<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

お正月を寝て過ごすなんて、嫌だよ

2019年12月23日 22時26分02秒 | Weblog

風邪気味。お風呂なし。風邪薬を飲んで、早々とお布団へ。

 

あ、そうか、そのまえに、我が家の巨大大根を、二本、切干大根にしたんだった。包丁🔪で、細く細く切って。根気よく、こういうことをするのが得意なんだなあ。

 

もう、第一回目のトイレ。

 

熱はないようだ。

 

喉が痛い。咳が出る。頭は痛くない。

 

どうか、乗り換えられますように!

 

お正月を寝て過ごすなんて、嫌だよ。

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文句はあるか。文句はない。

2019年12月23日 10時04分18秒 | Weblog
唯仏与仏 乃能究尽 諸法実相 

      
法華経にこうある。

ゆいぶつよぶつ ないのうぐうじん しょぼうじっそう
仏と仏とのみが、乃(すなわ)ち能(よ)く、諸法の実相を究め尽くす。

これでいい。これでいいのだ。仏が究め尽くしてくれていれば、わたしが究め尽くすところはなくていいのだ。仏が、諸法の実相(=天地宇宙の生死の全体)を把握しているのである。それで宇宙があやまりなく宇宙軸を回していてくれるのである。

どうだ、文句があるか。

文句はない。
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いつか死ぬんだよね。そうだよね。

2019年12月23日 09時45分16秒 | Weblog
いつか死ぬんだよね。この世は無常なんだから。このルールには従わざるを得ない。

新聞のお悔やみ欄には、このルールに従った人たちの名前が載っている。年齢まで添えてある。いまはそれを読む側に回っていられる。

わたしの名もまもなくここに列べられるだろう。幾人の人が目を止めてくれるだろうか。目を止めてくれなくても、死んで行けるから大丈夫だけど。

いいんだよいいんだよ。もう十分すぎるほど生きたから。長々と生かしてもらったから。不足不満はない。などとよく考える。諦めが大事だ。

私は今回の人生で、法華経を読んだ。よく親しんだ。それで安心をもらった。分かっているわけではないが、分かったフリになっている。ふふふ、だ。フリでいい。仏陀ではないから、フリをするしかない。


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念のために、風邪薬をもう一錠

2019年12月23日 09時39分27秒 | Weblog
念のために、今朝、朝食後に風邪薬をもう一錠飲んでおいた。鼻の奥がまだむずむずしているから。

熊本県の植木温泉に行きたいのだが、この体調だ。ためらっている。平田旅館の湯は、ほんのり硫黄臭がする。あたたまれる。泊まる部屋まで階段を上らなくちゃならないのが、ちょっと苦痛だが。家族的である。料理もおいしい。一年が明けてからにするか。
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今朝は、里芋の味噌汁だった。とろりとしておいしかった。

2019年12月23日 09時28分18秒 | Weblog
朝ご飯には、大好きな里芋の味噌汁がついた。とろりとろりとしておいしかった。この里芋は、先週、我が家の西の畑で収穫したものだ。

皮を剥くのは老爺の仕事。庖丁を使って、上手に皮を剥いておいた。ふふふ、こんなことが上手でも仕方がないけど。

家内は、里芋の皮を剥くと手指が痒くなるらしい。ツクネ芋、長芋の皮剥きもだから、老爺に仕事が回ってくる。


そうだ、まだ畑には里芋が残っていた。霜に当たって茎や葉は萎縮してしまって、ぐにゃりとしている。残りが10株ほどもある。掘り上げておかねばなるまい。それほど豊作というのではないが、掘り上げたどの株にも手頃な大きさの芋がついていた。
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一年が暮れて行くのは、なんだかもの寂しい

2019年12月23日 08時21分09秒 | Weblog
世の中にかかはらぬ身と思へども暮るるは惜しきものにぞありける     良寛


年の瀬である。良寛さまの年の瀬の歌を拾って来た。


一年が暮れて行く。ということはすなわち新しい一年が到来するということ。嬉しいはずなのだが、閉じられそうな時間の扉の、世の中の風景が細く狭苦しく見えて来る。このまま遣り過ごしてしまうのが惜しい気もする。此の身に頂いた一年という長い時間を十分に使い切ったのかどうか。それも思われて来る。

良寛さまは、己を、「世の中の動きに関わらないで過ごしている身」だと規定してある。それでもなにかしら惜しい気がして来る。歳暮になって、人々のせわしなく行き交いするのを見ておられたのだろう。


今日は12月23日。明日は24日。其処此処にクリスマス・ソングが流れて来る頃だ。一挙に、日本もキリスト教の国となる。救い主誕生の「聖夜」を歌って、ケーキを切って食べる。普段ずっと世の中に関わらないで過ごしているこの老爺も、ケーキの一切れに与(あずか)ることになる。ふ、ふふ、だ。
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スマホが指し示す外気温は3℃弱。寒い。

2019年12月23日 08時12分19秒 | Weblog
霜が下りて隣家の瓦屋根を白くしている。夜中、よほど冷え込んだのだろう。昇って来た太陽が東の空から光を照射しているので、霜はまもなく東側から解け始めて行くだろう。ベランダに置かれているステンレス物干し台の脚が、光を反射して輝いている。それがまばゆい。スマホが指し示す外気温は3・2℃しかない。寒いはずだ。

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行く先が保証されている安らい

2019年12月23日 04時25分16秒 | Weblog

已到我国

快楽安穏

大無量寿経上巻賛仏偈より

いとうがこく

けらくあんのん

已に我が国に到りなば、快楽安穏ならしめん。

わたしが建てた国土、極楽浄土に到着したら、皆、成仏せしめて、仏としての快楽と安穏を得せしめん。

そのように誓っておられるのは、阿弥陀仏の前の位におられる法蔵菩薩である。誓いを聞き届けておられるのは、世自在王仏です。

寝っ転がってごろごろしているわけではないでしょうけど、楽しんでいられるみたいですね。安らかに穏やかにしていられるみたいですね。人の世を死んで、仏の国に生まれているわけです。

しかも、この間の大仕事はみな仏さま方が引き受けて下さいます。嬉しいですね。この先がこのように見事に保証されているというのは。ニコニコが約束されているというのは。

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