オアシスインサンダ

~毎週の礼拝説教要約~

悪からお救いください

2014-03-02 00:00:00 | 礼拝説教
2014年3月2日 主日礼拝(マタイ福音書6:9-13)岡田邦夫

 「私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。」(わたしたちを誘惑から導き出して、悪からお救い下さい。)マタイ福音書6:13

 ずいぶん前の話ですが、私、テトリスというゲームにはまってしまい止められなくなったことがありました。ついに土曜日までやるようになって、説教準備に支障をきたすようになったので、これではいけないと思って、きっぱり止めました。サタンに翻(ほん)弄(ろう)されました。後から知ったのですが、このテトリスというゲームは最初、ソ連が開発した軍人教育ソフトで、動体視力を高め、素早い動きを身につける訓練用のものでした。ところがテトリスの訓練中の脳というのが、非常に反射的な状態になり、人を殺しても何とも思わなくなるという結果をまねくものでした。とても恐ろしくなりました。

◇「向こうに」…終末意識
 サタンの誘惑は個人的にも、社会的にも、あらゆる機会、あらゆるところにあります。有史以来、人間の最大の敵です。そもそも、アダムとエバがへびに誘惑されて禁断の実を食べて罪が入り込んでしまったことから始まっています。後に、イエス・キリストが来られたのは私たちをサタンの支配から救出するためでした。パウロがアグリッパ王にこう証ししています。「それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである」(使徒26:18)。そして、歴史が終わり、新天新地が現れる時に、サタンは神によって滅ぼされると預言されています。ヨハネ黙示録にこう描写されています。神がサタンと戦って勝ち、「彼らを惑わした悪魔は火と硫黄との池に投げ込まれた。……それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。これが第二の死である」(20:10、20:14)。完全勝利は約束されているのです。
 イエス・キリストが最初に来られ、十字架にかかり、よみがえられて、信じる私たちを「サタンの支配から神に立ち返らせ」たのであり、イエス・キリストが再び地に来られる時には「惑わした悪魔は火と硫黄との池に投げ込まれ」るのです。私たちは主の初臨と再臨の間、終末という時に生きているのです。ですから、十字架と復活において、すでにサタンに勝利しているのですが、完全な勝利はキリストの再臨があってからで、いまだ、完全勝利まで戦いは続いているのです。そういう、すでに勝っているけれど、まだ勝っていないという「終末意識」をもって祈るべきものがこの祈りです。「私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください(わたしたちを誘惑から導き出して、悪からお救い下さい)」(マタイ6:13)。このような終末を自覚して「誘惑に陥らないように、目をさまして、祈り続け」なければならないのですが、私たちは弱いので、「誘惑から導き出して、悪からお救い下さい」と祈り、助けていただくのです。

◇「前に」…敵前意識
 目をさまして祈るといえば、ギデオンの話を思います。ミデヤン人、アマレク人、東の人々の連合軍がイスラエルを攻めてきた時に、神がギデオンに命じます。恐れおののく者は帰し、水場でテストして、精鋭を選び出して、戦わせなさいと。そのテストで、膝をついて水を飲んだ者は失格、犬のように、舌で水をなめた者は合格。たった300人だった。しかし、ギデオン率いる、その精鋭300が信仰によって大群を破ったのです。この選ばれた300人は水を飲む時も、油断せず、敵前意識があったからです。私たちの敵は巧妙で、強力なサタン。だから、ギデオンの300のように、敵前意識を持つことが必至です。
 格調高いメッセージであふれたエペソ人への手紙の最後に「 終わりに言います。」と言って、そのことが記されています(6:11-13)。「私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです」。私たちの真の戦いは成功とか、名誉とか、経済とか、利権とか、…血肉の戦い、人を相手にした戦いではありません。誰かと競争したり、暗やみの世界の支配者、神に敵対する悪霊、サタンとの戦いなのです。隣のライバルでも、隣の国ではなく、悪=サタンが敵なのです。その敵を意識して、備えるのです。「悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい」。くり返しますが、「邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい」。どんな神の武器かはその続きをお読みください。
 それはどんな策略でしょうか。先人たちはこう言っています。サタンはものごとがうまくいくいっている時に、自分がやったかのように思い込ませ、気づかないうちに人を「傲慢」にさせ、ついに神がいなくても自分で出来ると不信仰に至らせるというものです。反対に色々なことがうまくいっていない時に、自分はだめな人間だと思い込ませ、「落胆」させ、ついに神なんかいるもんかと不信仰に至らせるというものです。あるいは、特にうまくいくわけでも、悪くいくでもなく、普通にことが進んでいくうちに人を「緩慢」にさせ、神がいるような、いないようなという感覚のなまぬるい信仰にさせ、いざという時の備えができないようにしてしまうというのがあるでしょう。ですから、過度な恐れはいけませんが、策略家サタンを正しく意識しましょう。敵前意識をもって「わたしたちを誘惑から導き出して、悪からお救い下さい」と祈り続けましょう。

◇「横に」…味方意識
 イエス・キリストが伝道生涯にはいる前に試みられました。サタンの三つの誘惑にあい、いずれにもきっちりと勝利されました。それはご自身のためでもあり、私たちのためでもありました。言い換えれば、イエスは人となられ、私たちが遭遇するサタンの誘惑にあわれたのです。私たちの味方になるためでした。そして、十字架にかかり、死んでよみがえることによって、勝利されました。結果はこうです。「そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。…主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです」(ヘブル2:14-18)。
 これまで述べてきましたように、完全勝利は約束されてはいますがまだ先ですし、今は暗やみの世界の支配者と格闘しなければなりません。しかし、イエス・キリストというお方が共に、傍らにおられて、祈り支えてくださいます。そうした中で、後の完全勝利を「先取り」として、今、信仰により、聖霊により、垣間見ることが出来るのです。「神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。……しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。 私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません」(ローマ8:31、37-39 )。
 そこで、祈りましょう。「私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください」。「わたしたちを誘惑から導き出して、悪からお救い下さい」。

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