<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

かなしい

2007年08月29日 23時55分16秒 | Weblog
 「かなしい」

よろこびのあるときも
かなしい
よろこびは
すぐになくなってしまうから

かなしみのあるときは
なおなおかなしい
かなしみは
そこがしれないから

かなしみにであい
かなしみにであい
かなしみにであう

ここで
ふかいかなしみにであっておかないと
もうえいえんに
かなしみにはであえないぞと
おしえられているかのように

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笑いが出ないかたい文章は退屈だろうな

2007年08月26日 17時18分01秒 | Weblog
だあれも読んでいてくれないこのブログ<おでいげにおいでおいで>。やだなあ。一人くらい読んでいてくれる人がいてくれないかなあ。コメントを書いてくれないと、訪ねてきてくれたことがこちらにわからない。独り相撲をとるのはあじけないや。わあ、だとか、きゃあ、だとか、声が聞こえてこないかなあ。観客席はがらあああんとしている。どうやったら、詰めかけてきてもらえるのだろうか。「簡単さ、おもしろくすりゃいいんだ」って言われそう。

      *

 おもしろいことがいっぱい身の回りで起こっているはずなんだがねえ。おもしろいものをおもしろく感じるフィーリングが僕に備わっていないから、どうしようもないや。それに博学じゃないからねえ。知識でカバーするってこともできない。おもしろくないものを読まされるくらい退屈はない。そりゃ、僕も知っているんだ。どうにかしなくっちゃ。どうにかしなくっちゃ。でも、どうすればいい?

      *

 テレビをつけると、お笑い番組がたくさんあっている。笑いが欲しかったらそれを見たらいいんだよね。落語は好きだ。でも、観客におもねったようなお笑い芸人の下品な笑いと動作はどうしても好きになれない。げらげらげらち人が笑っていると、<おれは、笑うもんか><断じて笑わないぞ>になってしまう。一度、誘われて見に行ったことがある。売れっ子のお笑い芸人が次々と舞台に上がってきて笑いをもらっていた。でも、<そんなものがどうしておもしろいんだ?>って顔をして、僕は仕舞いまで一度も笑わなかった。ちっとも面白くはなかったのだ。<だめだねえ、きみは>といっしょに来た友人たちに咎められてしまった。咎められて当然だと思った。僕はかたいのだ。のけぞっているのだ。傲慢なのだ。

      *

 でも、腹がよじれるように笑った経験はたくさんある。笑って笑って、笑って、お腹がすっからかんになってしまった。そういうことも何度もある。それに泣きべそだ。映画を見ていてもすぐに泣いてしまう。そんな一面もたしかに持ち合わせているんだ。

      *

 中学生の頃、僕は笑わせる笑わせ屋だった。授業中も、先生をまぜくって困らせた。僕がしゃれを飛ばす。とんちを言う。教室中が笑い、先生も笑いwこらえきれないで、げらげらげらげら笑っていた。僕の渾名はその頃、<頓智>だった。とんちんかんの<とんち>だったのかもしれない。とにかく、「きみがいると授業にならない」と先生が笑いをこらえながら何度も僕の頭を撫でに来た。
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あまりたくさんの幸福は

2007年08月13日 08時33分58秒 | Weblog
あまりたくさんの幸福は
いらない

食べきれないからだ

食べきれるだけでいい

あまりたくさんの幸福は
いらない

幸福の海がいる大きな魚は
海がなくてはならない

アメンボウには
でも そんなに広くても
どうしようもない

がぶ飲みしないでも
ゆっくり噛めば
味がでる
おかわりをしないでも
腹は満ちる

行動をしないのだから
カロリー摂取量も
少なくてすむ

夜明け方に雨が降った
草の葉がカスタネットを打った
木の葉がタンバリンを打った

音楽会に
鈴虫が加わった

ぼくはにっこりしている
これでもう
ぼくの耳はうれしい
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かわひらこ

2007年08月12日 10時58分23秒 | Weblog
@ 蝶(かわひらこ)小草の上に果ててをり介護しさるる苦のなき畢(おわ)り
        福岡 山崎 碧  

      *

 これは今朝のテレビ番組「NHK短歌」の時間に紹介された一首です。今日の選者は高野公彦さんでした。選者の一席になりました。

 古代、チョウチョのことを<かわひらこ>と呼び習わしていたのですね。たしかにチョウチョをはじめとして自然の中で生活しているものは、ひとりで果てていきます。看取られることはありません。まして、介護をしてもらうこともありません。することもありません。介護はしかし一方で介護する者される者に苦痛を強いることもあります。次なる苦痛を負うことなくひとりで淡々と死を受け入れて果てていく。蝶の死骸は、無慈悲のようで慈悲に満ちた、潔い死でもあります。

     *

 一読して、この作品に惹かれてしまいました。わたしには、いい短歌の基準がどこにあるのかわかりません。選者が、短歌全般について、「イメージが広がる短歌」といったことを言っていましたので、耳に残りました。なるほど一首で、どんどんイメージが広がるという歌に出会うことがあります。ここでは草の上のチョウチョの亡骸と、介護日本の現状です。介護する者の悲と喜、苦と楽。介護される者の悲と喜、苦と楽。あっさりと死を迎えることのできない無明。一つの作品が次々とものを考えさせてくれます。
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プールの小さな人魚姫

2007年08月03日 10時43分14秒 | Weblog
わたしと家内と娘は
温水プールに行きました

水中ウオーキングをしていたら
別のレーンに
小さな人魚姫を見つけました

クロール
バタフライ
背泳
スピードに乗って泳いでいます
おとなが顔負けです

おもわず
「わー、かっこいい!」
とわたしは叫んでしまいました

叫びが人魚に届いたらしく
人魚が人魚のほほえみを
返しました

小学校の4年生くらいかな
と思ったほどの
おさなさ無邪気さ
快活さでした

しばらくして
水からはい上がってきた人魚は
尾ひれではなく
すっとのびた
長い脚をしていました

わたしたちは拍手をおくりました
「うまいねえ」
「人魚かと思ったよ」
照れた人魚が近づいてきます
話をかわして
スイミングスクールに行って
泳いでいるということが
わかりました

小学校4年生ではなく
実は中学校2年生だということも
両親も兄たちも
スポーツマンだということも
中学校のクラブは陸上部で
長距離が好きだとも

「スポーツ万能っていいなあ」
「きみのようにうまく泳げたら
夏が来るのが待ち遠しいだろうね」
「うらやましいよ」

ほめられたことが
嬉しくてたまらないらしくて
人魚は
きゃっきゃっと
声を立てて笑いました

「ほめてくださって
ありがとうございました」
そういってもう一度ザブーン
礼儀正しい人魚でもありました
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