<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

何があっても、だから、恐れるな。

2020年12月31日 16時09分02秒 | Weblog

「今日は今日で、明日は明日。よろこべ。明日に繋がる今日をよろこべ」

今日は今日である。明日は明日である。

よろこべ。今日をよろこべ。明日をよろこべ。今日の一歩をよろこべ。

明日に繋がる今日をよろこべ。

すべては最上最高へ繋がっている、そうでないように見えても。縺れ合っていても。

その先へまたその先へ繋がっている。浮いたり沈んだりはするけれども、最高地点へ行き着けるようになっている。

何があっても、だから、恐れるな。

不如意。思う通りにいかなくなる時がある。しかし、それはそれでいいんだと思う。

足踏みしててもいいんだと思う。

進むばかりじゃなくていい、退いてもいい。停滞にも意味がある。損失ではない。利益するところも多い。

むしろそれは大事なことのように思う。

突進していくことも、突進をしないで立ち止まってみることも、大事なことなのではないか。

躓いても転んでも倒れても、起き上がれなくとも、いいのだ。

我が意のままになれないこと、それを体験することも貴重な体験なのだ。

運が悪いなんて思わない方がいい。戦いに敗れたなんて思わない方がいい。自己を責めない方がいい。

人間万事塞翁が馬だ。何か吉かは分からない。何が凶なのかも分からない。吉のための凶だったり、凶のための吉だったりもする。

人のするとおりではなくていい。自己流でいい。争わなくていい。

何処の道をどう歩こうと、すべての道はローマに通じている。目覚めの首都に通じている。超克の人間勝利に導かれている。

こころを病んでもいい。体を病んでもいい。地獄に堕ちてもいい。

負けてもいい。挫けてもいい。七転びすればそれだけ多くのの発見がある。八起きの感動が深く高く大きくなる。

時間は掛かるだろうが、そこを超えて行く。そこを通ったことが意味を持つときが来る。そこを超えて行くことができるのだ。その貴重な体験をさせられるのだ。

これは、選ばれた人にしかできないことなのだ。その人でなければならないような新しい世界に踏み入っていけるのだ。そこで始めて、行く行く己が嘗めた辛酸の意味が解けるのだ。

この老爺は仏教を仰いでいるから、すべてがお慈悲なんだと思う。仏陀になるための一歩なのだと思う。配慮なんだと思う。

人はみな等しく守られて導かれている。心配しないでいい。安心していていい。

どの道を行こうとそこも仏陀の智慧の道である。仏陀のお慈悲の道である。大いなる道である。仏陀になる道である。一本のまっすぐした道である。

晴れ晴れとしていよ。青い大空のようでいよ。広大な大空のようでいよ。屈折するな。尻込みするな。へこむな。萎縮するな。

助けが入る。きっと仏陀の助けが入る。菩薩の支えが入る。挫折をした者にはそれだけの愛情が布施されて来る。苦難の道を歩む者にはそれだけ多くの配慮が入る。

それを助けだと知ることができるようになる。苦難の道を歩もうと、それはそれで無駄ではないのだ。

この老爺はこれまでに何度助けられたことだろう。仏陀が助けに来てくれたのだ。尊いことだったのだ。

明けない夜はない。夜明けまでが暗いが、暗いときには安眠をむさぼっていればいいことなのだ。眠れる獅子になっていればいい。

また時が来る。朝日が昇る。光り輝く朝が来る。必ず来る。

10

若いときに苦労を嘗める。これはその人が選ばれた者だからである。

神は、背負いきれない荷物をお与えになることはない。背負いきれる者にしか荷物をお与えにはならない。

蹉跌を踏ませて頑丈になさるのだ。鍛錬をさせられるのだ。

その先その先を見て、神々はその人を導いておられるのだ。

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年が改まれば、やがて春が訪れてきます。

2020年12月31日 14時49分44秒 | Weblog

一挙に冷え込んできましたよ。いまは午後3時。おお、おお、寒い寒い寒い。もう外にはいられなません。逃げ帰ってきました。天気予報通りです。

 

クロッカス、ヒアシンス、チューリップの球根類を、玄関近くのプランターに植え替えていました。水撒きをして終わりにしました。

 

年が改まれば、やがて春が訪れてきます。そろりそろり、花が咲き出してくるのが楽しみです。道行く人も賞めてくださるでしょう。

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人恋うは思ふ通りの業ならねども、

2020年12月31日 10時20分45秒 | Weblog

ともかくこの一年、こうしてずっと畑に遊んでもらえました。

有り難いことでした。

寂しさを癒やしてもらえました。

畑はこんなよぼよぼよれよれの老爺でも愛想づかしをしないのです。

恋しくば畑に来ませ 人恋うは思ふ通りの業(わざ)ならねども   山鳩暮風

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畑に高菜の苗が放置されていましたが、

2020年12月31日 10時12分33秒 | Weblog

高菜の苗がまだ移植しないまま残っていました。昨日、そして一昨日、移植している途中でお客様が、数組、おいでになったのです。

で、応対に追われてそのままになっていました。畑の隅に根っこをつけたままで転がっています。

一晩二晩経過しました。

でも大丈夫。高菜の苗はへこたりません。そのままの緑色。したたかに健康を維持しています。

 

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大晦日の今日の一日を、いざ、溌剌の気分で。

2020年12月31日 10時05分19秒 | Weblog

よよよよ、お日様です。まぶしいくらいに外が明るくはなやかになって、輝いています。偉大なお日様です。自然界が一気に機嫌良くなります。もちろんこの老爺も、です。

では、大晦日の一日を溌剌として暮らしましょう。

といっている隙間から、今度は雪が落ちて来ています。垂直に。鉄の玉のように重々しく。

深呼吸をしましょう。胸いっぱい。そのときそのときの自然界のお恵みをおいしくいただきましょう。

 

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寒さで凍えていたんじゃないかと心配していましたが、

2020年12月31日 10時02分35秒 | Weblog

雀たちは大勢で庭に来て遊んでいます。雪を掻き分けて、餌場のくず米を食べています。寒さで凍えているんじゃないかと心配していましたが、元気です。

目白も飛んできました。

蜜柑を補給補足しなければなりません。ヒヨドリが此処を縄張りにして独占をしているので、すぐに食べ尽くされてしまいます。

小さな目白は追い払われてしまって、なかなか出番がありません。やっと出番が回ってきたときには、蜜柑が空っぽになっています。

みんな元気にしていてほしいです。

 

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これくらいの積雪なら外へ出ても行けそうですね。

2020年12月31日 09時59分46秒 | Weblog

積雪は深くはありません。うっすらと積もっています。それでも白銀のまぶしい世界です。

これくらいなら外へ出ても行けそうですね。杖をついて、雪を掻き分け、ゆっくり歩いても行けそうです。でも、アスファルトの道路は凍結していそうですね。

雪は止んでいます。風もありません。空にはまだ灰色をしていますけど。

 

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それをよしとしないわたしがいて、ふんぞりかえっていて、

2020年12月31日 09時49分23秒 | Weblog

この老爺は、この一年ずっと守られて来ました。有り難いことでした。今日のわたしを生きていられます。

 

良い方へ良い方へ導かれて来ました。有り難いことでした。わたしの考える良い方へではなく、仏陀の良しとされる良い方へ。

ですから、来る日も来る日も、その日が新しい一日です。

来る日も来る日も仏陀から拝領した新しい一日、良い一日になっているはずなんですが、それを良しとしていないわたしがいて、ふんぞりかえっていますよ。邪険に扱っています。

これだけ長く生かされてきながら、それでも飽かずに、我が身のよろこびかなしみ、苦しさつらさ、損得ばかりを最上段に掲げて、いつもいつも横着な傲慢を続けています。

 

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今日は大晦日。読者の皆さんのこの一年のご訪問を感謝します。

2020年12月31日 09時14分15秒 | Weblog

おはようございます。12月31日、大晦日です、今日は。

この一年、このわたしのブログ「おでいげにおいでおいで」を読んで下さった方みなさんにお礼を申し上げます。有り難うございました。新しい一年もどうぞよろしくお願いいたします。

我が家の畑の野良仕事のことしか書けなくて申し訳なく思っています。いい詩が書けるようになったらいいのですが。なかなかなかなか。新しい一年の課題です。

 

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わたしは反抗ができません。仏説に反抗ができません。

2020年12月30日 17時37分23秒 | Weblog

わたしには、抗って、抵抗して、仏を捻じ伏せるだけの、高邁な智慧はありません。反抗ができません。悔しいことですが、頷くばかりです。

ただただ聞くばかりです。聞いて頷くしかできません。

仏が語られた言葉、経典を開いて、唱えて、それを仏の言葉にして聞くばかりです。

理屈をつけることができません。解釈ができません。それをそうだと鵜呑みして頷くしかありません。

「あなたを助ける」と書いてあれば、助けられるばかりです。「あなたを救う」と書いてあれば、救われるばかりです。それで安心をもらうばかりです。

「それは間違っている」といって刃を振るうことはできません。

決まったとおりに「助けられて行く」しかありません。

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