<おでいげ>においでおいで

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わたしは仏と同じようにして敬われている

2013年02月16日 10時15分56秒 | Weblog
わたしが敬われているということはたしかなことです。

それも特大級に。

まるで仏陀そのひとを敬うが如くにわたしが敬われていました。

そうであるのに、わたしは横着にも、それをそうと受けとめないでいました。

それどころか、かえってそれをないがしろにして、憮然としていました。腹を立てていました。

    *

プランターに種蒔きをした山東菜が、遅く蒔いたのでまだ15cmくらいにしか伸びていませんが、それが薹をたてています。菜の花が明日にも開きそうです。プランター一杯の100本ほどもある菜の花のつぼみが、そよそよそよとそよ風を受けてそよいでいます。春のひかりが射し込んでいます。

これはみな仏陀です。姿を変えた仏陀です。

ここにわたしがやってきました。仏陀を見下ろしています。

    *

仏陀に下から見上げられてわたしは立っています。

    *

これでもまだ、<わたしは敬われていない>といってふくれっ面をしていてもいいのでしょうか?

    *

唯仏与仏 乃能窮尽 ゆいぶつよぶつ ないのうぐうじん

仏さまと仏さまのみが、すなわちよく窮め尽くす。

仏さまと仏さまの世界です、ここは。

仏さまと仏さまでなければこの世界の仏の法(真理・真実)は窮めることができません。

    *

そこへわたしが足を踏み入れています。

すると菜の花が100本も蕾を膨らませてわたしに仏の法の世界を垣間見せてくれました。

あなたもどうぞ、と菜の花が言います。

あなたもどうぞ仏さまの世界を窮め尽くしてください、と。

    *

仏法窮尽 ぶっぽうぐじん

仏法はすべての人におしみなく窮め尽くされたり。

    *

そよそよ そよそよ。

そよそよに窮め尽くされている仏法。

それをこの悪業深いわたしに見せていてくださる。
コメント
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