大西少将は、広島県呉の連合艦隊旗艦、戦艦「長門」へ急行した。山本五十六司令長官は真珠湾奇襲攻撃がいかにすれば成功するか、航空作戦に通暁している大西少将に相談した。大西少将は研究してその結果を報告すると答えた。
大西少将は山本長官から命ぜられた真珠湾奇襲攻撃について、第一航空艦隊航空甲参謀・源田実中佐(広島・海兵五二・海大三五次席・横須賀航空隊飛行隊長・英国駐在武官補佐官・中佐・第一航空艦隊航空甲参謀・大本営軍令部第一課・大佐・第三四三海軍航空隊司令官・戦後東洋装備(株)社長・航空自衛隊航空団司令・空将・航空総隊司令・第三代航空幕僚長・参議院議員・勲二等旭日重光章・裁判官弾劾裁判所裁判長)を呼んで慎重な検討を行った。
できあがった真珠湾攻撃計画を、大西少将は、その年の四月、山本長官に答申した。その内容(要旨)は、「真珠湾の水深が浅いので魚雷発射に不適。奇襲は隠密行動が求められるが機密保持が困難。この二点を克服するかが成否の岐路になる」というものだった。
山本長官は、この真珠湾攻撃計画を見ると、大西少将にこれを軍令部第一部長・福留繁少将に渡し、部長室の重要書類を入れる大金庫に収納するように命じた。
「遥かなり真珠湾」(阿部牧郎・祥伝社)によると、戦艦「長門」の連合艦隊先任参謀・黒島亀人大佐と戦務参謀・渡辺安次中佐(兵庫・海兵五一・海大三三・連合艦隊戦務参謀・軍令部部員・戦後海上保安庁技術部長)は長官公室に呼ばれた。
山本五十六長官は書類をテーブルに置いて、「ハワイをやろうと思うんだ。ほかにアメリカに勝つすべはない」、「もはや艦隊決戦の時代ではない、これからの戦争は飛行機が主戦力となる」などと言った。
山本長官は空母航空部隊の総力をあげて真珠湾に奇襲攻撃をかけ、アメリカ太平洋艦隊を海中へ沈めてしまう考えだった。
だが、黒島大佐、渡辺中佐はもとより、連合艦隊司令部の参謀長以下八名の参謀全員、ハワイ奇襲作戦など念頭になかった。
山本長官はテーブルの上の書類をとって、二人に見せた。書類は二種類あった。どちらも「ハワイ作戦素案」となっていた。作成者は一通が第十一航空艦隊参謀長・大西瀧治郎少将、もう一通は第一航空戦隊航空甲参謀・源田実中佐だった。
山本長官は「よろこべ、ガンジー。作戦構想は大西、源田ともに大賛成だ。実行には多くの障害や困難がともなうが、努力によって克服できる。飛行機による奇襲は可能だそうだ」と言った。「ガンジー」は黒島大佐のニックネームである。
黒島大佐と渡辺中佐はともに昂奮して「これはすごい、真珠湾をやりましょう」と口に出した。
黒島大佐は「この作戦のために山本長官は俺を先任参謀に抜擢してくれたのだ」。黒島大佐は納得し感激して胸を振るわせた。
作戦を考えるにあたり、黒島大佐は他人と違う発想をする能力がある。黒島大佐自身それを誇りに思った。山本長官がその能力を買ってくれたのだ。
山本長官は「君たちにこの作戦の具体的な肉付けをお願いしたい。精密な実行計画を作り上げてくれ。先任参謀、見事な計画を練り上げてくれ」と言った。
黒島大佐は「承知いたしました。全知全能を傾けて作業にあたります。必ず戦史に残る青写真をご覧にいれます」と約束した。
「連合艦隊作戦参謀・黒島亀人」(小林久三・光人社NF文庫)によると、黒島大佐は旗艦「長門」の私室に閉じこもって、作戦の想を練った。
艦内は暑い。暑くなると黒島大佐は素っ裸になった。想に夢中になり素っ裸のまま艦内を逍遥し、驚く水兵たちにも平気だった。
集中力を高めるため、私室に香をたいた。さらに舷窓を閉じ、室内を暗くした。想を練り始めると、風呂にも入らなかった。一ヶ月も入らなくても平気だった。
思考力を高めるためといって、ヘビースモーカーだった。愛用の煙草「朝日」をひっきりなしに吸った。口内がいがらっぽくなり、しまいには味覚まで失われたが、それでも煙草を口から離さなかった。
こうした黒島大佐の異様な生活は、艦内では「奇人参謀」、「変人参謀」と陰口が叩かれた。
日露戦争当時の常備艦隊先任参謀は、秋山真之中佐(愛媛・海兵一七首席・大尉・米国駐在武官・少佐・海大戦術教官・常備艦隊参謀・旗艦「三笠」乗艦日露戦争参加・中佐・連合艦隊参謀・海大戦術教官・巡洋艦「秋津州」艦長・大佐・巡洋艦「橋立」「出雲」「伊吹」艦長・軍令部第一班長・少将・軍務局長・第二水雷戦隊司令官・中将・死去)だった。
秋山中佐は、当時の連合艦隊司令長官・東郷平八郎大将が「智謀如湧」(智謀湧くが如し)と作戦立案能力を評価した優秀な先任参謀だった。
だが、秋山中佐も奇行が多い人物だった。人前で平気で水虫を掻く、ところ構わずおならをする。食事中にぷいと外出して、いつまでたっても帰らない。
そして、突然帰ってくると、いきなり食事を要求する。海軍ではうるさい服装にも無頓着で、いつも汚れて、ヨレヨレのズボンをはいている。
精神の集中、思考の凝集といったものが、秋山中佐にそういった、常人には奇行と映る態度をとらせるのだが、黒島亀人大佐も同様だった。
大西少将は山本長官から命ぜられた真珠湾奇襲攻撃について、第一航空艦隊航空甲参謀・源田実中佐(広島・海兵五二・海大三五次席・横須賀航空隊飛行隊長・英国駐在武官補佐官・中佐・第一航空艦隊航空甲参謀・大本営軍令部第一課・大佐・第三四三海軍航空隊司令官・戦後東洋装備(株)社長・航空自衛隊航空団司令・空将・航空総隊司令・第三代航空幕僚長・参議院議員・勲二等旭日重光章・裁判官弾劾裁判所裁判長)を呼んで慎重な検討を行った。
できあがった真珠湾攻撃計画を、大西少将は、その年の四月、山本長官に答申した。その内容(要旨)は、「真珠湾の水深が浅いので魚雷発射に不適。奇襲は隠密行動が求められるが機密保持が困難。この二点を克服するかが成否の岐路になる」というものだった。
山本長官は、この真珠湾攻撃計画を見ると、大西少将にこれを軍令部第一部長・福留繁少将に渡し、部長室の重要書類を入れる大金庫に収納するように命じた。
「遥かなり真珠湾」(阿部牧郎・祥伝社)によると、戦艦「長門」の連合艦隊先任参謀・黒島亀人大佐と戦務参謀・渡辺安次中佐(兵庫・海兵五一・海大三三・連合艦隊戦務参謀・軍令部部員・戦後海上保安庁技術部長)は長官公室に呼ばれた。
山本五十六長官は書類をテーブルに置いて、「ハワイをやろうと思うんだ。ほかにアメリカに勝つすべはない」、「もはや艦隊決戦の時代ではない、これからの戦争は飛行機が主戦力となる」などと言った。
山本長官は空母航空部隊の総力をあげて真珠湾に奇襲攻撃をかけ、アメリカ太平洋艦隊を海中へ沈めてしまう考えだった。
だが、黒島大佐、渡辺中佐はもとより、連合艦隊司令部の参謀長以下八名の参謀全員、ハワイ奇襲作戦など念頭になかった。
山本長官はテーブルの上の書類をとって、二人に見せた。書類は二種類あった。どちらも「ハワイ作戦素案」となっていた。作成者は一通が第十一航空艦隊参謀長・大西瀧治郎少将、もう一通は第一航空戦隊航空甲参謀・源田実中佐だった。
山本長官は「よろこべ、ガンジー。作戦構想は大西、源田ともに大賛成だ。実行には多くの障害や困難がともなうが、努力によって克服できる。飛行機による奇襲は可能だそうだ」と言った。「ガンジー」は黒島大佐のニックネームである。
黒島大佐と渡辺中佐はともに昂奮して「これはすごい、真珠湾をやりましょう」と口に出した。
黒島大佐は「この作戦のために山本長官は俺を先任参謀に抜擢してくれたのだ」。黒島大佐は納得し感激して胸を振るわせた。
作戦を考えるにあたり、黒島大佐は他人と違う発想をする能力がある。黒島大佐自身それを誇りに思った。山本長官がその能力を買ってくれたのだ。
山本長官は「君たちにこの作戦の具体的な肉付けをお願いしたい。精密な実行計画を作り上げてくれ。先任参謀、見事な計画を練り上げてくれ」と言った。
黒島大佐は「承知いたしました。全知全能を傾けて作業にあたります。必ず戦史に残る青写真をご覧にいれます」と約束した。
「連合艦隊作戦参謀・黒島亀人」(小林久三・光人社NF文庫)によると、黒島大佐は旗艦「長門」の私室に閉じこもって、作戦の想を練った。
艦内は暑い。暑くなると黒島大佐は素っ裸になった。想に夢中になり素っ裸のまま艦内を逍遥し、驚く水兵たちにも平気だった。
集中力を高めるため、私室に香をたいた。さらに舷窓を閉じ、室内を暗くした。想を練り始めると、風呂にも入らなかった。一ヶ月も入らなくても平気だった。
思考力を高めるためといって、ヘビースモーカーだった。愛用の煙草「朝日」をひっきりなしに吸った。口内がいがらっぽくなり、しまいには味覚まで失われたが、それでも煙草を口から離さなかった。
こうした黒島大佐の異様な生活は、艦内では「奇人参謀」、「変人参謀」と陰口が叩かれた。
日露戦争当時の常備艦隊先任参謀は、秋山真之中佐(愛媛・海兵一七首席・大尉・米国駐在武官・少佐・海大戦術教官・常備艦隊参謀・旗艦「三笠」乗艦日露戦争参加・中佐・連合艦隊参謀・海大戦術教官・巡洋艦「秋津州」艦長・大佐・巡洋艦「橋立」「出雲」「伊吹」艦長・軍令部第一班長・少将・軍務局長・第二水雷戦隊司令官・中将・死去)だった。
秋山中佐は、当時の連合艦隊司令長官・東郷平八郎大将が「智謀如湧」(智謀湧くが如し)と作戦立案能力を評価した優秀な先任参謀だった。
だが、秋山中佐も奇行が多い人物だった。人前で平気で水虫を掻く、ところ構わずおならをする。食事中にぷいと外出して、いつまでたっても帰らない。
そして、突然帰ってくると、いきなり食事を要求する。海軍ではうるさい服装にも無頓着で、いつも汚れて、ヨレヨレのズボンをはいている。
精神の集中、思考の凝集といったものが、秋山中佐にそういった、常人には奇行と映る態度をとらせるのだが、黒島亀人大佐も同様だった。