<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

わたしは無明愚痴をもって流転の身体としている

2018年01月31日 19時01分33秒 | Weblog

我等愚痴身 曠劫来流転       浄土真宗経典「帰三宝偈」より

がとうぐちしん こうごうらいるてん

我等は愚痴身なり 曠劫よりこの方流転す

辞書によると、「曠劫(こうごう)」は仏教語で「極めて長い時間」を指す。

「流転」は、仏教語で「生まれ変わり死に変わりして窮まりないこと」。「流転輪廻」の熟語で用いられることが多い。これは「衆生が無明の惑いのため、生死の迷界を流転して窮まりないこと」を指す。「無明」とは、これも仏教語で、「真理に暗いこと、一切の迷妄・煩悩の根源」「生死流転」とも言う。これは「頑迷な衆生は自分の業力によって、生死の迷界から逃れられないこと」を指す。

「愚痴」も仏教語で、「理非の区別のつかない愚かさ」を指す。「愚痴邪見」の熟語がある。(以上、電子辞書に頼った)

我等衆生は、仏智・仏智見を得られない間は、みな愚痴を身体としている。生まれても死んでも同じようにただ無明の闇を彷徨い歩いて行くばかりで出口がない。その流転の己の姿も、しかし、見抜けない。曠劫という長い長い時間を流転し、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天の六道輪廻しても、迷っていること事態を理解していない。仏智・仏智見を得られない間は。

(これは俗さぶろうの受け取りである。故に正論ではない)

曠劫を生死して生死して、生きて死んで生きて死んで、生きても死んでも迷いの流転を繰り返していく。それはわれわれが無明愚痴を身体としているからである。では、その治療法はないか。仏陀の教え=仏法に遇うことである。いや、その前に、我々の正体を見届けておくことである。正体とは? 「愚痴身である」という事実解明である。

生きても死んでも、死んでも生きても、迷界流転を出られない、とすれば、なんともったいないだろう。せっかく生まれて今を生きているのだ、どうにかならないだろうか?

経典はこの後もまだまだ続いていく。

 

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それをわたしの内部外部に見ることができたら

2018年01月31日 14時44分39秒 | Weblog

請願遙加備 念々見諸仏      浄土真宗経典「帰三宝偈」より 

しょうがんようかび ねんねんけんしょぶつ

請い願わくは、遙かに加備したまひて、念々に諸仏に見(まみ)えんことを。

どうか、遠く近くわたしを加護し万物を備えさせたまいて、一念一念、仏を念うたびごとに、この世に満ち満ちる仏たちのハタラキを、そこにあるがままに、見ることができますように。       (これはさぶろうの訳。いい加減な訳)

遙かに仏の加護を忝くしていなければ、わたしはそこには行き着けない。そことは仏の姿を見ることのできる場所だ。仏のハタラキがハタライテイル場所だ。それは此処だ。わたしが生きている場所、此処だ。わたしは見ていないというかもしれない。そのわたしに、働きかけて働きかけて、わたしに諸仏の姿、この世に満ち満ちている多くの仏たちの真心が見られるようにして下さい、そういう祈りを祈る者がいるのである。

もう一度言うが、わたしは傲慢であるから「仏を見ていない」と言い続けるかも知れない。「生きている間一度も見なかった」と主張するかもしれない。それで押し通してゴネガチをするかもしれない。一念一念に、しかし、仏のハタラキをわたしの内部に外部に見ることができたら、どんなにか味わい深い人生になるだろう。そうしている人たちがいるはずである。

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それを思ってふっと静かになる

2018年01月31日 14時27分56秒 | Weblog

どうしてこうも、何から何までうまく運んでいくんだろうかね。何から何まで巧く回っているんだろうかね。実に不思議だ。そういうふうに思うことがある。人体の秘密だ。わたしが健康を維持していることだ。この年齢まで生き延びたことだ。体の隅々まで真っ赤な血が流れていることだ。ものが目に美しく見えていることだ。耳に世界中の動きが聞こえていることだ。それをそうさせない障害物がどれだけたくさんあっても、それを乗り越えている。そしてその上々の結果をわたしに届けてきている。

わたしはどんな努力をしているというのでもない。黙っているだけだ。そうであるのに、全世界がわたしに向かって流れ込んで来ている。大小の川がわたしに流れ込んで来ている。わたしにそれを「活用せよ」というサジェスチョンをしている。であるのに、「活用」はしていないかもしれない、わたしは。不活用のままにして、また流し去っているだけかもしれない。それでもいい。其れでも次から次に新しい「活用の資源」が流れ込んで来ている。

それを思ってふっと静かになる。それほどまでに大事にされている自分であるのに、ちいともそう思ってもいないわたしがいる。横柄な口をきいている。横着な顔をしている。

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憑くとか憑かないとか言うが、何だろうかね

2018年01月31日 13時41分45秒 | Weblog

うまくいったときに、われわれはよく「憑いているなあ」という。そういう表現をする。では、何が憑いているのだろう? その「憑きもの」の正体は何? 適格には掴めない。でもともかく目覚ましくいい方向へ動いていく。幸運としかいいようがない。

たぶんそれは後方でいわゆる「正義の味方」に回ってくれている何物か、だよね。目には見えていないかも知れない。あまりにも誠実な、健気な、一途な生き方暮らし方をしている人を見て、もうじっとしていられない、後方支援をしたくてたまらない、守りたい、背中を押したいというふうになるのだろう。この空間にはたしかにそういう意思を持つ「大いなる存在」「善なる存在」が、いるんだろうねえ。いるように思える。

「憑かない」ともいう。逆のケースの時だ。何をやっても巧く行かない、そういう時がある。「おれは憑いていないなあ」と嘆く。がっかりする。肩を落とす。決まって、背後に応援部隊を感じないときだ。前方に導き手を得ないときだ。ギャンブルで大負けしたときなどにそういう台詞が聞かれる。

なんだろうね。憑くとか憑かないとか。そういうふうに感じているだけだろうかね。其れは単なるフィーリングなんだろうか。己の努力はしないでおいて、それを当てにするだけではいけないだろうけど。神の加護を願って祈る、祈りは世界中何処ででも行われていることだ。祈ると言うことは、そういう摩訶不思議な、得体の知れないパワフルな存在の援護を請うことでもあるのかもしれない。

「ああ、自分はいつも憑いているなあ」という実感をもって暮らして行けたらいいだろうなあ。「導き」「後押し」、目に見えない援護パワー、それを己の全方位にムズムズと感じて。

 

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ジョウビタキがすぐ近くまで来ている

2018年01月31日 12時59分05秒 | Weblog

お昼を食べた。一人で。ものも言わずに。何を食べた? 塩ラーメン。小葱と白菜と卵を加えて。それに、ご飯を少しスープに落として。掻き混ぜて。おいしかった。汗を掻いた。着ている者を脱いで脱いで、下着一枚になった。ご飯を食べ終わったら、歯を磨いた。

炬燵に座る。少し淋しいね。淋しさを慰めるためのヒーリング音楽を聞いている。これで改善するだろう。もうすぐしたら、出て行こう、ぶらりと。何処へ? 宛てはない。

ジョウビタキがすぐ近くまで来ている。窓の向こう、ベランダの自転車のハンドルに止まって、こっちを見ている。この小鳥は人間を恐がらない。親密的。尻尾を細かく動かす。腹の毛の色は茶色。紋付き鳥とも呼ばれる。遊んでくれるというのかな?

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なるほど巧くできているねえ、絶妙だ

2018年01月31日 10時17分57秒 | Weblog

霜が解け始めました。日光というのは偉大だなあ。暗かったところを明るく出来るし、冷たかったところをあたたかく出来る。こうでなくちゃねえ。

でもずううっとこうというわけにはいかない。やっぱりふたたび暗くならないといけない。冷たくならないといけない。

そうでないと、折角の威力が次にもう一度発揮できない。やっぱり右へ左へ行き来していていいことになる。

その落差があるから、日光の威力というのをその都度に感じられる。ああ、いいなあという感歎が出来る。

ずううっと気温が上がると今度は暑い熱いということになる。ずううっと明るいと眠られなくなる。なるほどよく出来ているねえ。絶妙だ。

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今夜はめずらしいブルームーンが眺められるそうな

2018年01月31日 09時33分47秒 | Weblog

今夜はめずらしいブルームーンが見えるそうです。それもでっかく。新聞にその記事がありました。九時頃からは皆既月食も見られるとか。ブラックムーン兼スーパームーンにもなるのだとか。忘れずに、外へ出て行ってじっくりゆっくり眺めて確かめたいものだ。

でも、けろりと忘れてしまうかも。夜が来たらいつもの如く、早々と眠りこけてしまうかも。一応、対策としてメモ帳には書き込んだのだけれど。これとて、あてにはならない。時間が経過すれば、そのメモ帳を何処かへ忘れてしまうのだから。

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其の人が死なずに生きていれば、今日は何をしただろう

2018年01月31日 09時31分26秒 | Weblog

今日は1月の晦日です。明日からは2月です。さあて、わたしは何をすればいいのかなあ。何かしなくちゃ。何かしなくちゃ、死んだ人に申し訳がない。死んだ人は生きたかったはず。その人が死なずに生きていれば、では、何をしただろうか。どうしてもどうしても生きて、したいことって何なんだろう。是非にと思うことは何なんだろう。案外、なんにもしないでゆっくりしていることかもしれないけど。

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二日酔いが祟って 今朝はお粥

2018年01月31日 09時28分27秒 | Weblog

二日酔いが祟って、今朝も食欲が起き上がりません。で、お粥を作ってもらいました。それも三分がゆほどの薄いものを。高菜の一夜漬けの刻んだのをさらさらさらと搔き込んで終わりでした。

おいしく楽しくわいわい飲んでいるときはいいんだけど。ね。後がタイヘン。それを見越せない。

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死んだらおはようございますも言えなくなるんだね

2018年01月31日 09時10分31秒 | Weblog

どなたさまも、おはようございます。死んだら、この「おはようございます」も言えなくなります。たったの一言の「おはようございます」も。そういうふうに見直し作業をすると途端に発する一言が輝きだして来ます。不思議です。死ぬってことにはそれだけの威力があるんですね。凄まじいパワーです。このパワーを生きている間はずっと近くに引き寄せて駆使できるようになっています。これも凄まじい。

今朝は霜が下りています。隣の家の裏屋根が真っ白になっています。遊んでいる雀が滑り落ちそうです。

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