<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

文章の織物。言葉の反物。わたしはその糸を紡ぎ出す虫。

2023年07月31日 11時28分33秒 | Weblog

遠雷の音はもう聞こえて来なくなった。日射しが戻って来て、外はまぶしく、いつもの炎天になっている。炎天を厭わない黄蝶が、ゆっくりと、いかにも平和の演出者であるかのように、庭の鹿の子百合の上空を舞っている。

僕は思いを文章化する作業をしている。生きている間でないと、これはできないことなのだ。生きているから、思っている。思っているから文章の反物が紡げる。紡げることが出来るときに、紡がないのはいのちへの侮辱に等しいではないか。

紡ぎ出した文章に価値があるかどうかは、問わない。問わないでおく。言葉の反物は、それをうち列べて眺めるものなのだ。眺めているとそれが即、わたしが現実にここで命を永らえていることの証左になる。

文章は織物。言葉は反物。わたしは、糸を紡ぎ出す虫である。

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いいところなし。

2023年07月31日 10時14分29秒 | Weblog

今日は7月31日。明日から8月になる。曇っているが、気温は31℃。湿度が66%。蒸し暑いので、いましがた部屋のエアコンをオンにしたところだ。遠くで雷がごろごろ鳴り出した。夏日は天候が変わりやすい。まもなく10時半になる。

この老人の僕は怠け者。来る日も来る日も労働意欲が起こらない。畑も庭も家の周囲の小径も夏草が茂っているというのに、出て行かない。腰が上がらない。朝は朝寝して、昼は昼寝して、夕方も早々と寝て、グウタラを決め込んでいるばかりだ。

いいところなし。

近くの椎の木の林では、クマゼミが鳴いている。ワシワシ蝉も鳴いている。蝉はいまが出番。活動の時期だ。この老人とは真逆だ。でも、活動の時を迎えて、ひたすら活動をしている地上生命体がいるというのは、嬉しいことだ。

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わたしを仏にしようとして

2023年07月30日 13時31分59秒 | Weblog

わたしを仏にしようとして、草が仏になっている。

わたしを仏にしようとして、木が仏になっている。

わたしを仏にしようとして、山が仏になっている。

わたしを仏にしようとして、川が仏になっている。

山川草木みなが、わたしを仏にしようとして、そのはっきりした意思を持って、わたしに向き合っている。

・・・とすれば、それだけのものがすべて、その意思を持って、わたしに向き合っているのであるとすれば、わたしはいったいどうすればいいか。

それだけの意思をみんな受け止めねばなるまいが、わたしはそれを無視して、知らぬ存ぜぬの一点張りを通して、ちゃらんぽらんな暮らしをしている。だらだらだらして過ごしている。不平不満を鳴らしている。我が苦痛をひたすら苦痛している。それで終わっている。

ギャップがあり過ぎる。

でも、それでも、それでもなおもわたしを仏にしようとして、夏空が夏空をして広がっている。わたしの拒否を叱咤することも非難することもなく、はっきりした意思を持って、わたしの前にどどっどど~んと青空を広げている。わたしが死ぬまでずっとこうだ。

であるとすれば、・・・

意思が、もしかしたら、勝手にわたしの毛穴から侵入することがあるかもしれない。仏のパワーは偉大だから、そういうハタラキを起こさせてしまうかもしれない。

虫がよすぎる話か、これは?

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山を仏にしたのは仏である。

2023年07月30日 13時21分20秒 | Weblog

ふううっと息を吹き入れると、入魂の儀式が終わる。わたしが書いたクレヨン画の仏様が、こうすると、お慈悲を現してわたしを見てくださっているように、思えて来る。

この世にあるものにはすべて意思がある。こころがある。そう思って見ると、そう思えて来る。わたしの前に立っている祇園山が意思を持ってわたしに向き合っていて下さっているように思えて、親しみが感じられて来る。

「山川草木悉有仏性(さんせんそうもくしつうぶっしょう)」。山は仏である。川は仏である。草は仏である。木は仏である。

山を仏にしたのは仏である。みなふううううっと息を吹き入れてあるのだ。それでこころを持っているのだ。意思があるのだ。意思があって、わたしの前に存在しているのだ。

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ずっとだらしなくしています。

2023年07月30日 13時09分13秒 | Weblog

午後1時を過ぎました。外気温は34度に達しています。でも、カンカン照りではありません。わずかに曇り空です。

僕は何処にも行きません。どんな労働もしていません。ずっとだらしなくしています。

家内はお座敷の仏壇の、仏具のお磨きをしています。もうすぐお盆が来るからです。

僕はそれを知っていて知らんふりをしています。「手伝ってよ」を言いません、家内は。言うのをぐっと堪えています。

午前中は新聞2紙を読んで、その後は朝寝をして過ごしました。新聞に茨木のり子さんの詩が紹介してありました。

興奮を覚えました。それで僕もブログに詩らしい作品を書いてみました。満足が出来ないので幾篇か書きました。

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今日の僕の書いた詩「それはいいことだった」

2023年07月30日 12時24分56秒 | Weblog

「それはいいことだった」

 

「それはいいことだった」/悟空の言い草ですこれは/よくないことが起きると/「それは最上級にいいことだった」の文言がもう一つ加わります/そして不思議なことにそれはそうなりました/

よくないことは/いつもその後/時間差はあってもきっと/最上級にいいことになっていきました/「いいこと」は初めのうちはよくないことの顔をしていました/それがどうしてなのかは悟空にも分かっていませんでしたが/

でもこれは悟空が/お師匠さんから教えてもらったことです/「それはいいことだった」「それは最上級にいいことだった」は/お師匠さんの三蔵法師が会得した最高の真理の/その実践項目なのでした/悟空は/お師匠さんを尊敬していました/

悟空は/しかし/苦しみました/次々とよくないことが/悟空の身に起こってきたからです/(そんなもの誰が好き好んで欲しがったりするでしょうか)/苦しめば苦しむほど/最高の真理の実践が意義を発揮してきました/悟空は涙涙涙で過ごしたのでした/

 

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僕の書いた今日の詩 「少しも、ほんの少しも」

2023年07月30日 12時07分14秒 | Weblog

「少しも、ほんの少しも」

 

青空が広がっているところに/羊はいました/草原で草を食んで暮らしていました/

羊は好きな羊が出来たので/結婚しました/子羊が生まれました/

結婚した相手の羊にも青空が広がっていました/生まれて来た子羊にも/やっぱり青空が広がっていました/

三匹の羊は青空が大好きでした/青空があると/そこに毎日毎日草原が新しく生ました/そこを走り回りました/

羊たちは大好きな青空が/どうしていつも遊んでいる草原の真上に広がっているのか/それを疑問にするようになりました

何年経っても/羊たちが起こしたその疑問は/しかしながら/解けることはありませんでした/少しも/ほんの少しも/

 

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此処は学校ですから

2023年07月30日 11時47分40秒 | Weblog

「此処は学校ですから」

 

此処は学校ですから/生徒たちがたくさんたくさん居ます/何年経っても1年生をしています/ずる賢くならないため/そのためだけに通っている学校ですから/ずっと1年生でいても/彼らは平気なのです/どの顔もみんな溌剌としているのです/

此処は学校です/ここに暮らしているものはみんな一列に/この学校の生徒です/山も海も空も生徒です/鳥も魚も獣も昆虫も/草も木も石ころもみな一年生です/ずる賢くならないで平和にしていることが/どんなに大切なことか/それを学んでいるのです

 

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わたしの今日の小さな詩 「ちょろちょろ小川」

2023年07月30日 11時27分03秒 | Weblog

「小川」

 

日の隈山の山裾に/ちょろちょろ水が流れてて/ちょろちょろ小川になっていて/覗き込むと/目高が居て/水底に水草が生えていて/立派な一人前の小川なのでした/僕はそこであわてて敬礼をしました/ちょろちょろ小川は/僕の敬礼を受け入れても/でも同じ表情をしながら/いつものようにちょろちょろと/流れて行くのでありました/夏の日射しが少しだけ大きく光ったようでもありました

 

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夏の日の有明海を渡る

2023年07月30日 10時35分40秒 | Weblog

「夏の日の有明海を渡る」

 

蔵之元港からフェリーに乗りました/何かを求めたい気持ちになっていました/乗る前に小さな食堂に入って/昆布出汁のうどんをいただきました/食堂で/グラスボートに乗りたい家族連れ2組といっしょになりました/それぞれ小さな子供たちが3人ずついて/食堂の人に/海に出ればどんな魚に出会えるのかの質問をして/声が大きくなっていくばかりでした/わたしの乗ったフェリーの乗船時間は30分間でした/何かを求めたい気持ちは/幾つになっても大切な気持ちです/年を重ねたら止んでしまう種類のものでもありません/そこに何があるのか/そこに行けば何に出会えるのか知りたいのです/進んで行く有明海の波はおだやかな波でした/それがわたしの解答になりました/わたし求めていたものでした/求めているものはいつもいつもわたしの前にあって/わたしをこころよく迎え入れていたのでした

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