<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

星空が鳴いておっそろしく静かだ

2016年07月31日 21時56分56秒 | Weblog

予約電話の宿の女将の声では空き部屋は一つしかなかったのに、来てみると旅籠はがらがら空き。嘘吐き。ま、いいや。これが商い。騙された方が浅はか。今日は日曜の夜だからね。客はもう一組だけ。彼らも騙されたのか。それにしては料金が高い。これじゃリピーターにはなれないね。回りは水田。星空が鳴いておっそろしく静かだ。

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焚くほどは風がもてくる落ち葉かな、とはいかないよなあ

2016年07月31日 17時51分30秒 | Weblog

お金がないと困る。欲しいものが手に入らない。そうなればどうしようという不安が生じる。それでミリオネアたちはダムの壁をできるかぎり高く積み上げて、いつも満水にしておく。こうしておくと安心だから。でもそれだと流れていかない。一人で満水のダムが使えるわけではないのに、それでも貯めこんで、下流にいる生き物たちには使わせない。こうなると魚も虫も水草も干上がってしまう。壁を低くしていつも下流の生活者たちに流しておく。これが重要なのである。使わない水は貯めない。使いきれないお金は稼がない。人様に回す。譲る。わける。施す。こうであっていいが、こうはならない。なっていない。貧富の差が歴然とある。盗んではいないけれども、人には行かないようにして、独り占めしているわけだから、結果的にはひとの幸福を盗みとっていることになる。働いて守銭奴の鬼になってはならない。お金は天下の回りものにしておかねばならない。とかなんとか正論をはけるのは、己が貧乏人だからである。お金は一面で魔物であるけれども、しかし、そうとばかりでもない。分けて譲って人を喜ばせることだってできるのである。良寛禅師の歌に、焚くほどは風がもてくる落ち葉かながある。火傷をするほどに火の勢いを強くすることはあるまい。

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使える人が大金持ち

2016年07月31日 16時38分46秒 | Weblog

お金持ちになればなるほどお金を使わない。すると、腐らないはずの札束でも腐り出す。腐ると喧嘩になる。おれに分けろ、おれの分け前だと言い寄るものが現れて、腐敗する。お金は使わなければ持っていることにならない。大金持ちの大金もそのうち潮が逆向きに流れ出して、沖に浚われてしまう。そういうことだってある。だから、あるときに使ってしまうことだ。ため込まないがいい。わずかな金でも、それを使える人が大金持ちなのである。執着するとたちまち腐敗菌が繁殖するものだ。使えないなら人にくれてやることだ。といっても、さぶろうのように、端から使ってしまっていつも財布が空だというのも、誉められたものではあるまい。

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さ、一風呂浴びて来るか

2016年07月31日 16時19分46秒 | Weblog

旅籠に着いた。小さい旅籠だ。回りは水田。赤トンボが群れている。二階の部屋から近隣の山々が見渡せる。おれは、徳人だ。ともかく遊んで老後を送っている。

徳はないのに、徳人をしていられる。誰かが徳をくれてやってるかもしれぬ。おれはいらないから、お前にやるよ、とかなんとか申し出てくれてるに違いない。これを箒で集めて回る。

せっかく貯まった徳でも使いこなさないと、ないに等しい。それはもったいないから、横流しをしてもらっているのかもしれぬ。しかも、無条件で無料。返済の義務なし。

遣って消費して、役立ててくれる人がいい人、なんだろう。などと手前勝手な解釈。いつもこれだ。図々しい男だ、この遊び人さぶろうは。

さ、ともかく一風呂浴びてくる。こうして天与の徳を、今日は旅籠の経営者に役立てたことになる。

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危ない危ないの綱渡り

2016年07月31日 16時01分26秒 | Weblog

金は天下の回りもの。だから、ため込まないで、あるものはとにかく回さなければならない。回すと、これが不思議。回り出す。途中で止めてはいけない。高いところから低いところへ落ちて流れるのは水の自然。これだ。お金もこの自然を持っている。自然に逆らわなければ、どうにかなるものだ。それで、旅に出る。向こう見ずと謗られるが、出る。出たが勝ちになる。危ない危ないの綱渡り。大金がなくともいい。どうにかなる。天が味方をしてくれる。大黒天も弁財天も味方してくれる。とかなんとか、さぶろうは妙なところでドンキホーテだ。そろそろしかし財布が空だ。明日は帰るしかない。

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喰ってはならないものを

2016年07月31日 15時45分28秒 | Weblog

喰っちゃった。喰ってはならないものほど喰いたい。してはならないことほどしたくなる。見てはならないものほど見たくなるもの。そういうもの。これにさぶろうも従ってしまった。暑い暑い。何処も此処も焼け付いている。ドライブも一休憩。コンビニに立ち寄ったら、あれよあれよ、かき氷のシロクマ君120円に、さぶろうの手が延びた。化け物の手がするすると。小豆入り。氷の粒がさくさく快音を立てる。冷たくて鼻がつんと来た。甘い甘い。こんな甘いものは血糖値を急騰させてしまうだろう。禁は破られた。年に1、2回だ。悔いを残さなければそれでよし。よしとしよう。

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ととろバス停と猫バスを見いつけた

2016年07月31日 15時27分33秒 | Weblog

大分県佐伯市宇目南田原轟にバス停の小さな小屋があって、ここがととろバス停だった。九州地図にもちゃんと記載してある。ちょっと山道に入り込んだところ。バス停にはちゃんとととろが待っていてくれた。小川の対岸に猫バスがセメント作りで建っていた。人がのりこめる。窓も開いている。こどもたちが顔を出して遊んでいた。夢があるよ。アイデアマンがいたんだな。ファンタジーの世界に入りたい訪問者が次々だった。

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神話の里ほおりかわ温泉を楽しむ

2016年07月31日 12時11分07秒 | Weblog

宮崎県延岡の山また山の山奥にある大崩〈おおくえやま〉山の、秘湯祝子川〈ほおりかわ〉温泉を尋ねて来た。山道の細い徑を行けども行けどもたどり着かない。不安が極に達した。ここは神話の里。山彦の別名がほおり彦。ここが誕生の地。金色の像が立つ。内湯は40度、外湯は33度。相客なし。そびえ立つ山容を仰ぎつつ、ゆっくりつかった。ここは高地。ひんやりの空気が楽しめた。

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スリッパをひっくり返して道占いするか

2016年07月31日 08時17分56秒 | Weblog

ひとりは寂しい。まわりはカップルだらけだというのに、一人を好む。一人旅は気楽だから。好きなところへ行ける。いたいだけ居る。嫌になれば次へ発つ。そこでまた見たいものを見る。食べたいものを食べる。今日はひとまず南下する。日向灘を左に見ながら、延岡近くで右折する。豊後大野へ来たら立ち止まり、スリッパをひっくり返して道占いをしよう。まだ家には帰りたくない。待つ人もいない。亭主は邪魔者。いない方がいいのだ。

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ダンスパーティ広場はお目当てが見付かるまで

2016年07月31日 04時16分21秒 | Weblog

「おは」は「おはよう」の短縮形。短いのできりりとしている。

そ後に「ようよう」を繋ぐ。これは「よく来たね」の歓迎の挨拶。

これで仲良くなる。

赤トンボたちの出会いの広場は港の小さな公園。すいすい飛び交いすいすい飛び交う。

そして「おは」「おは」「ようよう」を告げ合っている。

ちょっとでかいシオカラ蜻蛉がやって来た。オスだ。羽の色が青い。でも受け入れる。

やっぱり、「おは」「おは」と「ようよう」で。

まもなく夕暮れだ。ダンスパーティはまだ続いている。

ぜんいん残らず互いのお目当てが見つかるまで。空には高くもう一番星が輝き出した。

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