<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

久しぶりの月であった

2017年06月30日 21時56分10秒 | Weblog

今宵はおぼろ月夜だった。三日月だった。うっすら霞んでいた。友人が尋ねてきた。若い頃の話に及んだ。久し振りに盃を傾け合った。したたかに飲んだ。泊まれるように布団も敷いていたが、帰るというので送って出た。この辺りにはマムシが出るので、懐中電灯を提げて、大きな道まで同伴した。予約していたタクシーがそこで待っていた。約200mあまりを歩いて戻ってきた。戻る途中、空に月が浮かんでいるのを見た。久しぶりの月であった。

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川幅も広がり雲の歩幅ゆるまる

2017年06月30日 12時29分29秒 | Weblog

久留米より南へ百里 川幅も広まり雲の歩幅ゆるまる      薬王華蔵

どんな短歌が推奨されるべきか。知らない。だから良し悪しは言えない。風景が見えるとその分、詠われた歌の視界が開けてくるので、読んだ気になる。それくらいかな。

川幅が広まると流れはその分緩やかになる。ゆったりとなる。落ち着きが生まれる。皮の名前は筑後川である。別名筑紫次郎。久留米の郊外を流れている。南へ去って有明海に注ぐ。すると、雲の歩幅がゆるまった。のんびりとなったというのである。もちろん叙景は叙情でもある。作者の目がそこに同化しているからだ。作者も落ち着きを得ている。久留米市は佐賀県に接しているが、福岡県の都会である。

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どのみち もうすぐなのだから

2017年06月30日 11時53分43秒 | Weblog

まあ、いいんでないの。そのままでいいんでないの。どのみちもうすぐなのだから。死の淵を歩いているのだから。長々と歩いて来ているのだから。

己に欲念がある。それが透けて見える。それでこうも醜いのだ。欲念は雑念のままで、どれも満足を得ていない。それでどろどろとしている。赤く爛れてもいる。己が取り込んだのにも拘わらず、もはや持て余している。

生きている内に収拾が付くとは到底思われぬ。どうにもならない。ここまで歩いて来て、ここまで生きて来てこうだ。改善がない。進歩がない。

そこで諦めのような独り言が洩れて出る。まあ、いいんでないの。それが繰り返される。どのみちもうすぐなのだから。死に果てるのはもうすぐなのだから。

爽やかな夏かぜが窓の外を渡って行く。これで釣り合いを取ろう。十分ではないか。天秤の右に欲念の重さ、左の夏風の軽さ。

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大空を包み込めるほどの風呂敷である 我は

2017年06月30日 11時44分57秒 | Weblog

晴れ渡り晴れ渡る空 風呂敷の己に包み一人行くべし     薬王華蔵

わたしは風呂敷である。空を包み込む風呂敷である。今朝の空は真っ青に晴れ渡っている。晴れ渡った夏空が何処までも広がっている。それを大風呂敷に包んだのだから、わたしもまた晴れ渡っているはずである。雑念の雲は浮かんでいないはずである。これでよろしい。わたしはしばらく僧になっている。無念無想の僧は一人で歩き去って行った。

目が風呂敷なのだろうか。胸が風呂敷なのだろうか。こころが風呂敷なのだろうか。手だろうか腕だろうか。それにしても大空を包み込めるほどの大きさを持つ己とは、まさしく怪物だ。

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鬼でなければ味わえぬ物怖じとまばゆさと

2017年06月30日 11時31分26秒 | Weblog

玉葱をトントンと切る音のしてめざむる朝をたまへり 鬼も     薬王華蔵

わたしは鬼である。そう思うときがある。よくある。赤鬼か青鬼か。ともかくよく角を出す。歯を剥き出す。暴れる。お伽噺に出て来るように、醜い顔をしている。それが布団に寝ている。するとトントンと玉葱を切る俎の音がする。目覚める。薄目を開ける。光が窓から忍び込んできている。しばらくじっとしている。静かで美しい朝になっている。鬼は、頂けないものを頂いたような物怖じに苛まれて、もう一度布団を、角を生やした頭に、被ったのだった。

鬼でなければ味わえぬ物怖じとすまなさと、まばゆさと衒(てら)いだった。

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わがオブラートは夏風の中

2017年06月30日 09時45分26秒 | Weblog

庭先に一群れの桔梗が咲いています。白い桔梗です。無垢(むく)という実態がこの世に有るという驚きが湧いてきました。静かなしっとりした驚きです。今夏の初咲きです。雨の雫の宿して重たげに傾いているのもあれば、雫を払い除けて吹く風に揺らいでいるのもあります。雨は止んでいます。白い雲の間に青い空が覗き始めました。気温は下がっています。やや寒いくらいに。

僕は、しかし、外に出る気持ちが起こりません。すっかりだらけています。度の疲れが間だ残っているのかも知れません。朝ご飯の後もソファーに身を預けてうとうと居眠りをしてしまっていました。ホトトギスの鳴く声が祇園山の辺りから届いて来ます。僕は今日は何をして過ごすことになるのでしょう。自分でも分かりません。

性欲を砕いて粉(こな)にして包むわがオブラート 夏風の中    薬王華蔵

 

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闇夜を厭うことはなかった

2017年06月30日 02時43分43秒 | Weblog

もうすぐ3時。雨の音がしだした。闇夜を雨が降っている。光の中でだけしか降らないとしたら、雨が午前3時に降り出して来ることはなかったのだが、闇夜を厭うことはなかった。雨の音が次第に高くなってきた。雷もやって来た。稲光がして一瞬明るくなった。

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そうする条件はみな整えられていた

2017年06月30日 02時30分23秒 | Weblog

わたしは仏陀ではない。仏陀ではないのだけれど、草はわたしを仏陀としていた。

木はわたしを仏陀としていた。川はわたしを仏陀としていた。山はわたしは仏陀としていた。

仏陀その人と寸分も変わることなく、わたしを尊重していた。丁寧に丁重に、恭しくかしづいていた。

わたしは今朝仏陀となってみた。求められるままにそこで仏陀となった。安らかな者として安らかな息をついた。

そうする条件はみな整えられていたのだった。

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任務を遂行する者として現れて

2017年06月30日 02時10分03秒 | Weblog

今年もまた夏が来て/庭に百日草が咲いた/

これから百日咲いていられるだろう/庭を美しくするだろう

夏が来る度に/そうやってそこに百日咲いて/わたしを慰めていた/

そこに咲いていなければ/わたしはそれなしでは/途方に暮れていただろう/

今年もまた夏が来て/庭に百日草が咲いた/

任務を遂行する者として現れて/わたしの前に立った/

そこに咲いていなければ/わたしはこうも爽やかな/こうも安らかな息を/することはなかったであろう/

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償いを求められることはなかった/一度も

2017年06月30日 01時37分21秒 | Weblog

償(つぐない)を課せられたことはなかった/一度も/課せられることがあったとしても/できることではなかったのだけれど/

償を課せられたことはなかった/みなが無償であった/

息を吸うごとに/吐くごとに/それを求められたら/わたしはいったいどうしただろう/たしかに空気そのものも/わたしの所有するものではなかった/そこにそれがあったから/わたしは何事もなく/息をしていた/拒否をされたとしても/不服を言える立場ではなかったのだった

息をする鼻も喉も気管支も肺も/拒否をしようとしたら/そうしたってよかったはずなのだ/わたしが造ってそこに配置したわけではなかったのだから/使用料も払わずに/生まれてからこの方ずっと/それをわたしのものと勘違いして来ただけだったのだから

それでもその間違いを糾されることもなかった/その代償を突き付けられたこともなかった/わたしに求められることはなかった/何もなかった/一度も/なかった/ひたすら無償であった/

無償は貫かれていた/わたしはそこにいるだけでよかった/生きているだけでよかった/安らかにしているだけでよかった/

地球も月も太陽も/星も銀河も宇宙も/わたしに償いを課してくることはなかった/わたしはそれを見て安らかにしているだけでよかった

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