陸海軍けんか列伝

日本帝国陸海軍軍人のけんか人物伝。

26.高木惣吉海軍少将(6) 場合によっては副長だろうとなんだろうと、そのままでは、おかぬぞ

2006年09月15日 | 高木惣吉海軍少将
午前十時ころ、航海士の青山少尉を呼んで聞くと、まだ浅瀬が見つからず、ユデダコのようになった重松艦長が、当直将校などのけ者にして、さかんに面舵、取り舵でグルグルまわりしているという。

 高木大尉は、言わないことか、六時間はたっぷり遅れたと思いながら、いま少し探させたがいいとそのままにした。

 正午近くになり、高木大尉が艦橋に出ると、さすがの気象艦長もシャッポを脱いで「航海長、天測をたのむ!」「はあ、そのつもりで来ました」。

 一、二回の天測で正確な位置線がすうっと出た。高木大尉が「面舵十五度」「針路南七十度西」と操舵員に命じると、その方向に七、八分走ったら、早瀬のように白波を立てた浅瀬が見えた。高木大尉は「溜飲が音をたてて、一度にさがった気がした」という。

 それから、二ヵ月後に退艦するまで、重松艦長は高木大尉の航法や艦位には一切文句をつけなくなった。

 しかし、親切で温厚な重松艦長に意地悪をやったのは気がとがめ、高木大尉が艦長室にお詫びに行ったら、あべこべに向こうから謝られて恐縮した。

 この測量艦「満州」でも、高木大尉は副長運が悪かった。
事の起こりは、副長の児井勲少佐が石炭積に勝手に高木航海長の部下の信号員をかりだした。

 内規では信号部員は石炭積みを免除されていた。航海士が高木に副長が信号部員を使っていると訴えてきたのである。

 これはT機関長の要請に副長が応じたものだった。このT機関長は大シケの時、盛んに艦長、航海長の措置を非難していたので、高木はなお頭にきた。

 その晩、食卓で、艦長以下士官のいる前で、内規を無視した副長にかみつき、「場合によっては副長だろうとなんだろうと、そのままでは、おかぬぞ」と詰め寄った。

 高木の様子が余りに激しかったので重松艦長が仲に入り内規と違った例外措置は、あらかじめ航海長の了解が必要ということで落着した。だが高木は腹の虫が納まらなかった。

 高木大尉は海軍大学甲種学生の口頭試験に出るため「満州」を退艦することになり、副長も一緒のランチで上陸した。

 桟橋までの雑談中に副長が「航海長、本省にいったら、いままでのように威張るなよ」と言ったから、高木大尉は、野郎なにをぬかすかと思い、「威張ったのは副長でしょう。私はまちがった仕打ちをする奴には、相手が大臣だろうと楯突きます!」と言い返した。

 後年、高木はこの時のことを「しみじみ私という人間はどこまで天の邪鬼に生まれついた者かと思えてならない」と述懐している。