オアシスインサンダ

~毎週の礼拝説教要約~

私たちの会った試練は

2015-07-26 14:55:30 | 礼拝説教
2015年7月26日 伝道礼拝(第1コリント10:13)岡田邦夫


 「あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。」第1コリント10:13(口語訳)

 テレビ・ドラマで「JIN-仁-」というのがありました(2011年)。要所要所に、印象深い言葉が出て来ました。「神は乗り越えられる試練しか与えない」です。作者は聖書の言葉を意識していたのでしょうか。
 一般大衆の思想形成で、学校教育と共に、芝居やドラマや音楽などが大変大きく関わっていることは知られているところです。昔は義理人情とか忠義など、今は家族愛とか友情などでしょうが、昔も今も変わりないのが「苦しみ」というテーマでしょう。苦しくてたまらない時に、芝居やコンサートで、その一時、忘れさせたり、時には、人生の良き転機にとなったりします。人それぞれです。

◇一瞬の出来事
 しかし、何の言っても、ものを言うのは人の体験から出たものが人を励まし、慰め、勇気を与えます。「シャボン玉とんだ、屋根まで飛んだ。屋根まで飛んで、こわれて消えた。シャボン玉消えた、飛ばずに消えた。産まれてすぐに、こわれて消えた。風、風、吹くな、シャボン玉飛ばそ」は野口雨情の作。二歳になる娘を失った時に書いたものです。一説によると雨情は、娘のはかない命をシャボン玉にたとえたと言われています。
 讃美歌歌手の森祐理さんはこう語ります。「私は22歳の弟を阪神大震災で失いました。昨日まで元気でいきいきと生きていた弟が、今日は冷たくなって、丸太ん棒みたいに動かない…。どんなにがんばって生きていても、シャボン玉のようにはじけてしまったら、おしまいなのだろうかと、人間の無力さを思いました。でも、この詩につけれているメロディが、ある讃美歌をもとにしているのではないかと聞いたとき、私の心に強い希望がわいてきたのです。
  1われを愛す 主は強ければ われ弱くとも 恐れはあらじ
  (くりかえし) わが主イェス わが主イェス わが主イェス われを愛す
  2わが罪のため さかえをすてて 天(あめ)よりくだり 十字架につけり
  3みくにの門(かど)を ひらきてわれを 招きまたえり いさみて昇らん
  4わが君イェスよ われをきよめて よき働きを なさしめたまえ
 私たちを、主は愛してくださっている-シャボン玉みたいにすぐこわれてしまうものじゃなく、永遠に輝く宝石のように尊いものなんだ…。この讃美歌を口ずさんでいると、弟のいのちも、神さまのもとでキラキラと輝き、生きているのだという喜びにあふれてきました」。
 まさにこの聖書の言葉通りです。愛する人との死別、耐え難いことですが、ほとんどの人が経験していく辛い試練です。神を見上げる時に越えていけるのです。「あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである」。

◇長いながい出来事
 このシャボン玉の話は私が四国の壬生川教会にいました時(1974年~1981年)、新居浜教会の高橋秀夫牧師から聞きました。先生は胃が悪く長く煩っていました。そして、お子様の一人が目の癌になり、幼くして亡くなられたのです。その時、長老の米田豊牧師に会いました。先生も次々とお子さんを天に送っていた方です。顔を見ただけで、同じ経験をした、それだけで慰められ、泣き崩れたと言っていました。また、その葬儀で米田師は自らの体験から、こうメッセージをしました。「イスラエルの羊飼いは、羊の群れが川を渡るときに、子羊を川の向こうに置いた。水を恐れて川を渡らない羊たちも、子羊の声を聞いて川を渡る母羊について、川を渡り始 める。神は、私たちが間違いなく天国をめざして行くように、愛する者を天に召されるのだ…」。
 そして、こうも言われました。「10年というは長いトンネルでした。いつ出られるかわからない年月でした。でも、トンネルには必ず出口があると思い、希望を持って、祈ってきました」。
 私たち夫婦にはそれが慰められ、励まされる証詞でした。時々、子供を連れて先生宅にお邪魔をしたものです。私たちは東京聖書学院を卒業して、結婚し、副牧師として派遣されました。主任牧師とは同じ屋根の下、壁一枚はさんでの生活。主任牧師は明治生まれの気骨のある、学識のある、優れた方々でした。しかし、私といえば、何とも頼りない、少し常識に外れ、話も権威がないときているものですから、厳しく訓練されました。カラスが白いと言っても、はいそうですと答えなければならない、人に従うことを通して、神に従う訓練です。土手に行って泣いたこともありました。早く人間としてものにしようとしての愛情だったのでしょうが、精神が弱い者だから、私には耐えかねました。私たちには子供が与えられたのですが、主任の夫妻にはお子さんはいない。夜、子供を泣かせられない、壁を汚すのでクレヨンを持たせられないので、絵そのものがかけない。昼間は1畳半の部屋で過ごし、家内は病弱な先生方の食事と私たち健康な者の食事づくりに追われる日々。外部の集会には行けない。私も礼拝説教を若僧にはさせられないと在任中、一度もありませんでした。若い世代の人たちの集会はまかせられてはいましたから、それが生き生きする場でした。しかし、4年間が限界でした。
 四国に転任、今度は主任牧師、自由に出来ると思いきや、名誉牧師が上にいたのです。この牧師は次々と開拓して、いくつもの教会を建てられた人で、非常にスピリットのある婦人伝道者でした。実に元気の良い個性の強い器でした。影響力のある方でした。それから比べれば、私なぞは青二才。結局、ここでも、カラスが白いと言っても、はいそうですと答えなければならないという状況でした。
 経済的には工夫がいりました。なかなか服が買えないので、家内はミシンを習い、2人の子供の服も旅行鞄も作りました。あとはもらい物をうまく利用。魚も野菜も市場に行ってセリで安く手に入れたり、家庭教師もしたりしました。大変でしたが辛くはありませんでした。救われる人、洗礼を受ける人が起こされたり、信徒と共に祈って、明らかに神が答えてくれたとわかることなどがあって、やって来れました。しかし、前述のように、牧師としても、人としても立場のないような状況はトンネルでした。貧しさも長く続けば辛くなってくる。いつこのトンネルを抜け出せるのか、不安な時、高橋牧師の言葉は励ましでした。
 その希望を持ち、次のための準備の時、備えていこう、そう思って、忍耐し、学んでいました。7年が過ぎて、主の導きで、豊中に転任。始めて、主任牧師、これまでの経験、学びが生かされて、今日に至っています。また別の試練があって、トンネル部分もありますが、「あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。」のお言葉を信じています。
 同じ経験をした人が真の慰めを与えてくれることを私たちは知っています。イエス・キリスト天から降り、全く人となり、私たちと同じ苦しみに、同じ試練に会われました。だからこそ、私たちを救うことが出来るのです。救い主の最大の使命は「苦しむ」ことでした。すべての人の苦しみ、すべての苦しみを担って、十字架にかかられたのでした。最高裁大の苦悩は「わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか」という叫びに集約されています。愛児を失った悲しみ、病気などで長いトンネルの中にある状態、あらゆる試練の中にある人を一時的な慰めではなく、永遠の慰めをもって、慰めてくださるのがイエス・キリストの十字架の苦難です。ですから、私たちは十字架を仰ぎ、また、十字架を負って生きるのです。
 その意味で、トンネルの中にあっても、私たちは真実の神を信頼して、生きていきましょう。「あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。」第1コリント10:13(口語訳)

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