陸海軍けんか列伝

日本帝国陸海軍軍人のけんか人物伝。

573.源田実海軍大佐(33)源田一人の考えを定説のごとく断定して教えるのはよくない。取り消せ

2017年03月17日 | 源田実海軍大佐
 これに対し、アメリカ軍の戦闘参加者(陸軍・海兵隊)約六〇〇〇〇人のうち、戦死者は約一六〇〇人、戦傷者は約四二〇〇人だった。

 昭和十七年八月から昭和十八年一月までのガダルカナル島争奪戦における日本海軍航空部隊の損害は、飛行機喪失八九三機、搭乗員戦死二三六二人。

 ソロモン方面航空戦、南太平洋海戦などで失われた多数の航空機搭乗員について、源田実は後に、次の様に述べている。

 「三原元一、檜貝襄二、村田重治などの英傑が、南太平洋の航空消耗戦において、相次いで世を去った。海軍がこれらの人々を失ったことは、その人たちの大きな力を後の戦闘に振るわせることができなかっただけでなく、優秀な後進指導力をも失ったのであって、その損失は測り知れなかった」。

 しかし、なぜこのようになったかについては、源田実は、何も語ってはいない。

 昭和十八年二月十一日、連合艦隊司令部は、トラック島の泊地で、戦艦「大和」から、戦艦「武蔵」に移った。通信装置も一段と充実して、儀装成った新しい、戦艦「武蔵」が連合艦隊の旗艦になり、豪華なオフィス兼ホテルとしての役目を果たすことになった。

 この頃、大鑑巨砲の殿堂、横須賀海軍砲術学校において、大尉級の高等学生たちに対して、軍令部第一課部員・源田実中佐は次のように言った。

 「かの万里の長城、ピラミッド、『大和』、『武蔵』、こんなデカいものをつくり、世界中の物笑いになった。あんなものは、一日も早くスクラップにして、航空母艦にしたほうがよい」。

 あまりなことに、横須賀砲術学校教頭・黛治夫(まゆずみ・はるお)大佐(群馬・海兵四七・海軍砲術学校高等科・海大二八・海軍砲術学校教官・戦艦「大和」副長・第三遣支艦隊参謀・大佐・水上機母艦「秋津洲」艦長・第一一航空艦隊兼第八艦隊参謀・横須賀砲術学校教頭・重巡洋艦「利根」艦長・横須賀鎮守府参謀副長・化学戦部長・終戦・ビハール号事件で戦犯・拘留・戦後極洋捕鯨入社)は源田中佐に次のように言った。

 「君が今話していたことは、日本海軍の定説ではない。源田一人の考えを定説のごとく断定して教えるのはよくない。取り消せ」。

 だが、源田中佐は「取り消しません」と言って、応じなかった。

 昭和十八年四月十八日、前線基地刺殺のため、一式陸攻二機に分乗して飛び立った、連合艦隊司令長官・山本五十六大将と、幕僚は、ブーゲンビル島上空で、アメリカ陸軍航空隊P-38ライトニング戦闘機十六機に襲撃された。

 一式陸攻は二機とも撃墜され、山本五十六大将は戦死した。海軍甲事件である。戦死後、山本五十六大将は、ナチスドイツから剣付柏葉騎士鉄十字章を授与された。この勲章は、外国人では山本大将だけだった。騎士鉄十字章の外国人受章者の中では山本大将が最高位だった。

 四月二十一日、連合艦隊司令長官に古賀峯一(こが・みねいち)大将(佐賀・海兵三四・十四番・海大一五・四番・在フランス駐在武官・ジュネーヴ海軍軍縮会議全権随員・海軍省先任副官・戦艦「伊勢」艦長・少将・軍令部第二班長・第七戦隊司令官・中将・練習艦隊司令官・軍令部次長・第二艦隊司令長官・支那方面艦隊司令長官・大将・横須賀鎮守府司令長官・連合艦隊司令長官・飛行機事故で殉職<海軍乙事件>)が親補された。

 昭和十八年七月一日発足した、第一航空艦隊は、昭和十九年二月十五日、連合艦隊に編入された。

 この第一航空艦隊は、開戦時の第一航空艦隊ではなく、基地を移動しながら作戦を行う、予定総機数一〇〇〇機以上という基地航空部隊だった。サイパン、テニアン、グアム、トラック、パラオ、ヤップ、ダバオ、オーストラリア北方、セレベスの各方面に配備される予定だった。

 この時点で、軍令部が予想する決戦海面は西カロリン諸島南方、一方、連合艦隊が予想する決戦海面の第一が、パラオ島付近、第二が西カロリン諸島付近だった。

 昭和十九年五月、海軍省赤煉瓦ビル三階の軍令部作戦室で、参謀肩章を吊った軍令部総長・嶋田繁太郎(しまだ・しげたろう)大将(東京・海兵三二・二十七番・海大一三・巡洋戦艦「比叡」艦長・少将・第二艦隊参謀長・連合艦隊参謀長・海軍潜水学校長・第三艦隊参謀長・軍令部第三班長・軍令部第一班長・軍令部第一部長・中将・軍令部次長・第二艦隊司令長官・呉鎮守府司令長官・支那方面艦隊司令長官・大将・横須賀鎮守府司令長官・海軍大臣・兼軍令部総長・軍令部総長・終戦・A級戦犯)を前にして部員たちが集まっていた。

 敵がマリアナに来るか、カロリンに来るか、討論する会議のためだった。大井篤(おおい・あつし)大佐(山形・海兵五一・九番・海大三四・三番・第二遣支艦隊作戦参謀・海軍省軍務局調査課・海軍省人事局第一課先任局員・第二一特別根拠地隊参謀・軍令部第一部戦争指導班長・海上護衛隊司令部作戦参謀・大佐・兼連合艦隊参謀・戦後GHQ歴史課嘱託)は当時海上護衛隊司令部参謀だった。



1 コメント

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一式陸攻の利点がね? (氷川丸)
2017-03-17 20:15:19
一式陸攻は高高度が利点なのに、アメリカ軍から、ワンショットライターと揶揄されました。
たぶん、燃料はまだまだ在ったと思います。
高度9000メートル迄上昇すれば、P38
ペロハチは攻撃できなかっと推察しますね。
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