OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

具体案を思いつかなきゃ、どうしようもないんだ・・・

2011-06-21 19:49:49 | Weblog
昨日、"もったいない"って、どうやら"本来あるべき姿を失っている"というような意味らしいねって話しましたが・・・人的資源に関しても、わたしたちって、かなり"もったいない"状況ですよね。

今、非難ごうごうの"ゆとり教育"って、教育する側の準備が全く出来ていなかっただけで、考え方としては悪くないと、今でも、わたしは思っているんですが・・・"ゆとり教育"で育てて欲しかった"個性"ってもの・・・育てる以上に、それを活かすのが難しいんですよね。

もし、社会で、それが必要とされているなら、わざわざ"個性化教育"なんて銘打って頑張らなくても、あたりまえにそれが求められ、育てられただろうけど、学校を卒業した後の世界で、それが活かされないのが周知の事実であるなら、もっと使えるものを身に付けたい、身につけさせたいという方向になるのはあたりまえのことですよね。

本来、個性って、他を疎外するものではないはずなんですが・・・ちゃんと育てられずに未熟なまま社会に出た個性は、他を受け入れる余裕がないから、自分以外を攻撃したり、自分の殻に閉じこもったり、協調性を失ってしまう。また、そういうケースを、多々目の当たりにしているから、社会は、個性自体を面倒くさいものと押しのけてしまう。そして、自力で這い上がってきた個性だけを、天才だカリスマだと祭り上げて帳尻合わせする。

そんな悪循環が、ずっと続いているのかなって思います・・・

なんて話をしたのは・・・超高齢社会を迎えている私達の社会で、高齢者をお荷物にしてしまったら、みんなでヘタってしまうしかないと思うんですよね。また、高齢者の立場から考えても、長生きしてもちっとも楽しくないと思うんですよね。

となれば、高齢者個々の知識や経験、そういうものも含みこんだ個性を活かせる社会の仕組みが欲しいって思うわけですけど、どうすればいいのか、まったく見当もつかなくって・・・

また、高齢者に限らず、わたしたちそれぞれが、自分の活かすべき個性ってものを、よく分かっていないような気もするし・・・

そもそも、どうも"個性"っていう言葉が、異常に立派なもののように扱われたり、かと思うと我が侭だとか自己中心的であることの同義語のように毛嫌いされたりと・・・それこそ、本来あるべき姿を失っている"もったいない"使われ方をしているんですよね。

それに、なんだか"個性"といったら、他の人と違っていなきゃいけないみたいにも思われているようですが・・・"個性"って相対的に捉えられるものじゃないでしょ。どれだけ多くの人と同じであっても、それがその人のもっている本来の姿であるなら、それこそがその人の誇るべき"個性"だし・・・そういうものが、活かされない"もったいない"状態だと、一人ひとりが心から幸せって感じられる世界は作れませんよね。

けど・・・みんな個性をもって生まれてきているのに、その個性が活かされない・・・どこかで社会の求める個性(需要)と、個々人がそれぞれに提供できる個性(供給)のバランスが崩れていて、多くの人は自分の個性を押し殺して求められる個性を提供しなきゃ社会が回っていかない・・・のだとしたら・・・それは、何かが間違っているってことの証明なんじゃないでしょうか。

なんだか、考えながら書いていたら、話があっちへいったり、こっちへいったり・・・けど、とにかくね、理想論だと言われようと、みんなが生きていることが楽しいと思えるような社会のためには、個々の人が自然体でいても、ちゃんと社会に貢献できるようでなくちゃならないと思うわけです。

自分が自分らしくいることが、自分が所属している集団にとって何かしらプラスに作用している実感をもてるような・・・そういう超高齢社会へ向かうために・・・いま、わたしは、何をするべきなのかなぁ・・・ほんと、そういう実践が出来ない・・・ばか者なんだよなぁ~・・・まったく。

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