陸海軍けんか列伝

日本帝国陸海軍軍人のけんか人物伝。

73.有末精三陸軍中将(3)ウイロビー少将は仁王立ちで、右手に刃をむいた小刀を持っていた 

2007年08月10日 | 有末精三陸軍中将
 GHQ(連合国軍最高総司令部)は最高司令官のマッカーサー元帥(昭和20年1月に元帥に昇進)、参謀長のサザーランド中将の元に参謀部四部と幕僚部五局から構成されていた。

 参謀部第二部長のウイロビー少将は、気鋭の優秀な軍人であり、GHQを実質的に仕切っているともいわれるほどの実力者だった。

 ウイロビー少将は有末中将を大変信頼し、お互い気心も通じて、なにかと有末中将のために便宜を図ってくれていた。

 ところが参謀部第二部(G2・ウイロビー少将)と幕僚部の民生局(GS・ホイットニ少将)との対立は激しいものがあった。

 昭和21年1月末から復員省において、戦争中供出の宝石類の回収が始まった。

 2月に入って、市ヶ谷台の第一復員省の副官、小林四男治少佐から有末中将へ電話で「CIS(民間諜報局)が省内に乱入、宝石を出せと、まるで強盗のようにアチコチを捜索、大騒ぎ、何とかしてくれ」との急報があった。

 対連合軍連絡委員長である有末中将は早速司令部に出向いたが、マンソン大佐が不在だったので、直接部長のウイロビー少将に直訴した。

 昼過ぎには小林少佐から「捜索に来た米軍人等は全部引き揚げたし、省内でもなんらの被害もなかった」との連絡報告があった。

 早速司令部へ出向くと、マンソン大佐がいて「ウイロビー少将が例の調子で敏速に処理してくれたからだ」と上機嫌の対応だった。

 ところが午後四時すぎ、第一生命ビルから日本クラブへ窓越しの合図で「至急来い」とのことだったので、急いで出向いてみると、マンソン大佐は課長室にいない。

 隣のウイロビー部長室を覗くと、マンソン大佐は入り口の衝立の前の小机に座って、唇に右人差し指を当てて、「静かに」と合図しながら、有末中将の入室を促した。

 有末中将が抜き足差し足で近づくと、部長室でウイロビー少将と、CIS隊長のソープ准将とが大声で言い争っているのが耳に入った。

 有末中将はソープ准将とは横浜以来の知り合いであった。また本間中将の比島裁判の前には、有末中将の自宅近くの笠井重治氏(元代議士)宅で食事を共にしたこともあった。

 マンソン大佐のすすめでもあり、意を決して有末中将はノックして部長室に入った。

 大男のウイロビー少将は向かい側で仁王立ちで、右手に刃をむいた小刀を持っていた。これに対して、小柄なソープ准将は右手に文鎮を握って、机を挟んで、あわや今にも大立ち回り取っ組み合いが始まるような険しい場面であった。

 有末中将は「何事ですか?」と咄嗟のフランス語で中に入った。

 二人とも戦勝国米国陸軍の相当の地位の軍人であった。二人は「敗戦国の将官(有末中将)を中にして、いかにも恥ずかしい」いった調子で、「イヤ別に」など二言、三言、とんだ茶番だと笑い声さえ出た。

 空気が和らいだとみてとった有末中将は、両将軍に会釈敬礼をしてひとます室を出て、マンソン大佐の課長室に戻った。

 マンソン大佐の話ではウイロビー少将がCIS乱入事件で有末中将の要請でウイロビー少将がCIS長官のソープ准将に電話で交渉中、つい口がすべって「CISは泥棒だ」とののしった。

 これに対してソープ准将はCISを急いで陸軍省から引き揚げさせ、事情を調べたところ「任務上、宝石の捜査に出かけただけだ」とのことで泥棒の気配などなかったことを知った。

 ソープ准将は急いでウイロビー少将の部屋に行き、問答の末、「CISを泥棒呼ばわりしたのは怪しからぬ」となじった。

 ところがウイロビー少将は、失言を詫びるどころか、高飛車に「無警告で乱入して、宝石を探すのは泥棒でなくて何だ?」と答えた。

 かっとなったソープ准将は「貴様こそ泥棒だ」と言った。「何っ!」と答えるウイロビー少将に「貴官は有末中将に要求して、黄金造りの大太刀などを泥棒しているじゃないか」と言い、激論になったという。

 以前有末中将は、ウイロビー少将に「だれか日本刀を譲ってくれる人がいないかねえ」と相談された。

 有末中将は日本橋の竹田組の親分に相談すると、奥に入って数分後大きな「黄金造りの太刀」を差し出した。値段を聞くと、「とんでもない、あなたの占領軍対策に役立ててください」と金を受け取らなかった。

 その太刀をウイロビー少将に渡すと、大喜びで、部下を集めて披露していた。ウイロビー少将は竹田組の親分に長文の感謝の手紙を書き、進駐軍への配給のケアーボックス(十日分の携帯食料で乾燥麺、牛肉、野菜などの缶詰、チョコレート、タバコなどの詰め合わせ)を二箱届けてくれと有末中将に託した。

 ソープ准将が言った「黄金造りの大太刀」とはその刀のことであった。この争いも、参謀部第二部と、幕僚部民生局との激しい勢力争いが根底にあったのだった。