OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

そもそも表情って、どうして必要なんだろう・・・

2011-10-27 13:06:53 | Weblog
昨日に引き続き、また表情のお話です(^^;。

実は、あれから何気にテレビを見ていて、自分が赤ちゃんの笑顔につられて、一人ニコニコしているのに気づいて、おかしくなっちゃったのです(^^;。楽しいことも、可笑しいこともないのに、ただ赤ちゃんが笑っているのを見ただけで、一緒になってニコニコしてるぞ・・・変なのって(^^;。でも、これって、きっと、わたしだけのことじゃないですよね。みなさんだって、赤ちゃんの笑顔には、つられて微笑んでしまいますよね(^^)。

けど、どうしてそんなことになるのかなぁ~・・・と、不思議に思わなくはないです・・・でしょ。以前何かで、「絶対に一人で生きていけない人間の赤ちゃんは、大人の人間に可愛いと感じさせ、世話がしたいと思わせる必要があるので、そうなるような要素を備えて生まれてくる」って聞いたことがありますが・・・きっと、たぶん、笑顔もその一つなんでしょうね(^^;。

ただ、ふと思ったんですが・・・それにしても、人間って、表情が豊かですよね。喜怒哀楽を表すのも、単純なパターン化された表情じゃなく、個性ってものがあるし・・・しかも、個性があっても、ちゃんと誰にでも伝わる共通性は保っていて・・・ものすごく、高度なコミュニケーション術だなぁって思います。

でも、どうして、そんなに高度なコミュニケーションが必要なんでしょ、わたしたち。言葉も使って、表情も使って、身振り手振りも使って・・・そこまでして、何を伝え合わなきゃいけないんでしょう。さらには、芸術なんてものを使って、もっと複雑な心の機微だとか深層心理だとかまで表し伝えようとする。どうして、そんなことが、わたしたちには必要なんでしょう。

それにね、もっと不思議なのは、一人でいる時にも、わたしたちって、笑ったり泣いたりしていることなんですよね。それって、何の意味があるんでしょう。一人なんだから、伝えることが目的じゃないわけですよね。伝える必要がなくても、わたしたちは、やっぱり表情というものを作ってる・・・不思議だなぁ。

とね・・・きっと「高度な文化が」って話になると思うんですが・・・赤ちゃんの笑顔って、そんな高度な文化、関係なかったじゃないですか。もっともっと原始的っていうか、生物的な必要によるものですよね。それに、思うんですよ・・・世界のどこに行っても、笑顔は笑顔で、泣き顔は泣き顔、怒った顔は怒った顔なんじゃないかって・・・例外がまったくないかどうかは確信がありませんが。ジェスチャーとかになると、共通する部分もあれは、地域によって、まったく相反する意味を表すような場合もあると思うし・・・言葉になると、地域が違うと全く通じなくなるけど・・・表情って、どこにいっても通じ合うんじゃないかって。だとしたら、表情って、やっぱり、本質的にとっても原始的なものなんだと思っていいような気がするんですよね。

だから?そう、だから何だろう・・・自分でも、よく分からないけど・・・表情って面白いなって・・・それにしても、なぜ必要なのかなって・・・そう思ったと、そういうことなのであります(^^;。


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