OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

表現したいこと・・・

2010-04-23 15:17:25 | Weblog
音声日記で、すこし呟いたんですが・・・まったく思考が広がらなかったので、文字の日記では話題にしなかったのですが・・・広がらないまま、それでも考え続けているので・・・っていうか、これもまた、定期的に嵌っている課題であるわけなので・・・記録として、文字にもしておこうと思った次第です。

よく、若い役者さんや、若いミュージシャンさんが、自分たちのことを「表現者」と言い表しているのを耳にしますが・・・彼らは、いったい何を表現しているのでしょうね。役者なら、与えられた役柄ってことでしょうか・・・いや、それだけでもない口ぶりだと思うのですが・・・普遍的な人間という存在だったりするのでしょうか。それとも・・・ふむ・・・。

実は、わたしも自分のことを「表現したい人」だと感じているんです。残念ながら、表現できていると思えたことは一度もないので、「表現者」だとは名乗れませんが・・・「表現したい」と渇望している人間であると感じているのです。でも、にも関わらず、その自分が“何を”表現したいのか、それが分からないんです。

表現するための道具としては、“言葉”が一番合っているのかなとは思えるようになってきたのですが・・・でも、なら“言葉”を使って“何を”表現したいのか、それが分からないんですよね。それが、一番、肝心なことなのに(^^;。

表現したいものが分からないのに、「表現したい」気持ちだけが、ふつふつと煮えたぎるって、一体どういうことなんだと、自分でも不可解なんですが・・・きっと、表現したいものがないわけじゃなく、意識上に上ってこないだけなんだろうと推察しています。

人事のように考えると、きっと“自己表現”ってやつが、一番妥当なんじゃないかと思います。つまり“自己”を「表現したい」のだろうって。っていうか、正直、若い頃には「それしかないだろう」って、頭から思い込んでいました。人が生きるって、そもそも自己を表現するってことだろうって。でも、なんだかね・・・そうじゃなくはないんですが・・・それだけなのかなとも思うんですよね、最近。って言うか、年配の方は分かってくださるんじゃないかと思うんですが、年を重ねるごとに、自分のことがどうでも良くなってくるんですよ、何故だかよく分かりませんが。でも、だからといって「表現したい」という欲望は、どうでもよくなってはいない。むしろ、落ち着いた形で、さらに強く意志している自分を感じるんですよね。だとすれば、望んでいる「表現したい」ものは“自分”というだけでは不十分なのかもしれない・・・。

こうやって、ブログなどを書いていると・・・もっと、せつな的な感情なのかなと思うこともあるんですよ。今感じた喜怒哀楽的なことっていえばいいのかな。Twitter愛用の皆さんなら、そういう感情は、とてもよく理解くださるんじゃないかと思いますが。ただ・・・せつな的な感情表現をしたとしても、それだけで終わってしまえば、満足できないだろうことは、自分でも分かっているんですよね。それが入り口であってもよいと思うけど・・・そこで終わっては、わたしの「表現したい」は満足できないだろうなと。だとすれば、わたしの「表現したい」は、どこに行き着けば満足できるんだろう・・・。

音楽のもつ影響力を実感した大物ミュージシャンの方たちなどは、影響力を与えられてしまった自分たちの責任として、「愛」とか「平和」とか、今の時代ならプラス「環境問題」などに関するメッセージを表現して、世の中の役に立とうとしていらっしゃるようですが・・・わたしの「表現したいこと」も、そういうところに帰結するんでしょうか・・・どうも、違うような気はしているんですよね。

映画を見ていると、昨日感想をあげた『原爆の子』の新藤監督や、今日感想をあげた『ジャス大名』の岡本監督には、ご自分の作品に、しっかりとしたテーマを持ってらっしゃいますよね。岡本監督などは、娯楽性が高い作品を撮られるのに、同時にかなりの社会派監督でもあるわけで・・・ご自分の「表現したい」ことが、はっきり分かっていらっしゃるんだなぁ~と、まことに羨ましく拝見します。けど・・・わたしには、そういう拘りたいテーマも、特にないんですよね。

信仰をもっている方たちは、自分を介して、神の意思だとか、宇宙の真理だとか、自然からメッセージを伝えたいと思っているのかな・・・なんとなくですが、そんな気がするのですが・・・わたしには、それほど大きなものを感じ取る力はないですしね・・・。

この年になるまで、「何をされているんですが」と職業を聞かれても、「まぁ~、なんとなく色々と」というような曖昧な返事しかできない、目的もテーマもない生き方をしてきたので・・・一種の自己防衛本能でもって、「人生をかけて自分を表現しているのだ」なんて、顔が真っ赤になるような気取った台詞を吐いたりもしていましたが・・・っていうか、不安な自分をなだめるために、自分自身にそう言い聞かせてきましたが・・・最近、それも逃げだなって思うわけです。

だから・・・ふむ・・・わたしは、何を表現したいんだろう・・・

与えられた時間内で、それを意識上に昇らせることができるんだろうか。もう、あまり時間もないというのに・・・意識したとたんに、タイムリミットなんてことなったら、なんとも悔しいことだなぁと思うのであります。でも、まっ、それならそれで、仕方ないとも思ってるんですがね(^^;。

『生声日記』
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『映画鑑賞感想文』
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