<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

五足の靴唐津短歌大会が

2006年09月30日 18時02分57秒 | Weblog
 10月14日に唐津市民会館で開催されると聞きました。13時半からコスモスの小島ゆかりさんが講演をされるそうですから、聞きに行きたいなと思っています。その後に短歌大会が催されるのでしょう。わたしは投稿をしていません。小島ゆかりさんのファンとしてはやっぱり話を聞きに行かなくちゃ、ね。北原白秋と同人4人の「五足の靴」。記念大会はもう何年も続いているようですね。
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此の岸を美しく飾る彼の岸の花 彼岸花

2006年09月28日 19時57分58秒 | Weblog
 此の岸を彼の岸と見て誉むるべしあかあかやあか野の彼岸花   釈 応帰

     *

 彼岸花が咲いています。咲き乱れています。先日棚田に行きました。棚田の畦道という畦道がどこも真っ赤でした。これほどに此の岸を赤く染めて美しくしようとする花の心を汲みたいと思いました。

     *

 ここは彼岸ではありません。彼岸は仏の国土のことです。仏が建設された理想の浄土を彼岸といいます。ここはわたしたちの娑婆世界です。仏国土の彼岸を美しく荘厳しているのが彼岸花です。であるのに、娑婆世界を荘厳(しょうごん)せんとして真っ赤な真っ赤な彼岸花がわたしたちの住むここに咲き誇っています。

     *

 仏国土を美しく荘厳することにも意義があります。でも汚れに満ちた娑婆世界を美しく荘厳しようとすることにも意義があります。彼岸花は、はたしてどちらに高い意義を見つけたのでしょう?  
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冷えたからだをあたためるブログの風呂

2006年09月28日 10時12分46秒 | Weblog
 山頭火の自由律俳句を幾つか味わうということで、このブログを立ち上げたけれど、さて、なかなか続かない。読者が見えてこないことが辛い。なあんだ、独り相撲なのかと思って力が湧かないのだ。メモをするくらいなら、わざわざブログで発表する必要はない。まるで宙を掴むようだ。こちらが面白いことを書いていない、表現も上手くない、それもたしかに読者がつかない理由だが。

     *

 雀が鳴いている軒下に来て雀と遊ぶ    釈 応帰

 雀の方では人間と遊ぶ気は毛頭なかろうが、遊び相手のいない当方では、雀を相手にするほかにない。遊ぶと行っても踊るわけではない。ままごとをするではない。こちらが勝手に親近感を抱いて見ているだけである。さみしい。寂しさを慰めねばならぬ。ちょうど冷えた体を日当たりにきてあたためるように。

     *

 冷えたからだとこころをあたためるには、ブログの風呂は効き目があることくらいは分かっているのだが・・・  
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しないでいいことをしないで

2006年09月23日 23時52分15秒 | Weblog
そんなことは
ほんとうはどうでもいいことなんだ

僕はそれをするために
ここへ来たんじゃなかったんだ

しないでいいことを
どれだけたくさんしてきたことか

ほんとうにしておきたいことは
あとまわしにあとまわしにしてきた

目をつぶってみる
深呼吸をする

それじゃない
これじゃない

それはしないでもいい
これもどうしてもというわけではない

死ぬ前に
どうしてもしておきたいこと
それをしておこう

秋が来て夕焼けが
西の空を染めている

ここで見ることのできる美しいものを
美しく見ておきたい

ここへ来たのは
このことのためだったような気持ちがした
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彼岸花

2006年09月21日 09時32分36秒 | Weblog
あなたは
彼岸花を見つけてはしゃぐ
彼岸花にも蕾があったのねと
他愛ない発見をして

わたしたちは夕暮れの山道を
下りて行く
谷川が細く流れていて
川岸に
赤い彼岸花が
迎え灯籠のように
一列になって灯をともす

うしろから幾組ものパーテイーが
乾いた靴音を響かせながら
追い越してゆく
奥の院への参拝をすませた人たちも
まじっている

あなたはなんどもなんども
近寄っていっては
彼岸花には蕾があったのね、と
はしゃぐ
そうすることで
自分の感情をコントロールする

あなたがいることで
明るい秋は
こうしていっそう明るくなって
一日の終わりの空を
染めていった
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なぜだかわからないのだけれど

2006年09月20日 11時36分53秒 | Weblog
秋はいい
空がいい
澄み切った空がいい
静かな水がいい
水辺の草がいい

いいばっかりの中に
わたしがいる

わたしを
いいばっかりの中に
おかしめられているのは
なぜなのか
わたしにはわからないのだけど

雲がいい
山がいい
山から見おろす野原がいい 
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ほんとにどうして葛の花が

2006年09月17日 23時02分19秒 | Weblog
どうして
こんなに
いい匂いが
するのだろう
ほんとうに
どうしてこんなに
いい匂いがするのだろう

山を歩いたらね
甘いいい匂いがしたんだ
立ち止まって
見渡したら
そこに
葛の花がね
咲いていたんだ

うっとりうっとりして
立ち止まったよ

どうして
こんなに
いい匂いがしたんだろう
ほんとに
どうしてこんなに
甘いいい匂いが
ぼくを包んだのだろう
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小賢は大賢の如し 大賢は大愚の如し

2006年09月15日 13時30分09秒 | Weblog
 ほんとうの賢人は賢さを外に表さないでいられるから賢者かどうかは分からない。むしろ愚者のようにしている。賢さが進むほど、賢さが否定されて大愚になってゆく。良寛さまはご自分のことを大愚良寛とされた。なまじっかの賢人はおっそろしく己を賢人にして登場する。愚かなことだ。
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笑っているつぶやいている

2006年09月11日 23時15分45秒 | Weblog
 「NHK短歌」をテレビで見た。山崎方代の次の短歌が紹介された。

☆ 不二が笑っている石が笑っている笛吹川がつぶやいている  山崎方代

 詩だ、これは。絵だ、同時にこれは。彼は生まれ故郷が甲府。生涯家を持たず娶らず好き放題に生きた作者が、老いてそこへ帰ってきて、山と川が目に留まった。
彼の名の<ほうだい>は好き放題に生きよという父の思惑だったという。笛吹川は、さて、どうつぶやいていたのか。つぶやいているのは、笛吹川も彼も同じだったのだ。枠をはみ出した男の短歌らしからぬ短歌だ。
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己の取り分を超えて取ってはいないか。秋は実る。 釈応帰

2006年09月03日 23時40分25秒 | Weblog
 取り分があるとすれば、己の取り分はどれだけのものか。畑に茄子とピーマンが実る。もはやすでに、己の取り分を超えて取ってしまっているのではないか。過分な秋の実り。空が青く澄んでいる。夕暮れは赤く染まっている。己は取り分を主張しているのだが、ほんとうに己の取り分というものはあったのか。それも怪しくなってくる。
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