<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

荒れ狂うわたしの海は原始なりいのち生まれよ歌よ生まれよ

2006年11月24日 10時01分25秒 | Weblog
 夜は明ける うたはうまれよ 
 空染まる うたようまれよ あたたかい歌    薬王華蔵

     *

 読んでいてくださっている方がいらっしゃるなら、その方へご挨拶をします。お久しぶりでした。お変わりはありませんか。

     *

 歌は生まれよ、歌よ生まれよ、と二度も願望を書き込みました。原始の海に光が差し込んでくる。それが歌のように思われます。わたしの原始の海に夜が明け空が染まって、そこにいのちが誕生します。これが歌です。ふっとそれで全宇宙があたたかくなるのです。わたしの荒れ狂う海に歌が漂うようになりました。

     *

 荒れ狂うわたしの海は原始なり いのち生まれよ歌よ生まれよ  薬王華蔵




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屋根の谷川には雨が流れる光が流れる

2006年11月10日 14時12分21秒 | Weblog
 瓦屋根畝と畝との谷川にゆんべは雨が今朝は光が   薬王華蔵

      *

 瓦屋根をよくみると畝がある。畝と畝との間が急峻な谷川になっている。そこを雨の日は雨が流れている。雨のない日には光がさらさらと流れている。それを今朝朝日の中で僕は見ていた。

      *

 Yさん、雨が流れ光が流れる屋根の谷川に、あなたとの思い出が流れるときがあります。昼から空が怪しくなってきました。鉛色をした空になりました。あのとき耳に聞いたあなたの明るい弾んだ声が、谷川にきてとどまっています。わたしはもうすっかり老いました。杖をついて歩くのさえも難儀です。




 
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力ずくなら来なかったはずの朝が

2006年11月08日 10時35分48秒 | Weblog
 わたしにも朝が来ているおのずから 力ずくなら来なかったはずを 薬王華蔵

     *

 夜が明ける。寝室の障子が白む。窓を開ける。雲の色が七変化して行く。夜の次には朝が来ることが分かる。分かるだけではなく、事実わたしが朝を迎えている。おのずからに朝が来る。それを有り難く思った。

     *

 嬉しいことはもはやそう多くは訪れてこない。世間からちやほやされることもない。栄達もわたしのことではなくなった。いや、用のないわたしには振り向いてくれることもなくなった。隠れ者でいるしかない。だが、朝が、わたしに来ているではないか。力ずくで来らせも来なかったはずの夜明けがわたしにも訪れている。

     *

 わたしにもはや嬉しいことなど望むべくもないと思っていて、その傲岸不遜、横着の鼻っぱしらを叩かれたように思った。朝が来ることを嬉しいことの一番に置いてもいいと思った。何が嬉しいか、朝は誰にでも来ている。そうかもしれない。しかし、それを今朝は晴れ晴れと嬉しく思うことができた。




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影がわたしを抱いている

2006年11月07日 12時18分40秒 | Weblog
 半月は二頭の象の歓喜天 影に抱かるる銀の恍惚   薬王華蔵

     *

 歓喜天はガネーシャ。仏教に出てくる。もともとインドの神さまなのかもしれない。二頭の象が立ち上がったまま抱き合っている。合体の歓喜を形象化したものか。象がどうやってセックスをするのかは知らない。それとも頭が象で体が人だろうか。

     *

 半月は実は二頭ではない。一頭である。半身が半身を抱いているように見えるが、実は1+1=2ではなく、0.5+0.5=1 である。半身を地球に奪われて半月に見えるだけである。抱くとは足し算することではなかったのかもしれない。

     *

 抱き合っている歓喜天に見立てると面白いことがわかった。これはYさんの短歌を読ませてもらったからだ。わたしの発案ではない。しかしながら、なるほどなのだ。見えない方の半月の影に抱かれて見える方の半月が銀色に輝いて恍惚としている。わたしを抱いていてくれる影がいるのかもしれない。



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