<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

すべて一方方向である。

2023年01月31日 18時39分34秒 | Weblog

阿弥陀如来はわたしを守って守って守っている如来である。

阿弥陀如来はわたしを助けて助けて助けている如来である。

阿弥陀如来はわたしを導いて導いて導いている如来である。

阿弥陀如来はわたしを救済して救済して救済している如来である。

すべて一方的である。阿弥陀如来からのハタラキカケである。

わたしは安心しているだけでいいのである。

念仏はわたしの安心の念仏である。

わたしは守られて守られて守られているだけでいいのである。

わたしは助けられて助けられて助けられていればいいのである。

わたしは阿弥陀仏に導かれて導かれて導かれていればいいのである。

わたしは阿弥陀仏に救済されて救済されて救済されているだけでいいのである。

すべてが一方的である。こちら側のどんな条件も求められていない。

救済を受け止めて安心をするとひとりでに念仏がわたしに溢れだして来て、双方交通になるのである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

阿弥陀仏の救済は無条件である。

2023年01月31日 17時51分12秒 | Weblog

如来大悲の恩徳は身を粉にしても報ずべし。

仏典にこうある。メロデイーがついている。説法の前後に、聴衆がここを歌う。

阿弥陀如来は大悲の如来である。わたしたちは如来の大悲をいただいている。常にいただいている。生きても死んでもいただいている。いただいたご恩は、どんなにしても報じるべきである。身を粉にしても報じるべきである。それくらいに大きい。

でも、報じることなんてできない。如来がわたしたちにして下さったことの百万分の1も、百億万分の1もお返しすることは出来ない。わたしにはできない。

身を粉にしたこともない。

阿弥陀如来はわたしたちにお返しを求めたいたりはしていない。そのために身を粉になんてさせたりはしない。

わたしたちはそっくりそのまま助けられているのである。そっくりすっぽり救済されているのである。

救済は無条件である。リターンを求められてなんかいない。

後にどうせよこうせよはない。助かってそれで終わりである。安心していていい。

10

じたばたすることはない。騒ぎ立てることはない。

11

ご恩を感じてはならぬということはない。感じていい。大いに感じていい。感じても感じなくてもいいのではないか。

12

「ご恩報尽のお念仏」というが、そんな強制的念仏では阿弥陀如来を小さくしてしまうかもしれない。これはこちら側の感謝の表現だろうが、お念仏がそんな要求をするわけがない。

13

救う阿弥陀如来がいて、わたしが救われる。安堵する安心する。往生浄土成仏を果たす。それだけで完了である。あとにどんな要求も残ってはいないはずだ。

14

100%わたしの解釈が間違っているに違いないが、「ご恩に報いよ」の命令形阿弥陀仏ではない、とわたしは思っている。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ご苦労なこった!

2023年01月31日 17時44分25秒 | Weblog

考えていないと生きていけないか。そんなことはあるまい。

なのに、考えている。

しかし、実際、ろくなことは考えていない。

それでも、考えている。雑多なことを考えている。

考えてないと不安なのかもしれない。

じゃ、考えたら、不安がなくなるか。そうでもない。

そうでもないのに、あれこれあれこれ考えている。

ご苦労なこった!

よし、いまから1分間何も考えないことにするぞ。

10

用意ドン。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昨夜から電気毛布になった。

2023年01月31日 17時32分36秒 | Weblog

昨日の夜から電気毛布を使用している。家族に用意してもらった。それまでは小さな電気行火だった。このところ夜中が、冷える。氷点下になる。目が覚めてしまう。

電気毛布は下に敷く毛布になっている。強、中、弱の三段階になっているので、調節が出来る。昨夜は寝るときに強にして、後は弱に切り替えた。それで十分だった。

おかげで掛け布団が一つでよくなった。軽くなった。便利な世の中になったものだ。寒さがしのげる。

小さい頃は湯たんぽを抱いて寝た。母親が毎晩、ブリキ製の湯たんぽに熱湯を注いでくれた。火傷しないようにこれを、厚手の布でぐるぐる巻きにした。母親の愛情を感じることが出来た。懐かしい。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

老人になってもなんだかんだ心配が尽きない。

2023年01月31日 17時17分25秒 | Weblog

車の払い込みを続けている。5年経っているが、ローンの残額がまだたっぷりある。その通知状が届いた。

毎月3万円ずつ返していっても、払い込み完了までに45ヶ月掛かる。3年7ヶ月掛かる。

それまで生きているだろうかの心配も過(よぎ)る。払えるだろうかの不安も起こる。

思案する。免許証を返納しようかな、とも思う。しかし、田舎は交通が不便だ。車がなければ、何処へ行くにもタクシーを使うしかない。

タクシー代が払えなければ、内に籠もっているしかない。それもイヤだ。自転車という手段もあるが、山里は坂道がきつい。老人になっても、なんだかんだ心配が尽きない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自己不信も自己過信も危うい。

2023年01月31日 17時07分07秒 | Weblog

解決法が分からない。迷い道に迷っているばかりで、そこから先へ進めなくなっている。どうしていいか分からない。

仏典を開くとそこに何か打開策が書いてあるように思う。人智を超えた仏智という智慧があって、そこに頼って行けばいいのではないかと思う。何か教えてくれるような気がする。

自己不信も自己過信も、重たい。欠陥がある。危うい。危険極まりない。それでは先へ進んでいかないような不安にさいなまれる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

仲の良いことはいいこと。美しいこと。

2023年01月31日 16時55分57秒 | Weblog

武者小路実篤さんが「仲良いことはよいこと」「仲の良いことは美しいこと」などと色紙に書いていたなあ。ちょっと思い出しちゃった。

小さい頃にそれを読んだなあ。当たり前のことが書いてあると思っていたけど、その実践は案外難しいことだった。あらためて思うよ、仲の良いことはいいことなんだなあって。

人と人とは喧嘩ばかりしているからね。悪口を言い合っているからね。互いに相手を拒否や無視をするようになるからねえ。戦争をして武器を振り上げて殺し合ったりしているからね。

極々親しかった人たちだって、あるときふっと憎しみや恨みを抱くようになってしまうからねえ。一度そうなってしまうとなかなかその怨憎地獄から抜け出せないで、双方が苦しむからねえ。

仲がいいってことだけで美しいことなんだよねえ。二人が寄り添っているって風景だけで美しい風景なんだよねえ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

それって、殉死みたいなんだなあ。

2023年01月31日 16時40分11秒 | Weblog

僕が死んだら、僕の所有物の処理に困るだろうなあ。僕には用があっても、僕以外の人には用がないはず。僕には感心があるが、僕以外の人には関心がないはず。

どんどん捨てられるだろう、だから。僕の愛用していた愛用品は、僕をなくして無価値になってしまうだろう。色褪せてしまうだろう。どんどん捨てられるだろう。捨てられていいんだけど。愛用品がちょっと可哀想だな。

ま、これは仕方のないこと。跡形もなく捨てられてきれいさっぱりするだろう。あれもこれもそれも。みんなみんな不要ゴミになって、ゴミ処理場に行くんだろうなあ。

そうか、僕が死ぬってことは、僕が愛用していた愛用品もいっしょに死ぬってことなんだなあ。それって殉死みたいなんだなあ。

僕が着ていた衣類、僕が使っていた鉛筆。僕が座っていた座椅子。僕が読んでいた本。僕が眠っていたベッド。僕が乗っていた自転車。僕が履いていた靴。などなどなどなど。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お爺さんのぼんやり具合はかくの如し。

2023年01月31日 16時33分51秒 | Weblog

僕の頭の時計は2日も先へ進んでいた。今日はてっきり2月2日だと思い込んでいた。勘違いを勘違いと受け止めていなかった。妻に訂正されて初めて、カレンダーで確認して、間違いに気付いた。お爺さんのぼんやり具合はかくの如し。ま、いいんじゃない。時計に差配されない静かな山里の暮らしだから。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サイクリングには出掛けなかった。

2023年01月31日 16時25分44秒 | Weblog

サイクリングには出掛けなかった。客人があった。お二人の。

家族同士でつきあいをしてくださる方だ。ベランダに椅子を出してテーブルを置いて、合計四人がお茶を飲みカステラを食べ、お喋りをした。インスタントのピクニック気分を味わった。

日射しが温かかった。風もなかった。何かとお世話になる。気軽に、足を運んで来て下さる。お世話をして下さる。かたじけない。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする