陸海軍けんか列伝

日本帝国陸海軍軍人のけんか人物伝。

482.東郷平八郎元帥海軍大将(22)「緒戦に旗艦をたたけ」。これが東郷司令長官の鉄則だった

2015年06月19日 | 東郷平八郎元帥
 明治三十八年五月二十七日午後二時、対馬沖でロシアのバルチック艦隊と日本の連合艦隊は距離八千メートルに近づいた。バルチック艦隊は二列縦隊、連合艦隊は単縦隊だった。

 「東郷平八郎」(中村晃・勉誠社)によると、午後二時八分頃、旗艦「三笠」(一五一四〇トン)の艦橋にいた東郷司令長官は、無言で右手を高く上げた。その手が動き、左方に大きく半円を描いた。

 すかさず参謀長の加藤友三郎少将が命令を伝えた。「艦長、取り舵一杯」。左へ百八十度回転せよというのである。これが海戦史に名高い「敵前大回頭」だった。

 これはこれまで前方からバルチック艦隊の右舷側に向かって接近してきたのに、急に敵艦隊の前方を横切ったのち、左百八十度回転して敵艦列の左舷に出て、そこから敵艦と同方向に並列して進む形となった。

 東郷司令長官のとろうとした戦法は「同(並)航戦」である。そのまま連合艦隊が進めば、「反航戦」になることは明らかだった。つまり反航戦はすれ違いに砲撃するから、戦闘時間も短く、敵に決定打を与えにくいという欠点があった。東郷司令長官のねらいは、あくまでも長時間砲撃で敵艦隊を壊滅させることにあったのだ。

 だが、同航戦となれば、自分の受ける損害も大きくなる。東郷司令長官は、それも覚悟の上だった。「肉を切らせて骨を断つ」ことができれば良し、と決断した。

 だが、東郷司令長官には、合理的な成算があった。第一には、バルチック艦隊の艦速が遅いという事だった。石炭の積み過ぎと、老朽艦が多かったのだ。

 第二には、東郷司令長官は連合艦隊の砲撃に絶大な信を置いていた。鎮海湾での訓練状況から見て、命中率の高さは満足できる水準に達していた。さらに、この日の日本海は波が高かった。このような条件下では、必ずその優劣が極立つのだ。

 ほぼ両艦隊が平行して航行するうち、敵味方の距離が六四〇〇メートルに達した時、「三笠」の右舷砲門が一斉に火を噴き、後続する諸艦隊もそれにならった。その標的は、旗艦「スワロフ」(一三五一六トン)と第二艦隊の旗艦「オスラービア」(一二六四七トン)だった。

 「緒戦に旗艦をたたけ」。これが東郷司令長官の鉄則だった。旗艦を失えば、敵は命令系統を欠き、全艦隊が統制ある攻撃に出ることが困難になるのだ。

 両艦隊の距離はますます縮まり、四六〇〇メートルの接近戦となると、連合艦隊の砲撃の命中率も一層高くなった。このことは東郷司令長官が常々口にしている「艦砲射撃は七〇〇〇メートル以内でこそ、その効果が発揮できる」を見事に実証した。

 日本海軍連合艦隊の最初の右舷一斉砲撃で、旗艦「スワロフ」の前方煙突の横に命中して、付近の者は全員戦死した。次の砲撃では、「スワロフ」の司令塔に命中して、司令官・ロジェストベンスキー中将と「スワロフ」の艦長が負傷した。その上、無電装置も破壊されて他艦との通信が不可能になった。

 「スワロフ」の艦上は至る所火の海につつまれ、この世の焦熱地獄を現出していた。これはロシア側では知らなかったが、日本海軍の下瀬火薬の威力だったのだ。この下瀬火薬を使用した砲弾は、敵艦上の何かに触れただけで爆発して凄まじい火焔を発した。

 第二艦隊の旗艦「オスラービア」も火災を起こした。火災はこの二艦だけに限らなかった。連合艦隊の撃ちだす砲弾は他の艦艇にも次々に命中し炸裂した。海戦が始まってから三十分後には、バルチック艦隊の主だった艦艇はことごとく火の海に包まれた。

 連合艦隊の艦砲の命中率は、すさまじいものだった。バルチック艦隊の陣形は大きく崩れ、四分五裂となった。もはや日本海軍連合艦隊の優位は明白となり、東郷司令長官もこのことをはっきり意識した。

 この頃から連合艦隊は砲弾を徹甲弾に切り替えた。この徹甲弾なら、敵艦体の厚い装甲も突き破ることができた。「スワロフ」の後部砲塔はこの徹甲弾二発の直撃を受けて爆発した。砲の一つはねじ曲がって上を向き、砲手全員が死傷した。

 第三弾は艦体の横腹喫水線に命中した。その大きな穴から海水が艦内に濁流のように流れ込んだ。第四弾は中甲板を貫き、第五弾はメーンマストを海に放り出し、煙突の一つがねじ曲がって倒れた。もう一つの煙突は穴だらけになり、基部には火が走っていた。第六弾は、操舵機をめり込ませ、自由に舵を切れなくなった。

 「オスラービア」も次々に被弾し、やがてひっくり返って艦底を見せると、数分とたたぬうちに波間に消えた。艦長はこの時艦と運命を共にした。海戦はなおも続いた。連合艦隊は砲撃の手をゆるめなかった。

 やがて日没を迎えると、午後七時十分、東郷司令長官は攻撃中止命令を出した。戦いは「スワロフ」「オスラービア」など七隻を沈没させた連合艦隊の圧倒的な勝利だった。

 さらに、その夜、連合艦隊の駆逐艦二十一隻、水雷艇四十隻による夜襲で、戦艦「ナワリン」、巡洋艦「ドミトリー・ドンスコイ」は撃沈され、戦艦、巡洋艦など三隻が大破した。また、戦艦「モノマフ」と「シソイ・ベリキー」は対馬海峡で捕獲を免れるため自沈した。