オアシスインサンダ

~毎週の礼拝説教要約~

神の消しゴム

2013-07-28 00:00:00 | 礼拝説教
2013年7月28日 伝道礼拝(イザヤ44:21-23)岡田邦夫


 「わたしこそ、わたし自身のためにあなたのとがを消す者である。わたしは、あなたの罪を心にとめない」。イザヤ43:25

 三島由紀夫やトルストイは自分が生まれた時の光景を克明に覚えていると述べています。幼稚園の年少組に聞くと胎児の時や産道を出てくる時の感覚を話す子どもがいます。小学生になるとほとんど忘れてしまうと言います。それはその様な記憶を消してしまう脳の機能があるようです。前に進んで生きていくために、神がその記憶を消されるのではないかと思います。
 百歳の詩人といわれた柴田トヨさんの詩集「くじけないで」に“ことば”という詩があります。
 「何気なく/言ったことばが/人をどれほど/傷つけていたか/後になって/気がつくことがある/そんな時/私はいそいで/その人の/心のなかを尋ね/ごめんなさい/と言いながら/消しゴムと/エンピツで/ことばを修正してゆく」。
 あの時、ああすれば良かった、こうすれば良かった、選択を間違えた、失敗だった…など、後悔するような過去の記憶。人からあんな辛い思いをさせられた、状況から苦しい思いをさせられたなど…、悔しい思いが残る過去の記憶。それは消したくてもなかなか消すことの出来ないものです。しかし、意を決して、その過去の記憶を解釈し直して、人のせいにも、自分のせいにもせず、私の人生、これでしかなかったし、これで良かったと、人生ノートを消しゴムとエンピツで修正することは可能でしょう。
 しかし、どうしても消すことの出来ない記憶があります。それは何かいけないことを言ってしまった、やってしまった、思ってしまったという良心の呵責、罪責感のともなう罪跡です。それはきっと神が消さないからでしょう。それでは人は救われないので、イエスが遣されて、十字架において私たちに代わって、罪の責め、神の裁きをすべて受けてくださり、贖いをなし遂げてくださいました。そのことを信じて、悔い改めるなら、その罪跡は消しゴムで消すように神が消してくださるのです。
 神ご自身が「わたしこそ、わたし自身のためにあなたのとがを消す者である。わたしは、あなたの罪を心にとめない」(イザヤ43:25)。それが神の国に入れる「記録」となるのです。
(日本ホーリネス教団伝道新聞「きぼう」に掲載)