10月14日に唐津市民会館で開催されると聞きました。13時半からコスモスの小島ゆかりさんが講演をされるそうですから、聞きに行きたいなと思っています。その後に短歌大会が催されるのでしょう。わたしは投稿をしていません。小島ゆかりさんのファンとしてはやっぱり話を聞きに行かなくちゃ、ね。北原白秋と同人4人の「五足の靴」。記念大会はもう何年も続いているようですね。
此の岸を彼の岸と見て誉むるべしあかあかやあか野の彼岸花 釈 応帰
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彼岸花が咲いています。咲き乱れています。先日棚田に行きました。棚田の畦道という畦道がどこも真っ赤でした。これほどに此の岸を赤く染めて美しくしようとする花の心を汲みたいと思いました。
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ここは彼岸ではありません。彼岸は仏の国土のことです。仏が建設された理想の浄土を彼岸といいます。ここはわたしたちの娑婆世界です。仏国土の彼岸を美しく荘厳しているのが彼岸花です。であるのに、娑婆世界を荘厳(しょうごん)せんとして真っ赤な真っ赤な彼岸花がわたしたちの住むここに咲き誇っています。
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仏国土を美しく荘厳することにも意義があります。でも汚れに満ちた娑婆世界を美しく荘厳しようとすることにも意義があります。彼岸花は、はたしてどちらに高い意義を見つけたのでしょう?
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彼岸花が咲いています。咲き乱れています。先日棚田に行きました。棚田の畦道という畦道がどこも真っ赤でした。これほどに此の岸を赤く染めて美しくしようとする花の心を汲みたいと思いました。
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ここは彼岸ではありません。彼岸は仏の国土のことです。仏が建設された理想の浄土を彼岸といいます。ここはわたしたちの娑婆世界です。仏国土の彼岸を美しく荘厳しているのが彼岸花です。であるのに、娑婆世界を荘厳(しょうごん)せんとして真っ赤な真っ赤な彼岸花がわたしたちの住むここに咲き誇っています。
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仏国土を美しく荘厳することにも意義があります。でも汚れに満ちた娑婆世界を美しく荘厳しようとすることにも意義があります。彼岸花は、はたしてどちらに高い意義を見つけたのでしょう?
山頭火の自由律俳句を幾つか味わうということで、このブログを立ち上げたけれど、さて、なかなか続かない。読者が見えてこないことが辛い。なあんだ、独り相撲なのかと思って力が湧かないのだ。メモをするくらいなら、わざわざブログで発表する必要はない。まるで宙を掴むようだ。こちらが面白いことを書いていない、表現も上手くない、それもたしかに読者がつかない理由だが。
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雀が鳴いている軒下に来て雀と遊ぶ 釈 応帰
雀の方では人間と遊ぶ気は毛頭なかろうが、遊び相手のいない当方では、雀を相手にするほかにない。遊ぶと行っても踊るわけではない。ままごとをするではない。こちらが勝手に親近感を抱いて見ているだけである。さみしい。寂しさを慰めねばならぬ。ちょうど冷えた体を日当たりにきてあたためるように。
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冷えたからだとこころをあたためるには、ブログの風呂は効き目があることくらいは分かっているのだが・・・
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雀が鳴いている軒下に来て雀と遊ぶ 釈 応帰
雀の方では人間と遊ぶ気は毛頭なかろうが、遊び相手のいない当方では、雀を相手にするほかにない。遊ぶと行っても踊るわけではない。ままごとをするではない。こちらが勝手に親近感を抱いて見ているだけである。さみしい。寂しさを慰めねばならぬ。ちょうど冷えた体を日当たりにきてあたためるように。
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冷えたからだとこころをあたためるには、ブログの風呂は効き目があることくらいは分かっているのだが・・・
そんなことは
ほんとうはどうでもいいことなんだ
僕はそれをするために
ここへ来たんじゃなかったんだ
しないでいいことを
どれだけたくさんしてきたことか
ほんとうにしておきたいことは
あとまわしにあとまわしにしてきた
目をつぶってみる
深呼吸をする
それじゃない
これじゃない
それはしないでもいい
これもどうしてもというわけではない
死ぬ前に
どうしてもしておきたいこと
それをしておこう
秋が来て夕焼けが
西の空を染めている
ここで見ることのできる美しいものを
美しく見ておきたい
ここへ来たのは
このことのためだったような気持ちがした
ほんとうはどうでもいいことなんだ
僕はそれをするために
ここへ来たんじゃなかったんだ
しないでいいことを
どれだけたくさんしてきたことか
ほんとうにしておきたいことは
あとまわしにあとまわしにしてきた
目をつぶってみる
深呼吸をする
それじゃない
これじゃない
それはしないでもいい
これもどうしてもというわけではない
死ぬ前に
どうしてもしておきたいこと
それをしておこう
秋が来て夕焼けが
西の空を染めている
ここで見ることのできる美しいものを
美しく見ておきたい
ここへ来たのは
このことのためだったような気持ちがした
あなたは
彼岸花を見つけてはしゃぐ
彼岸花にも蕾があったのねと
他愛ない発見をして
わたしたちは夕暮れの山道を
下りて行く
谷川が細く流れていて
川岸に
赤い彼岸花が
迎え灯籠のように
一列になって灯をともす
うしろから幾組ものパーテイーが
乾いた靴音を響かせながら
追い越してゆく
奥の院への参拝をすませた人たちも
まじっている
あなたはなんどもなんども
近寄っていっては
彼岸花には蕾があったのね、と
はしゃぐ
そうすることで
自分の感情をコントロールする
あなたがいることで
明るい秋は
こうしていっそう明るくなって
一日の終わりの空を
染めていった
彼岸花を見つけてはしゃぐ
彼岸花にも蕾があったのねと
他愛ない発見をして
わたしたちは夕暮れの山道を
下りて行く
谷川が細く流れていて
川岸に
赤い彼岸花が
迎え灯籠のように
一列になって灯をともす
うしろから幾組ものパーテイーが
乾いた靴音を響かせながら
追い越してゆく
奥の院への参拝をすませた人たちも
まじっている
あなたはなんどもなんども
近寄っていっては
彼岸花には蕾があったのね、と
はしゃぐ
そうすることで
自分の感情をコントロールする
あなたがいることで
明るい秋は
こうしていっそう明るくなって
一日の終わりの空を
染めていった
秋はいい
空がいい
澄み切った空がいい
静かな水がいい
水辺の草がいい
いいばっかりの中に
わたしがいる
わたしを
いいばっかりの中に
おかしめられているのは
なぜなのか
わたしにはわからないのだけど
雲がいい
山がいい
山から見おろす野原がいい
空がいい
澄み切った空がいい
静かな水がいい
水辺の草がいい
いいばっかりの中に
わたしがいる
わたしを
いいばっかりの中に
おかしめられているのは
なぜなのか
わたしにはわからないのだけど
雲がいい
山がいい
山から見おろす野原がいい
どうして
こんなに
いい匂いが
するのだろう
ほんとうに
どうしてこんなに
いい匂いがするのだろう
山を歩いたらね
甘いいい匂いがしたんだ
立ち止まって
見渡したら
そこに
葛の花がね
咲いていたんだ
うっとりうっとりして
立ち止まったよ
どうして
こんなに
いい匂いがしたんだろう
ほんとに
どうしてこんなに
甘いいい匂いが
ぼくを包んだのだろう
こんなに
いい匂いが
するのだろう
ほんとうに
どうしてこんなに
いい匂いがするのだろう
山を歩いたらね
甘いいい匂いがしたんだ
立ち止まって
見渡したら
そこに
葛の花がね
咲いていたんだ
うっとりうっとりして
立ち止まったよ
どうして
こんなに
いい匂いがしたんだろう
ほんとに
どうしてこんなに
甘いいい匂いが
ぼくを包んだのだろう
ほんとうの賢人は賢さを外に表さないでいられるから賢者かどうかは分からない。むしろ愚者のようにしている。賢さが進むほど、賢さが否定されて大愚になってゆく。良寛さまはご自分のことを大愚良寛とされた。なまじっかの賢人はおっそろしく己を賢人にして登場する。愚かなことだ。
「NHK短歌」をテレビで見た。山崎方代の次の短歌が紹介された。
☆ 不二が笑っている石が笑っている笛吹川がつぶやいている 山崎方代
詩だ、これは。絵だ、同時にこれは。彼は生まれ故郷が甲府。生涯家を持たず娶らず好き放題に生きた作者が、老いてそこへ帰ってきて、山と川が目に留まった。
彼の名の<ほうだい>は好き放題に生きよという父の思惑だったという。笛吹川は、さて、どうつぶやいていたのか。つぶやいているのは、笛吹川も彼も同じだったのだ。枠をはみ出した男の短歌らしからぬ短歌だ。
☆ 不二が笑っている石が笑っている笛吹川がつぶやいている 山崎方代
詩だ、これは。絵だ、同時にこれは。彼は生まれ故郷が甲府。生涯家を持たず娶らず好き放題に生きた作者が、老いてそこへ帰ってきて、山と川が目に留まった。
彼の名の<ほうだい>は好き放題に生きよという父の思惑だったという。笛吹川は、さて、どうつぶやいていたのか。つぶやいているのは、笛吹川も彼も同じだったのだ。枠をはみ出した男の短歌らしからぬ短歌だ。
取り分があるとすれば、己の取り分はどれだけのものか。畑に茄子とピーマンが実る。もはやすでに、己の取り分を超えて取ってしまっているのではないか。過分な秋の実り。空が青く澄んでいる。夕暮れは赤く染まっている。己は取り分を主張しているのだが、ほんとうに己の取り分というものはあったのか。それも怪しくなってくる。