<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

今日も一日畑さまに遊んでもらった

2019年12月15日 19時47分52秒 | Weblog

今日も一日、畑さまに遊んでもらった。

夕暮れまでたっぷりたっぷり遊んでもらった。

何をしたっていうこともないけど、ともかく、あれをし、これをし、退屈しなかった。

半分は草むしりの無言作業だった。それでも十分十分楽しませてもらった。

あ、里芋の収穫もした。チンゲン菜も収穫した。

 

畑さまに遊んでもらえる幸せ。いまの僕はこの幸せに寄り添って暮らしていられる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

僕だったら、そんなことはしない

2019年12月15日 19時30分27秒 | Weblog

夕方、友人が釣って来たヒラマサを届けてくれた。料理して、すでに刺身になったのを。どさりと。彼の家で食べる分の半分を。1尾しか釣れなかったらしい。

 

すまない。僕だったら、そんなことはしない。人には上げない。一人占めしている。彼はそれを人に上げる。

 

うううん。人間の出来が違うなあ。

 

今夜早速


、夕食に食べた。旨かった。日本酒が進んだ。彼には頭が上がらないなあ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

灯りを消して暗くして

2019年12月15日 07時33分34秒 | Weblog
ふっふっふ。眠くなってきちゃったな。7時半を過ぎた。4時に起きたから、それから3時間ほどが過ぎている。障子戸の向こうが明るくなっている。今日は日曜日だから、家内はまだ起きて来ない。もう一度ベッドに戻ろうかな。灯りを消して暗くして。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日の日を不幸にして過ごしてはいけないんだった 

2019年12月15日 07時17分29秒 | Weblog
今日の日を幸福にしている小鳥ゐて小さく歌って小さく跳ねて     山鳩暮風


今日の日を不幸にして過ごしていてはいけないんだった。

わたしは今日を死なずに生かされている人間だった。まばゆくかがやかされている人間なのだった。

午後の冬の日が庭に遊ぶ小鳥をあたたかく照らしている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

それでもそれでも、幸福でなければならない

2019年12月15日 06時56分45秒 | Weblog
ああ、そうだよなあ。そうだよなあ。

今日の朝刊に日野原重明さんの小さなエッセーが載っていた。ここにこうあった。

「・・・世界でただ一つの私を、どんな私に仕上げていくか。自分を育てるのは自分です。弱くても成功しないでも、それでも、あなたはそれなりに幸福でなければならない。できないことのために、くよくよして心を痛めて何になるものか。人間は自分にできるだけのことをすればいい。自分できることをやる。だが、「やらない」ことを、「できない」とは言うな。自分しか生きることができないいのちを精一杯生きる。人生は今日一日を充実させてこそ素晴らしい」


今朝はこの文章に出遭えた。出遭えてよかった。

今日を幸福でなければならない。不幸にしてはいけない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

心晴れぬ日の短歌集「サラダ記念日」

2019年12月15日 06時37分19秒 | Weblog
虚しさか渇きか心晴れぬ日にサラダ記念日二回目を読む    多久市 山里あい さん
同日のS新聞読者文芸欄短歌部門に上記の歌が載っていました。目が止まりました。お若い方なんでしょう。心が晴れないでおられるようです。で、俵万智さんの短歌集の「サラダ記念日」をもう一度出して来て読まれたというのです。これで虚しさが解決してたらいいなあ。喉の渇きは水を飲めば解決できる。心の渇きは恋の歌の短歌集を読めばいいのかもしれません。

僕は好きな作品でした。

山里あいさんはどんな人なんでしょう。山里を愛しておられる方? 名前から想像すると、ひっそり慎ましく生きておられる方のような。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

草も木も死んで行くけれど寂しい顔をしていない

2019年12月15日 05時15分19秒 | Weblog
おはようございます。寝足りました。4時から起きて炬燵の守り人をしています。こころよい音楽を聞いて過ごします。

あっと声。感歎の声。驚きの声。昨日土曜日のS新聞の読者文芸短歌欄に、わたしの作品が載りました。1席に選んで頂いていました。まさかまさかの1席です。めっちゃ嬉しいです。思わずあっという痛快の快の声が出ました。74才でこうです。童なみです。

草も木も死ぬる運命(さだめ)を背負いつつどれも寂しい顔ひとつなし

はい、そうなんです。寂しい顔をしていないんです。野原の草も、山の木も。葉っぱひとつもそんな顔はしていません。ふしぎなことです。わたしはしょっちゅう、不安で押し潰されそうな暗い顔をしていますのに。

選者の評にこうありました。
「四苦八苦という言葉があるように、生きるとは苦しみを背負うことだという。特に人間の持つ普遍の悩み悲しみが死なのだが、寂しい顔をせずに死へと向かう草や木に、作者はどこか救われるような思いを抱いたのだろう、"山川草木悉有仏性”という仏教の言葉を思い出した。」

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする