陸海軍けんか列伝

日本帝国陸海軍軍人のけんか人物伝。

291.鈴木貫太郎海軍大将(11)八代海相は「鈴木次官にもう少し政治性があったら」とこぼしていた

2011年10月21日 | 鈴木貫太郎海軍大将
 大正三年六月、第一次欧州大戦が勃発し、日本は日英同盟の誼により八月二十三日ドイツに対して宣戦布告した。

 戦争開始により、その戦費調達のため、政府は臨時議会を開くことに決した。総額五千三百万円の臨時軍事費中、海軍は駆逐艦十隻の建造費千五百十七万円を要求した。

 予算閣議の席上、八代海相の説明を聞いた若槻禮次郎(わかつき・れいじろう)蔵相(東京帝大法学部首席・首相・男爵)は、「これは臨時議会に提出する性質のものではない。通常議会まで待ってもらいたい」と拒絶した。

 そこで、両相の間に激しい論戦が展開したが、この種の議論になると八代海相は若槻蔵相の敵ではなかった。散々論破されて席を蹴って起った。辞職するつもりだった。

 八代海相は鈴木貫太郎次官に閣議の顛末を話し、辞任の決意を告げた。驚いた鈴木次官は、大蔵省に浜口雄幸(はまぐち・おさち)次官(東京帝大法学部・蔵相・内務相・首相)を訪ね、若槻蔵相の翻意を頼んだ。

 浜口次官は「八代海相は何かといえばすぐ辞職するという。そんなに辞めたいなら辞めるがいいと若槻蔵相は話している。とても翻意は駄目」と受け付けてくれなかった。

 そこで鈴木次官は「駆逐艦十隻の作戦上の価値を知らないから、そんなことを言われるのだ」と、こんどは得意の小艦艇の威力について熱心に説明した。だが、浜口次官はなかなか承知してくれなかった。

 鈴木次官が「それなら蔵相に直談判するから取り次いで貰いたい」と言うと、浜口次官は「蔵相はいま外務省に行かれて留守だ」と言う。

 若槻蔵相は先程まで隣の大臣室にいたが、両次官の談判がなかなか面倒らしいと聞いて、加藤高明外相(東大法学部首席・首相・伯爵)の許に行ったのだ。

 「外務省に行っておられるなら、外務省まで行くから君も同道してくれ」と鈴木次官も強引に言った。浜口次官はしぶしぶ車に同乗した。

 車中で浜口次官は遂にカブトを脱ぎ、「君の熱意には負けた。蔵相には私からよく説明して、必ず君の説を通してやるから、直談判だけは勘弁してくれ」と言った。

 「それでは、君に一任する」と言って、浜口次官を外務省に送り込んで、鈴木次官は海軍省に帰った。二、三時間後、浜口次官から電話で「海軍予算は全部承諾することになったから、安心してくれ」と鈴木次官に通知してきた。これで、八代海相も辞意を思い止まった。

 ところが、議会が開会されて、駆逐艦十隻建造を含む海軍予算に対して、政友会が削除することに決めたとの報が、鈴木次官の許に届いた。

 それは大変だと鈴木次官は海軍省の隣にある衆議院議長官舎に大岡育造(おおおか・いくぞう)衆議院議長(長崎医学校・司法省法学校・文部大臣)を訪ねた。

 そして「駆逐艦十隻の価値については、政友会が一番良く知っているはずである。議長の斡旋によって、是非無事に海軍予算の通過する様にして貰いたい」と頼み込んだ。

 大岡衆議院議長は黙って鈴木次官の話を聞いていたが、「ご趣旨はよく分かった。しかし政友会としてはつい先程の幹部会で削減することに決めたばかりだから、それを覆すことはちょっとむずかしい。けれども君の説はもっともだと思うから、及ぶ限りの努力はしてみよう」と返事をした。

 鈴木次官は、さっそく海軍省に帰って八代海相に事の顛末を報告した。だが、喜んでくれると期待していたのに、八代海相は頗る機嫌が悪かった。

 八代海相は「そんな重大なことは、事前に相談してからやって貰いたい」と言った。

 鈴木次官は「それは気付かぬではなかったが、大臣に相談すると承知されそうもないと思って独断でやりました」と答え、謝った。

 八代海相は「鈴木次官にもう少し政治性があったら」とこぼしていた。そのことを、鈴木次官も薄々承知していた。

 だからこそ、就任の際、「次官はお断りする」と言ったのに、それで宜しいと無理に引っ張り出されたのだから、文句はむしろ鈴木次官のほうで言いたいところだった。

 八代海相がこの時不機嫌だったのは、海軍予算については既に見切りをつけていた。議会では、貴衆両院とも、海軍は火事場泥棒を働いている。通常議会まで待てないほど緊急なものではないと海軍に対する風当たりが非常に強かったのだ。

 議会答弁では、八代海相は余り得意ではない。それを大隈首相がカバーして解散風をちらつかせながら威嚇し、政友会内でも大岡衆議院議長の奔走があり、予算は無疵で議会を通過した。