<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

春の正客

2014年03月15日 12時54分55秒 | Weblog
お天気がいいなあ

風もない

あふれているのは菜の花の光

わたしをよろこばすために

春が着飾って

ここへ降り立って来たので

それに合わせて

こころが浮き浮きしてくる

着飾った春の装いを

間近に見るには

外へ出てみるのがいいだろう

それがいいだろう

浮き浮きした足取りで

歩いてみよう

招いた春の正客になって
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大きな大きなこころ

2014年03月14日 22時46分56秒 | Weblog
外はじゃんじゃん
大雨が降っている

窓のうちで
わたしは大雨に負けないくらい
じゃんじゃん
大泣きをしていたい

お母さんを亡くして
つらくなったからではなく
かなしくなったからではなく

お母さんが
わたしのお母さんであったのが
うれしくてならないから

お母さんを
わたしのお母さんにしてくれた
大きな大きなこころが
今頃になってやっとやっと
うれしくてならないから
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用意はすべて整っている

2014年03月14日 22時20分28秒 | Weblog
きみは
いつになったら
よろこぶようになるんだい?

空がそう尋ねました

ガラス窓に映った顔は
たしかに
不機嫌な暗い顔でした

いつでも
きみが
よろこべるようにしてあるんだよ

用意は
すべて整っている

空が言いました

顔が
春の空を見上げました

ずっとずっと
向こうの方までも
空の言う通り
明るく
澄み切っているのでした
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わたしに繋げるためのいのちのバトンだった

2014年03月14日 20時55分37秒 | Weblog
いのちのバトンをわたしに繋ぐために、
いったいどれだけの人がいて、
その時その時で暮らしを立てねばならなかったのか、
その膨大な数のいのちの営みのことを
今日はどうしたことか一日ずっと思い巡らしていた。

わたしにバトンを繋ぐために、
という明確な意図を
上流のすべてのいのちの生き物たちが
抱いていたわけでは、もちろんあるまい。
が、結果的にはそうなるのだ。

たった一人が途中で列を外れてしまっていたら
いまのわたしには繋がらなかったのだ。
すべての人が一度も棄権をせずに
ただただ「わたしへわたしへ」の合い言葉を唱えながら
男になり女になりして役割を果たしてこられたのだ。

かれらはわたしのいまのいのちへ繋ぐために
いのちの火を燃やし続け
その時その場で営々と暮らしを立てて来たことになる。

ずいぶんご苦労をなさったに違いない。



でも
そのわたしは
ではここでどう生きているか?

何十何百億人分かのいのちの集約をかなえているか?

わたしのために
わたしにいのちをつなぐために
ひたすらこの長い道のりを走ってこられた多くのいのちの大群の
その波頭の頂点に位置しているわたしのいのち。

そのわたしのいのちは
それだけの人たちの願いを叶えて生きているか?
祈りを生きているか?

それを思ってしまったのだ。



それぞれの先祖たちは
何百年後の子孫のことなど
実際には頭にはなかったにちがいない。

自分一代のいのちを生ききることで
精一杯だったにちがいない。

であれば、わたしだって
それでいいはずである。
めくらめっぽうに
その場その場を生きて
生き凌いでいてもいいはずである。



今日は先祖からわたしへの川の流れのことに
思いが至ったけれども、
当然ながら
これから先の
未来の
数限りない子孫のことも
同じように
滔々たる川となって流れていくはずである。



最後に
わたしたちは
共同意識体であるという説に
賛同をしておきたいと思うのだ。

直接こどもをつくらなくたって
子孫は繋がっていくのだ。

その時その時の社会というものが
共同参画をして
次世代のこどもたちを養ってきたからである。
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実はわたしも宇宙なのです

2014年03月13日 10時23分31秒 | Weblog
<宇宙は完璧である>=<わたしは完璧である>

といったことを、数日前にここで書きました。

補足をします。



はい。

わたしを完璧にしようとしているのが

それが宇宙です。

宇宙の意思です。



宇宙が完璧であってはじめて

この意思が

わたしに向かって働いて

届いてこれるのであります。



はい。

そういうわけで

実はわたしも宇宙なのです。

宇宙の意思の及ぶところにいるわたしもまた

押しも押されもせぬ宇宙であります。



<宇宙が完璧である>=<わたしが完璧である>

だなんて

え、

嬉しいじゃありませんか。

ね。

でしょう?



嬉しいには違いありませんが、

あなた

ちょっと情に流されていませんか?

うん、

理路整然と言うわけにはいっていませんねえ。



<宇宙が完璧である>=<わたしが完璧である>

これはダンマであります。

仏陀の説かれた法=ダンマ=真実であります。



またぞろ情に流されてしまうそうですが、

わたしを<完璧>に向かわせようとして

宇宙の完璧が働いているということを

考えているだけで

かたじけなくてかたじけなくて

わたしは泣けてきます。



<わたしが、宇宙の完璧さの具体的な姿として、完璧である>

ここまで推論をしてきましたが、

ここでストップ。

わたしの日々の実体は

これとは真反対です。

あまりの違いようです。



それでもわたしは

<わたしが完璧である>という説を曲げません。

ここに存在していること、

ここに生きていること、

宇宙とともに生かされていること、

それがとりもなおさず

宇宙中のすべての完璧な条件を満たしていなければ

起こりえないことだからです。

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仏さまのおよろこびよう

2014年03月12日 21時12分43秒 | Weblog
ブッダン サラナン ガッチャーミー
ダンマン サラナン ガッチャーミー
サンガン サラナン ガッチャーミー

わたしは ほとけさまに 帰依いたします
わたしは ほとけさまの説かれた法に 帰依いたします
わたしは ほとけさまに帰依し 法に帰依する人たちに 帰依いたします

今夜は仏教徒が唱えている上記の「三帰依文」のことが思い浮かびました。



わたしがこうして
ほとけさまに帰依をいたしますと
ほとけさまが
わたしに帰依をなさいます

あろうことか
あろうことか
ほとけさまが
わたしに帰依をなさいます

ほとけに帰依をした者は
一人残らずほとけだから
ほとけさまが
わたしに帰依をなさいます



ここは
ほとけさまがおられるところです
ここは
ほとおけさまの法が満ち満ちているところです
そういうわけで
ここは
ほとけさまをよろこび
ほとけさまの法をよろこぶ人たちの
仏国土=お浄土ですので
互い互いに帰依をし合うのです



帰依とは
わたしの不安がなくなること
帰依とは
わたしがおだやかな目を見開くこと
帰依とは
よろこぶこころを持つことです

わたしをご覧になるほとけさまの
およろこびよう
わたしたちをご覧になるほとけさまの
およろこびよう
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死人に涙はないけれど

2014年03月12日 20時37分40秒 | Weblog
なにごとの
おはしますかは
しらねども
かたじけなさに
涙こぼるる

(この歌の作者を失念してしまった)

今夜はこの歌をひもどこうと思う。



それがどんなお方で 
誰であるのか
わたしは知らないが
そこにいてくださるということを
わたしは知ってしまった

それからが
ただただ
かたじけないのである
涙がこぼれてしまうのである



わたしの
この世での力量を
その方から
問われることは
一度もなかった

一度もなかったが
かたときも離れず
わたしを
守り通された
導き通された



その尊いお方が
誰であるのかを
わたしは知らない
そのかけがえのないお方の
お顔さえ見たこともない

それで何事もなく
毎日がすんでいるが
それでもまったく
おかまいなしなのだ



難しい条件は
つけられなかった
わたしがここに
生まれて来たら
息を吸うことができたのである

わたしが
静かに息を吐き終われば
わたしは死んでいけるのである
そうすれば
わたしの死が完成をするのである



わたしの死を
完成させるのは
あのお方であって
わたしではないのである

死人に涙はないけれど
あのお方が
わたしの死の完成の
尊さとかたじけなさに
涙を流されるのである
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山は仏である

2014年03月12日 20時20分57秒 | Weblog
山川草木 悉皆成仏

(さんせんそうもく しっかいじょうぶつ)

山川草木
みなことごとく
はや仏に成りたまふゆへに
かくは美しかりき



山は仏である
川は仏である
草は仏である
木は仏である

これから仏になろう
としているのではなく
いますでにまさしく
仏である

それぞれが行をすませ
さきに仏に成って
わたしを
待ち受けていたのだ

そうでなければ
わたしが
ここに生まれて
息をしてなどできなかった

そうでなければ
わたしがここで
仏に成る行をすることなど
できないことであった

仏の山が
わたしに向き合い
仏の川が
わたしのかたわらを流れ下り

仏の草が
わたしをなぐさめて花を着け
仏の木が
わたしをはげまして立っていた
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お見舞いを有り難う

2014年03月11日 23時17分21秒 | Weblog
K君ありがとう。

昼間、きみは僕の家の玄関に立った。

親戚宅へ行った帰りだと行って立ち寄ったのだ。

僕がこのところ体調を崩してずっと意に染まぬ暮らしを強いられているので、

見舞いにやってきたのだ。

「よお、どうしてる」

「少しはいいかい」

「早く元通りになってまたいっしょに遊ぼうよ」

親戚宅で分けてもらった2箱の上等イチゴのうちの1箱と、

おもらいしたザボンと、借りて耕している畑でとれたばかりのキャベツとを置いて、

彼は早々に立ち去っていった。

きみが僕の見舞いにやってきたのは、この1月でもう3回目だ。

K君ありがとう。

僕はきみが去った後、しばらく玄関先に立ち尽くしていた。

ハクモクレンが蕾をふくらませていることに、このとき初めて気がついたのだった。

曇り顔なんかしているんじゃないぞ、僕は僕にそう言い聞かせ、

幾分か明るい顔を取り戻してゆっくり春の空を仰いだ。
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驚きまくり嬉しがりまくる

2014年03月11日 13時49分19秒 | Weblog
どうしてもこれからの行く末が気になってしまうんですよ。

行く末って?

うん、肉体という目に見える形を失った後のこと。



目に見なくなったら、即、存在していないということになるんだろうかね。

そんなことはないように思うね。



いまの僕だって、その僕を構成しているものは、形になれないものも含まれて、

それでバランスがとれて、成立しているんだからね。

たとえば、形をとれるものが50、形をとれないものが50。合わせて100.



目に見えて形があるものにしか、その存在を認めようとしないところがあるからね、僕らには。

でも、それは全体の半分。

物質として固定されているものが半分。固定されないものが半分。

固定されていない半分は、自由自在を楽しんでいる。



固定されていない半分は、これは全体宇宙につながっていて、

広さ深さ高さという面では、物質の肉体とはくらべものにならないところがる。

これは共通意識とでもいっていいようなもので、わたしのものという個人所有に囚われないでもいいところがある。

だから、悠然としてもいる。



悠然として不生不滅だ。生じたり滅したりはしない。

生じたり滅したりはしないから、安心していい。安心しているから悠然としている。



物質にしか生滅はないのだからね。



生じもしない、滅しもしないわたしのエッセンス。

それが、この先どうなっていくかだよ、僕の関心事は。

これまでの物質としてのわたし、肉体としてのわたしと、それを脱いでしまった後に、わたしのエッセンスがどうやって暮らしを立てていくのか。



そりゃ、束縛を離れたのだから、悠然としているよ。



旅をするだろうな。

銀河鉄道に乗って宇宙の果てまで旅をするだろうな。

銀河鉄道も宇宙も、しかし、物質界の中ではない。



僕は仏教徒だから、そこに法(ダンマ)として存在する仏陀の国、お浄土を想定する。

キリスト教的な表現をすれば、光と愛のスペース・ワールドだ。



そこへ行って、じゃ、何をするの?



うん。驚きまくる。

へえ、へええ、そうだったのか。ふうううん、知らなかった。それを激白して驚き回る。

そして嬉しがるのさ。

これまでよろこぶのをためらっていたその蓄積がヒマラヤの山ほどもあって、

ここではもうためらうことなく、素直に従順によろこぶ。



それをつぶさに教えてくれる学校があって、僕はそこへ通学する。

もちろん、先生役は仏陀だ。ガンジス川の砂の数ほどの仏陀先生が次々にやって来て、講義をしてくれる。

僕は、毎朝ここできらきらきらきらして過ごすことになる。

あんまりきらきらするから、僕の目玉が急膨張をして、僕は目玉だけになっているのかも知れない。
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