に糖分をコントロールする薬を飲んでいる。
運動療法も実行している。毎日ではないけれどサイクリングを一日50分ほど。
で、体重計に乗ったら、一月で3kg痩せていた。ズボンのベルトが緩くなった。

糖尿病は合併症が恐いと教えられた。糖尿病性白内障にかかりやすい。気のせいか
このごろなかなか見えづらい。人の顔が特に見えづらいようだ。

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「ぷん」と「ぶぷう」

2008年03月25日 22時17分09秒 | Weblog
ぶぷーん。ぶぷーん。ぶっぷうん。ぷん。
「ぷん」というのは小さな女の子の名前。
ぶっぷうん、ぶぷーん。ぶぷーん。ぷん。
「ぶぷう」という鬼の男の子の妹なんだ。
だから、角がある。頭のとっぺんさきに、
三角山のような角がある。一本の赤い角
兄のぶぷうには青い角。青い髪に青い角
よおおく見ないと分からないくらいだよ
って、言ってあげるとにっこり笑い出す
ふっふふ。ふっふふ。ぶふふうって、さ
それで男の子の名前はいつしか「ぶふう」
ぷうは怒りんぼ。自分でも気にしてるよ
気にしてるのにすぐに怒るんだ。ぷぷん





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演歌を書きたい

2008年03月22日 21時23分41秒 | Weblog
どうしたらいいんだろう? 阿久悠さんの演歌はすばらしい。
あんなすばらしい演歌をどうやって書くのだろう。? あれだけたくさん。
どれもこれも、しかも、ヒット曲ヒット曲ヒット曲。
え! あの曲の中の恋は、みんな作詞家の経験に基づいているのだろうか?
ぷ。そんな! そんなことはあるまい。見てきたような嘘を言うのが名人なのだ、
作詞家というのは。ということは、・・・ということは、
嘘を書けばいいと言うことになる。
嘘だったら、ちっとも女の人にもてたことのないぼくにだって書ける。
そう。ぼくにだって書けるのだ! 書け、ぼくよ。歌ってもらえるのはいい気持ち
だろう。たくさんの人に歌ってもらえるのはいい気持ちだろう。
とびっきりの美人さんに歌ってもらえたら、えへ、いつ死んでもいい。
演歌を書きたい。臍が茶を沸かすような、あっちっちの恋歌を書きたい。
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あああん、収入がない身は辛いよおおお

2008年03月22日 09時22分47秒 | Weblog
ああああん、だ。
収入がまるでない身だ。辛い。辛いよおおお。
障害者年金がわずかに入ってくる。それで食いつないでいる。
贅沢はできない。
働かないから収入がない。これは当然のことである。
収入が欲しければ、だから、働けばいいのである。
働こうとしないで、毎日ぐうたらを決め込んでいる。
だったら、辛いだなんて言わないことだ。その通りである。
月に10000円だって1000円だって稼げない。
なんという不能力者だろう、自分という人間は。

お金のことは考えないことだ。
考えないで居られたらいいが、欲しい物があったときにこれが不平になる。

      *

ぐうたらはいい。実にいい。ぐうたらは金には換算できない。
換算するとしたら月に一千万円の収入に見合うだろう。
なにしろ気楽である。したいことをしたいときにしていればいいのである。
したくないことはしない。
晴れた日には庭に出て草取りをしている。雨の日は家の中に籠もっている。
もはや王様の暮らしである。
いや王様だってこうはやれまい。では、王様以上である。
金のない王様である。王様にしてもらえることはない。
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山頂からの電話が届く

2008年03月18日 08時48分55秒 | Weblog
おや、今朝は天気がどうもすっきりしないようだ。もやったままだ。
もうすぐ外に出たい。庭に下りて、百合の芽立ちを観察して回りたい。

     *

昨日は四月下旬の陽気で、空も地も晴れ渡っていた。
友人から電話をもらった。数人で虚空蔵山に登っているらしい。山頂からだった。
そんなに高い山ではないが、電波がよくもまあ飛来して来たものだ。

     *

虚空蔵山と嬉野にある。かっては修行の霊山だ。「こくんぞさん」と呼んでいる。
虚空蔵(こくぞう)菩薩は、空の菩薩様だ。大地は地蔵菩薩が守護している。
同僚といっしょに、ずっと以前、まだ足が悪くない頃、この山に登ったことがある。
おぼろげだが、途中の山道、渓道、尾根道が浮かんできた。
山頂で眺望を楽しんでいるらしい友人が羨ましかった。

     *

夢で終わるかもしれないが、自分ももう一度山登りに挑戦してみたい。
麻痺の足では、急峻な坂道は登れそうにない。
肩を貸してくれるという友人がいるから、好意に甘えて山道を辿ってみたい。
休み休みでいい。まずは低い丘から始めていい。
新緑の森の匂いがかいでみたい。小鳥の鳴き声を目で追ってみたい。

     *

友人は山の写真を見せてくれるらしい。そのうちに、と言うことだから、
その<そのうちに>に賭けよう。
以前は、ぼくが好きそうだというので、彼は野の地蔵さま、観音さまの写真を
100枚ほども撮ってきて、ぼくのパソコンに保存してくれたこともあった。
取り出し方が分からないで、それきりになっている。
これは友人にすまないことである。

     *

友人の山頂からの電話は、ものの数十秒ですぐに切れてしまった。
切れてしまったあとの時間を、ぼくは山の涼気を吸い込んだ彼の、
爽やかな顔を想像して過ごした。あの山からだと島原半島がくっきり見えているはずだ。
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死ぬ覚悟はあるか

2008年03月17日 11時01分21秒 | Weblog
いつかは死ぬ。やがて死ぬ。明日かもしれない。今夜かもしれない。

    *

自分はその覚悟はできているか? 
できていようといまいとお構いなしに死は強行される。
それでいい。それがいい。

    *

やりかけのままで、仕事はうっちゃっておさらばになることになる。それでも
それでいいのである。

    *

やりかけているものは、今度生まれてきたときに回せばいいのである。

    *

いまと同じ肉体をもって再生することはできない。これは復活のイエスにしかできない。

    *

古い皮衣は脱ぎ捨てて新しい産着を用意されるはずであるから、そういうわけなら、
同じ肉体でなくとも心配はない。

    *

覚悟はあった方がいいだろうが、ない。感謝があればそれが覚悟だ。生きたことに対する感謝だ。

    *

こんなぐうたらをよくもまあ面倒見てもらったものである。
六〇年もの長い間、守られ導かれ、衣食住の世話をことこまかにしてもらったのである。

    *

悪いことのし通しだったのである。余罪も数え上げたらきりがない。あるわあるわ、だろう。
裁判にかけられたら、問答無用の無期懲役どころである。

    *

刑に服す覚悟はあるか。これもできていない。始末に悪い。そうだ、後始末も悪いのだ。

    *

感謝以前にすまないすまないである。詫びばかりである。

    *

それに、これまでしていただいたことのお返しもできていない。ひとつも。

    *

考えていたらとても死にきれない。でも、死ぬのは自分の力で死ぬのではないから安心である。

    *

生まれてきたと同じように、死なされるのである。
仏の慈悲の力によってわたしの死が完了するのである。

    *

じたばたじたばたすることもいらない。有り難い話である。こちらの力を問われない。
なにからなにまで無条件でいいというのである。死ぬが死ぬまで有り難い娑婆世界である。
   
    *

この感謝は、してもしても、してもしても、し尽くせないだろう。

    *

子曰く、「朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり」論語にこうある。

    *

論語の新解釈を敢えてやろう。愚かな者のわたしに合わせるための新解釈を。

仏教では聞法を説いてある。「道を聞く」だけでいいのである。
「道を実行する」となると、夕ではとうてい間に合いそうにない。

    *

道を聞く。そうだと頷く。それを信じる。わたしの場合は仏の道を聞くである。
この世に仏の道があることを信じる。
過去現在未来の三世にわたって仏の道が続いていることを信じる。

@ 大いなる道といふもの世にありと思ふこころはいまだも消えず  下村湖人
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菜の花の光の丘に遊ぶ

2008年03月13日 11時16分30秒 | Weblog
海が見たくて海が見たくて大村湾に出かけた
一面に菜の花が咲く丘を見つけた
筵を敷いて座った
すぐそこに静かな入り江があった
春の光がきらきらきらきら跳ねた
入り江周遊の船遊びをしている小舟がやってきて
しばらく停泊した
風のないあたたかい日だまりにたっぷり浸かって
ぼくは小さな声で朗読をした
聞いているのは菜の花と蜜蜂 ホトケノザとホトケノザに降り注ぐ光
法華経ダイバダッタ品第12の書き下し文をゆっくりゆっくり
口の中で噛み砕き噛み砕きジアスターゼつきの朗読をして
まず我自らのたましいが愉快を生じた

菜の花はほっそりした茎をしていた
草丈30cmほどの菜の花が黄色の絨毯を広げていた
菜の花の間には草丈10cmほどのホトケノザが
密集していた これは紫 小さな赤い紫
ホトケノザとは仏さまがお座りになられる花のことだろう
小さな花の花片の一つ一つに仏さまがお座りになられて
瞑想をしておられる花
ぼくはそれを想像して楽しんだ

三千世界の仏たちがここに集まっておられるとしたら
ここはまさしく仏の国浄土である
ということは
ぼくはその仏の浄土にいま現に居合わせていることにもなる
菜の花と蜜蜂とぼくはここを訪れている客人なのかもしれない

ぼくはやがて死ぬ日が来る
まちがいなく来る
死んでもぼくのたましいはここへやってきそうな気がしてきた
10年後も100年後も1000年後も
ここへきて今日と同じ愉快な気分で戯れている
青い海が輝いている
青い空がまぶしいほどの光を降り注いでいる
ぼくは瞑想をしながらそんな妄想を起こしていた
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三月の餅つき

2008年03月11日 13時41分00秒 | Weblog
お餅を二升搗いた。日立の餅つき機械で。
前の日に餅米を洗っておいて、朝方、水気を取って、
機械に入れてスイッチを押す。蒸し方終了のサインが鳴る。
おこわご飯が好きな人はこれを小さな俵型にして、
ごま塩をふりかけていただく。
ぼくなんかはこれが好き。むしゃむしゃ食べる。
もう一度スイッチを押すと今度は本格的に餅が搗かれる。
手が要らない。簡単である。
孫が来ているので祝いの餅にした。
一家揃って、小さな丸餅にまるめた。

春先にヨモギを摘んでおいて、茹でてふかして冷凍をしておくと
いつでも蓬餅が食べられるようだ。
母がよくこれを作ってくれた。
ヨモギを野に摘んで、花籠(ぼくらはこれを「はなてぼ」と呼んでいた)に摘んで、
摘む楽しさと緑色のヨモギ餅をこしらえる喜びと、それから食べる嬉しさを味わう。
今年くらいは野に花籠を提げて行こうか。
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