<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

ペチュニアさんがいてくれたなあ。

2019年12月16日 22時43分39秒 | Weblog

ああ、ペチュニアさんがいてくれたなあ。

そう、ひょいと思った。

思ったら、こころがあたたかくなった。

日の当たるところでいっしょに日向ぼっこをして過ごした。

なんだか交流し合えた気分になった。

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白菜さんは、偉い。偉いなあ。

2019年12月16日 22時18分23秒 | Weblog

白菜さんは偉い。偉いなあ。

 

思わず、そう、言ってしまった。

 

充実してて、ずしりと重たいのだ。

 

夏の終わりに種を巻いた。水遣りを続けた。

 

発芽したら、肥料を加えて土作りをして、移植してあげた。

 

秋を過ぎ、冬になった。

 

寒い冬を耐えるために、外葉を重ねた。

 

ぐるぐる巻きに重ね、中心部の黄金を豊かに育て上げた。

 

これだけの充実を見るにはどれだけの集中力が必要だったのだろう。

 

どれだけの精進を要しただろう。

 

白菜さんは、黙々と熱い努力を重ねて来たのだ。

 

掌にずしりと来る重さだ。片手では支えきれない。

 

それを二個収穫して、午前中、二人の客人に差し上げた。

 

白菜さんは、偉い。偉いなあ。

 

そのとき、おもわず、ぼそりと感嘆の声が洩れてしまった。

 

白菜さんに聞かれてしまったかもしれない。

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ははははの母さまを称賛する。

2019年12月16日 19時44分50秒 | Weblog
わはわはわは。わははは。母さまははははをしておられる。豪快な母さま。笑い飛ばしておられる。

わはわはわはと笑っておられる母さまは、いい母さまである。その母さまの子らも、愉快を覚えて、愉快になれるだろう。

愉快はいい。不愉快であるほど、愉快が価値を発揮する。不愉快な世界を生きている者には、ずばり愉快が価値を発揮する。

ずばりとは、わはわはわはのことである。理屈抜きのわははは、わはははである。理屈にがんじからめにされていないということは、大切なことである。

これで抜け出せるのだ。わはわは、ははははの母さまを称賛する。

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今此処に仏が目の前に立って現れて来る、ために。

2019年12月16日 17時15分37秒 | Weblog
「現在仏悉在前立三昧(げんざいぶつざいぜんりゅうざんまい)」という三昧がある。精神統一法である。これで仏を見るのである。仏を念じて仏を見る方法である。
 
<今此処に仏が目の前に立って現れて来る>ために、念仏行者は一定の期間、常行三昧堂(じょうぎょうざんまいどう)に籠もって、三昧行(ざんまいぎょう)を貫く。仏と直流電流を通わせ合う。
 
「現在諸仏悉立三昧(げんざいしょぶつしつりゅうざんまい)」ともいう。阿弥陀仏を信じる浄土教の人たちはもっぱら阿弥陀仏と向かい合うことになる。<般舟三昧経(はんじゅざんまいきょう)>の中で説かれている。
 
そういう記事を本で読んだ。目がそこに立ち止まった。その場を想起して目の前がくらくらになった。
 
一定期間の常行三昧の後で、仏さまが目の前に現れて来れば、目が眩んでしまうだろうなあ。仏さまと対峙ができるだろうか? 
 
この世での光の明るさしか目にしていない者に、仏の世界の仏の光の明るさが、人間の目のままで探知できるだろうか? 
 
僕の場合なら、そこで一挙に目が潰れてしまうのじゃないかなと思う。でもすさまじいすさまじい感激だろうなあ。
 
(此処を書くために、このブログを書いているけど)
 
いずれは仏さまに出遭う。出遭うと思っている。信じていると言っていい。仏さまの導きなしには、死後の世界に行けないからだ。自力では行けないからだ。
 
だから、当然、仏さまが現れて来て下さることになる。そこが<現在>になる。<死後は未来>のようだが、そこが<現在>になる。
 
10
そして諸仏が目の前に立つ。光輝く諸仏の世界に出て、手を引かれて歩いて行くことになる。それしかない。
 
11
いまはまだ死後の世界ではなく、生きている世界である。煩悩界である。迷妄界である。光は、そこを照らしている。
 
12
そこを照らすほどの光の明るさで十分である。そこに居る。そこに生きている。
 
13
で、仏は、いまは山の形をして現れている。海の形をして現れている。空の形をして現れている。しかし、歴(れっき)とした仏であることに違いはない。
 
14
山は仏である。海は仏である。空は仏である。見るもの見るものすべてが仏である。
 
15
この世を生きながら、仏の世界を生きているからである。すべては現在に、光として、光の仏として、現前しているのである。
 
16
わたしはそういう理解をしている。感覚的な浅はかな理解である。
 
17
<現在諸仏悉在前立三昧(げんざいしょぶつしつざいぜんりゅうざんまい)>の楽しみを後に残しておく。
 
18
いったいぜんたいどんな楽しみだろう。どれだけ大きな楽しみだろう。死後は楽しみの連続だろうと思う。
 
19
生前も死後も諸仏のお計らいの中にある。諸仏のなさしめる運行の中にある。これは間違いのない事実だろうと僕は思っている。
 
20
私が自力でこの世界に生まれてきて、自力で仏の世界に進んでいけるとは思っていない。仏がわたしを守り、仏がわたしを導いているのである。
 
 
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佳作にやっと僕の名前が見つかった

2019年12月16日 17時06分03秒 | Weblog
あ、今日はN新聞の読者文芸詩部門の掲載日だった。一席相当の一人の作品しか載らない。

朝、息せき切って、新聞をコンビニまで買いに行った。1月間、期待していたが、僕の作品は載っていなかった。

佳作にやっと名前が見つかった。

10
がくんと肩を落とした。駄目だったのかあ。溜息をついた。

11
でも、もう機嫌を直している。ストレスにはなっていない。

12
仕方がないことは仕方がない。どうにもならないことはどうにもならない。諦めるしかない。
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今日はストレスもそんなに溜まってはいない

2019年12月16日 16時51分50秒 | Weblog
午後5時。うわ、もう日が暮れた。早い。市役所から5時のチャイムが流れて来た。

雨の音がしている。そんなにひどくはない。

午後からは外には出ていけなかった。家の中で過ごした。

野良仕事が出来なかった。

野良仕事は、私の場合、ストレス解消法の第一選択肢である。

ま、今日はストレスもそんなに溜まっていないから、いいか。


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今日はストレスもそんなに溜まってはいない

2019年12月16日 16時51分50秒 | Weblog
午後5時。うわ、もう日が暮れた。早い。市役所から5時のチャイムが流れて来た。

雨の音がしている。そんなにひどくはない。

午後からは外には出ていけなかった。家の中で過ごした。

野良仕事が出来なかった。

野良仕事は、私の場合、ストレス解消法の第一選択肢である。

ま、今日はストレスもそんなに溜まっていないから、いいか。


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<どっちも喜ぶ>というのはいいねえ。

2019年12月16日 16時35分18秒 | Weblog
さっきの黒豆の友人は、30分ほども離れたところからやって来てくれた。農業用軽自動車に乗って。にこにこして。

帰りも、だから30分ほども掛かっただろう。小雨の中を。用を済ませてにこにこして。もう自宅に着いている頃かな。すまなかったなあ。

奥様に報告をしている頃かな。「喜んでもらったよ。先方もちょうど待っていたようだよ。思い切って出掛けて行って、よかったよ。しばらく上がり込んでゆっくり一年分の積もる話をしてきたよ」そういう報告。だったらいいな。何だか想像が出来る。

<どちらも喜ぶ><他者を喜ぶ><喜ばせて喜ぶ>というのはいいなあ。滅多にないケースだよねえ。

スムーズに<よろこび>の受け取りができるというのはいいねえ。
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<どっちも喜ぶ>というのはいいねえ。

2019年12月16日 16時35分18秒 | Weblog
さっきの黒豆の友人は、30分ほども離れたところからやって来てくれた。農業用軽自動車に乗って。にこにこして。

帰りも、だから30分ほども掛かっただろう。小雨の中を。用を済ませてにこにこして。もう自宅に着いている頃かな。すまなかったなあ。

奥様に報告をしている頃かな。「喜んでもらったよ。先方もちょうど待っていたようだよ。思い切って出掛けて行って、よかったよ。しばらく上がり込んでゆっくり一年分の積もる話をしてきたよ」そういう報告。だったらいいな。何だか想像が出来る。

<どちらも喜ぶ><他者を喜ぶ><喜ばせて喜ぶ>というのはいいなあ。滅多にないケースだよねえ。

スムーズに<よろこび>の受け取りができるというのはいいねえ。
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<雨が降る日は天気が悪い>は、ほんとうか?

2019年12月16日 16時18分27秒 | Weblog
お昼からは小雨。天気が悪い。しょぼついている。

雨が降ったらどうして天気が<悪い>のだろうね?

お天気がいいのは、雨が降っていないとき。降ると天気が悪いと判断を下す。

いいも悪いも、雨が基準になっている。雨が鍵を握っている。

ちょっとおかしいかな、これは。いい悪いのレッテルを貼ってしまうのは。

でもこれは、重たくはない。軽い。<重罪に当たる>といっているのではない。さしあたりの不都合を嘆いているのだろうね。

雨が降れば、草や木はよろこぶ。大歓迎する。だから、彼らには雨降りは、<いい天気>の筈である。

人間は遊びに行けなくなる。ピクニックに行けなくなる。だから不都合。それくらいの判断基準で、<悪い>になっている。

雨の日には空が灰色になるからだろうか、それとも。判断をする人間の、気分が鬱陶しくなるからだろうか。

10
結論。
<いい><悪い>なんて、一方に偏っているんじゃないよね。すべては<本来空>なんだよね、もともとは。それを人間が、勝手気ままに<いい><悪い>を下しているだけなんだよね。勝手気ままな判断に、縛られなくていいんだよね。
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