オアシスインサンダ

~毎週の礼拝説教要約~

ノアと洪水と箱船と虹

2015-05-03 00:00:00 | 礼拝説教
2015年5月3日 主日礼拝(創世記8:15-22)岡田邦夫


 主は、そのなだめのかおりをかがれ、主は心の中でこう仰せられた。「わたしは、決して再び人のゆえに、この地をのろうことはすまい。人の心の思い計ることは、初めから悪であるからだ。わたしは、決して再び、わたしがしたように、すべての生き物を打ち滅ぼすことはすまい。」創世記8:21

 私たち夫婦が教団の任命で、1981年、豊中泉教会に転任してきました。手続きのため、豊中市役所にいくと、庁舎に向かって左手にロダン作の「考える人」が設置されていました。市とこの像と何の関係があるのか、いきさつはこうでした。1962年に豊中市制施行25周年を迎えるとき、「市は青年期。これからは考える時代である」と、市民から寄贈されたものです。ご存じのように、「考える人」はフランスの国立ロダン美術館にある本物から作った複製が東京の美術館にあり、さらにそれを複製したのが豊中市役所のブロンズ像というわけです(フランス政府から正式に許可を受けている)。

◇心に傷むこと…6:6
 今日の聖書はノア物語ですが、想像たくましく読めば、面白い話ですが、同時に、真剣に取り組んで読めば、恐ろしい話でもあります。遠い昔の話が今日の私たちの世界に物を語り、考えさせてくるメッセージなのです。
 神が御自分のかたちに人を創造された時、こう仰せられました。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ」(1:28)。神がお造りになったすべてをご覧になって、「それは非常に良かった」という世界でした。私たちが自然界を見る時にそれは非常に良いのです。人間界を見る時、それは非常に良いのです。それは地に満ちているのです。
 ところがアダムとエバが「神のようになる」とうサタンの誘惑にかかり、傲慢にも禁断の実を食べてしまい、罪が人類に入り込んでしまいました。二人から生まれたのがカインとアベルですが、兄は弟を殺すという悲惨な歴史が展開され、堕落していきます(6:1)。「地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾」き、「地は、彼らのゆえに、暴虐で満ちていた」のです(6:5、6:13)。
 これは昔の話ですが、今の現実でもあります。世界を見ると、被造物である人が自然を、人を、神でさえ、傲慢に支配しようとしている。悪が増大している。自分たちは文化が進んだと言って、他を野蛮だと言って、差別、搾取、虐待をしている。神から見れば、人類すべからく、野蛮人である。今も、人類世界は暴虐で満ちているのであります。今や多くの情報が入ってきます。ニュースを見れば、暴虐で満ちている、そう感じるでしょう。身近でも、自分の中でもあるのではないでしょうか。私自身、あれは赦せない、抹殺してしまいたいという思いに満ちることもありました。
 主なる神は地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められ、人を地の面から消し去ろうと仰せられたのです(6:6-7)。そして、救済の道も開くため、主の心にかなっていたノア(6:8)に命じます。木を切って、箱舟を造れと。1キュビトは44cmなので、メートルに換算すると、長さ133.5m、幅22.2m、高13.3mです。比率からいうと安定したタンカーのような物です。命じられたように作り、ノアとその家族と生き物の種類に従って、つがいをも乗せます。すると、何と「主は、うしろの戸を閉ざされ」たのです(7:16)。四十日間、雨が降り、洪水となり、箱舟は水に浮き、他は全滅、神が消し去ったのです(7:23)。裁きは実行されました。
 ロダンの考える人の元は「地獄の門」の上に座っているものです。ダンテの「神曲」の地獄編に触発され生涯をかけて作り続けたと言われています。そう思うと、考える人は何を考えているか、想像できますね。神なしに暴虐に生きれば、その先に待っている門はこれだと。

◇心に留めること…8:1
 しかし、「神は、ノアと、箱舟の中に彼といっしょにいたすべての獣や、すべての家畜とを心に留めておられた。それで、神が地の上に風を吹き過ぎさせると、水は引き始めた」(8:1)。裁きの中に救いがあります。神は「心に留めておられた」のです。神の中に愛が満ちていたのです。
 水は引いていく。アララテ山に箱舟はとどまる。四〇日たって、カラスを放つ、続いて、鳩を放つ。オリーブの若葉を加えて帰ってきた。二度目には帰って来なかった。神のお声がノアにかかる。「箱舟から出なさい」(8:16)。すべてが出終わると、祭壇を築きいけにえを献げ、感謝し、礼拝します。
 すると主は心の中でこう仰せられた。「わたしは、決して再び人のゆえに、この地をのろうことはすまい。人の心の思い計ることは、初めから悪であるからだ。わたしは、決して再び、わたしがしたように、すべての生き物を打ち滅ぼすことはすまい。地の続くかぎり、種蒔きと刈り入れ、寒さと暑さ、夏と冬、昼と夜とは、やむことはない」(8:21-22)。
 主は思われたことを形に表します。神の言葉が告げられます。聖書をそのままお読みしましょう(9:12ー17)。「わたしとあなたがた、およびあなたがたといっしょにいるすべての生き物との間に、わたしが代々永遠にわたって結ぶ契約のしるしは、これである。わたしは雲の中に、わたしの虹を立てる。それはわたしと地との間の契約のしるしとなる。わたしが地の上に雲を起こすとき、虹が雲の中に現われる。わたしは、わたしとあなたがたとの間、およびすべて肉なる生き物との間の、わたしの契約を思い出すから、大水は、すべての肉なるものを滅ぼす大洪水とは決してならない。虹が雲の中にあるとき、わたしはそれを見て、神と、すべての生き物、地上のすべて肉なるものとの間の永遠の契約を思い出そう。…これが、わたしと、地上のすべての肉なるものとの間に立てた契約のしるしである」。

 そして、アブラハムから始まり、救いの歴史が繰り広げられ、ついに、神の子、救い主、メシヤが現れます。十字架にかけられ、人類の罪、私たちの罪の罰を代わりに受けて、抹殺され、地上から消し去られました。しかし、死人の中から復活され、「まことの箱舟」となってくださいました。「今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません」(ローマ8:1)。キリスト・イエスの中にあるなら、キリスト・イエスの箱舟に入っているなら、最後の審判の時も罪に定められることは決してないということです。人類の暴虐のゆえに、火をもって焼き尽くされる日が来ても、ご自身の身をもっておおって下さり、新天地に船は到着するのです。
 またまた、ロダンの地獄の門の製作動機ですが、構成の形式をフィレンツェ洗礼堂のギベルティの「天国の門」にならって、制作にとりかかったとも言われています。信仰者は地獄を考え、天国を考える人でもありたいです。周囲の人たちと共に暴虐に満ちたせ世界を少しでも平和に満ちた世界となるよう、市民として、努めて参りましょう。しかし、何と言っても、主の再臨を待望しながら、周囲の人たちにイエス・キリストの箱舟に乗るように勧めて参りましょう。また、兄弟姉妹が救いの箱舟から落ちないように支え合っていきましょう。考える人から、祈る人になりましょう。