ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

婚外子判決と法定相続分に思うこと

2013-09-20 14:07:00 | 社会・政治・一般

平等であることが、そんなに正しいのか。

先だって最高裁で出された判決で、ついに婚外子の相続分を嫡出子と同じとすべきという画期的な判決が出た。ほぼ、予想通りの結果であり、驚きはないのだが、やはりその結果には考え込まざるを得ない。

与党からは、さっそくに民法改正の動きがあるようだし、おそらく婚外子の相続分を嫡出子と同じ割合にすることですませると思う。

私は婚外子を差別するかのような民法の扱いに、いささかの疑問をもっていたが、だからといって正規の嫡出子と同じという扱いにも疑問はある。更に厭らしいと思うのは、この手の差別解消訴訟のような動きには、平等絶対主義とでもいうべき弁護士グループの暗躍があるからだ。

元来、長子相続が普通であった日本社会に、民法による法定相続分という概念が導入されたのはGHQによる戦後改革からである。御承知の方もあろうかと思うが、GHQのスタッフのなかには本国アメリカでは決して受け入れられない社会主義的な思想を持つ人がいた。

アメリカ様に逆らった恩知らずの逆賊ニッポンに、二度と同じことをさせないため、彼らGHQは様々な仕掛けを日本に残していった。良い面もあったので、私も一概に否定はしないが、問題も少なくない。

憲法9条がその典型であることは言うまでもないが、民法による法定相続分もかなり問題がある。もともとは配偶者の保護を目的としており、その点は評価していい。でも、子供たちを一列に平等に扱った弊害は少なくない。

端的に云えば、親が死ねばその財産は当然子供のものだと思い込ませる悪弊がある。たとえば二人兄弟で、兄は家を出て好き勝手に生きており、弟は家に残り親の介護に明け暮れる半生を送っても、民法は兄弟平等に相続権を与えてしまう。弟が納得できる訳がない。

あるいは配偶者の親の介護を一生懸命にみた子供の嫁の問題がある。直系の子孫でない嫁には、現行民法は相続分を認めていない。裁判に訴えてこれまでの貢献の評価を求めても、寄与分として認められるのは数パーセントなのが実情である。

民法が相続分を決めるっておかしくないかい。

世界的にみても類例のない制度だと思う。ほとんどの先進国は死んだ親の遺言重視であり、途上国では一族の長老が決めたりして、家族だけでなく一族、地域社会の実情を反映して相続は決まる。

今回の婚外子と嫡出子の差別問題以前に、法定相続分による相続を絶対視する日本の司法の異常さこそ考えるべきだ。今回の判決に反発して、日本の家族制度を壊すものだとの非難もあるが、私に言わせれば筋違い。

現行の民法の下でも、家族制度は歪みつつある。親の面唐ナない子供と、立派に介護した子供がなぜ平等なのか。血こそつながっていないが、大変な思いをして介護をした嫁をなぜ相続から排する。

私は家族制度を否定したりはしないが、現行の法定相続分は悪平等であり、本当に家族を守ったものを正当に処遇しない悪法だと考える。

私の提言は簡単だ。親の遺言を法定相続分よりも優位に置く。これだけで、何もしなくても親の財産が貰えると思い込む馬鹿な子供を減らせると思いますよ。

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東京オリンピック誘致に思うこと

2013-09-19 11:56:00 | 社会・政治・一般

まず最初に告白しておくと、私は東京オリンピック誘致に反対であった。

言いだしっぺが、あの独裁者・石原前都知事であり、石原ファミリーが前面に出ての招致活動に反感をそそられたことが大きな原因である。だが、その一方でイスラム圏初の開催となるかもしれないトルコ・イスタンブールを応援したい気持ちもあったからでもある。

21世紀の日本にとって、原油や天然ガスの輸入先としてイスラム諸国との友好関係が重要なのは常識だと思う。だが、それだけではない。率直に言って、従来イスラム諸国からすると日本は、アメリカの追随者であってそれ以上の存在ではなかった。

欧米との対立が目立つイスラム諸国だが、石油を買ってくれる欧米あっての繁栄であることは顔には出さねど、強く自覚している。またアルカイーダに代表されるイスラム・テロ組織とその支持者たちが、単なる反・欧米ではなく自国内の体制の矛盾から生まれた国内問題であることも分かっている。

オイル・マネー頼りの経済が、今徐々に破綻の崖っぷちに近づきつつある現実も認識している。だが、欧米流の資本主義経済が目指すべき目標ではないことも分かっている。求められているのは、イスラムの伝統社会をベースにした自分たちの新しい経済システムだ。

欧米の追随者でありながら、独自の伝統社会を根強く残した日本の経済発展は、彼らイスラム社会にとって羨望の的である。だが、イスラム社会との交流の歴史に乏しい日本とは、なかなか付き合いづらい。それがイスラム側からの率直な思いであった。

だが時代は変わる。衰退しつつある欧米だけを相手にしては、日本もイスラムもやっていけない。今後、更なる成長が見込まれる東アジアに注目が集まってきている。なかでも世界最大のイスラム社会を誇るインドネシアとの関係強化は、既に民間先行で進んでいる。

既に日本の観光業界は、インドネシアからの旅行客を如何に日本に惹きつけるかに腐心している。一日5回のメッカへの礼拝はもちろん、イスラム教徒向けの食事、食器など肌理の細かい準備を始めている。

また金利を認めないイスラム金融との取引にも積極的に乗り出している企業もある。オイルマネーだけを目当てにしていた従来とは、明らかに一線を区切った方向性だと私は考えている。

だからこそ、今回のオリンピック誘致ではイスラム社会に恩を売る絶好の機会だと思っていたが故に、東京誘致には積極的な気持ちになれなかった。

だが日曜日の未明に決まった東京決定の報に沸く日本の姿を見ていると、私の考えは理屈先行に過ぎたかもしれないと自省している。実はあの早朝、私は某温泉ホテルに滞在していたのだが、東京と発表された時のロビーの盛り上りは凄かった。

なんで「ニッポンチャチャチャ!」なのかは知らないが、若い子だけでなくオジサン、おばあさんまでもが大喜びであった。それを冷静に見ていた私も自然に頬が緩むのを抑えきれなかった。盛り上がる感情って、ホント不思議。

翌日、月曜日の東証株価は300円以上の値上がりであり、第二のアベノミックス効果であることは私も実感できた。どこへ行っても、オリンピック誘致を景気回復に結び付けたいと口にする人に会わないことは稀であった。

これほどまでに明るいニュースに日本人が飢えていたのかと、改めて認識し直した。アベノミクスは確かに円安と株高をもたらして景気回復の兆しを感じさせた。だが財布の中身に安堵を抱くほどの実感がないのがアベノミクスの実態であろう。

まだまだ景気回復の実感が伴わないのがアベノミクスの最大の弱点だ。だからこそ、確実に景気回復の象徴ともなるべき東京オリンピック誘致に人々の心は動かされたのだと思う。つまるところ、私の認識が甘かったのだろう。

だから今さら反対などとは、もう言わない。決まった以上は前向きに楽しみたいし、前回の東京大会は私が2歳で記憶にまったくない。おそらく夏のオリンピックを生で観られるのは、これが最後だと思う。機会があったら是非ともこの目で楽しみたいと考えています。

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パシフィック・リム

2013-09-18 13:22:00 | 映画

余計なことを考えないのが、この映画を楽しむ秘訣だ。

とにかく考えない。何故、あんな小さなヘリコプターで巨大人型ロボットを運べるのかなんて考えない。ワイヤーロープを切り離してロボットを落下させれば、その反動でワイヤーロープが跳ね上げり、ヘリコプターにぶつかる可能性なんて考えてはいけない。

怪獣の攻撃で百メートル以上跳ね飛ばされた以上、ロボット内部には相当な衝撃があるはずだが、それを平然と受け止める内部の操縦者のことなんて考えてはいけない。

怪獣の姿がポケモンのクリムガンやキュレムそっくりでも、パクッたなどと騒いではいけない。命の壁とやらが漫画「進撃の巨人」からのパクリだなんて思ってもいけない。
ちなみにこれがクリムガン。


ロボットの怪力パンチを受けても倒れないほどの頑丈な体躯の怪獣が、いきなり羽根を生やして飛んでも疑問を抱いてはいけない。ましてや、ロボットを抱えたまま1万メートル以上の高空に飛んでも、何故できるなどと考えてはいけない。

そのロボットが空飛ぶ怪獣を切り裂き、落下というより墜落したからといって馬鹿にしてはいけない。いくらジェット噴射で墜落するスピードを落としても、無傷で地上に降り立つことに疑問を感じてはいけない。

とにかく10分に一度は、思わず突っ込みたくなる場面がある。でも、我慢だ。突っ込んではいけない。なにも考えず、ただ、ただ怪獣とロボットのファイトを楽しむ。絶対に理屈とか、論理的矛盾とかを考察していけないのだ。

なにも考えるな。そうすれば、この映画は楽しめる。この我慢が出来ない人は観てはいけない映画でもある。

え!私ですか。

はい、笑顔を引きつらせがら楽しみましたよ。ちなみに同行した小学生の男の子は、なんと3回目。映画の後で散々、突っ込んでいたけど、その笑顔は実に嬉しそうでしたね。

大人が目くじら立ててはいけない映画なんだと思いますよ。で、子供の気持ちになって素直に怪獣とロボットのリアルバトルを楽しむ。これが正しい鑑賞法だと確信しております。

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知恵おくれに思うこと

2013-09-17 12:04:00 | 社会・政治・一般

見て見ぬふりだけでは良くない。

私が通勤に使う電車の路線には、いわゆる知恵おくれの子供が通う学校があるらしい。子供といっても十代後半であるようなので、学校というよりも施設なのかもしれない。

なぜ分かるかと云えば、電車内での奇行ゆえである。ある青年は電車に乗ると、先頭から最後の車両までを練り歩き、時折奇声を発したりしている。これを通勤ラッシュのなかでやるので、目立つといえば目立つ。

だが、大変興味深いことに誰も彼を止めたり,諌めたりすることはない。少し迷惑に思わないでもないが、実害はないし、よく見れば分かるのだが、誰かにぶつかったりするような不作法はない。

私の見たところ、どうも車掌さんの真似をしているように思える。私の記憶では十数年前は、母親と思しき人に手を引かれていたことを思えば、一人で電車に乗り目的地に向かうこと自体、たいしたものだと思う。

他にも数人いるようだが、いずれも少しだけ常軌を逸しているように思うが、だからといって凶暴とは程遠く、むしろ大人しい人たちなのだと良く分かる。だから、多少の奇行があろうと、誰も咎めたりせずに、見て見ぬふりをしている。

ただし例外がある。電車に乗り込む時、朝のラッシュ時は列を作るのだが、彼らの中には列に並ばず、平然と割り込んでくる場合がある。日頃は見て見ぬふりをする私だが、この時だけは口を出す。

別に声を荒げるでもなく、ただ温和に「列を守りなさいな」と声をかける。すると、大人しく後ずさり、列の後ろから乗車してくる。私が肯くと、少し躊躇いながらも肯き返してくる。それ以上はなにも起こらない。

これは私の独断ではない。以前、ある知恵おくれの子供をもつ親御さんから云われたからだ。間違ったことをした時は、優しく注意して欲しいと。彼らも社会の一員として受け入れて欲しいので、見て見ぬふりをしないで注意して欲しいと。

知恵おくれの人たちは、私の知る限り、非常におとなしい。いかに奇声を上げようと、妙な笑い声をたてようと、決して荒ぶることはなく、むしろ怯えることの方が多い。経験上、優しく注意してあげて、それに逆らってきたことは一度もない。

白状すると、それが正しいことだと自覚していても、注意をするのはいささか気が重い。注意した後で、周囲から冷たい視線を投げかけられたこともある。要するに「知恵おくれなのだから、ほっといてあげなさいよ」ということなのだろう。

如何なものかと思う。それでは隔離しているのと同じではないか。如何に知恵おくれであろうと、一人の人間であり、その存在をあまりに無視しすぎることは、むしろ問題だと思う。

多少の奇行なら、私だって目くじら立てることもなく、見て見ぬふりをしている。しかし、社会の一員として守るべきルールはある。それを守らせることは、結果として彼らの存在を許容することにもつながる。

実際問題、外に一人で行動するような知恵おくれの人は、家族や施設の関係者が一人でも大丈夫だと判断している。なればこそ、彼らを社会の一員として受け入れることが必要ではないのか。

家庭や施設に閉じ込めておくことが最上の方法だとは思わない。彼らのような存在を許容できる寛容な社会であるほうが、私には幸せに思えてならない。やもすると、彼らを見て見ぬふりすることは、彼らを蔑視し差別することにつながるように思うのです。

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食べごろは何時?

2013-09-13 14:25:00 | 健康・病気・薬・食事

三回に一回はしくじる。

なにがって、アボカドである。ちなみにアボガドと誤って覚えている人(私もそうだった)は少なくないが、アボガドではスペイン語の弁護士の意味であり、果実の名称としてはクスノキ科ワニナシ属のアボカドが正しい。

クスノキ科とあるように、原産国のメキシコ等中南米では20メートルを超える大木に育つ。その黒いブツブツのある皮からワニをイメージし、またその形状が洋ナシに似ているので別名ワニナシとも呼ばれる。

でもワニナシでは食欲がわかないので、私としてはアボカドのほうが好ましい。余談だがワニ肉自体は鶏肉に似て淡白な味わいではあるが、格段に美味いとは思えず、とりわけ好んで食べる気にはなれない。

洋ナシは嫌いではないが、少し果肉にベトツキ感があって、水気が多くさっぱりした梨には及ばないと思っている。そんな訳でワニナシという別称には愛着がわかないが、アボカド自体はかなり好きである。

カリカリベーコンとアボカドを挟んだサンドイッチも好きだし、鮪の切り身とアボカドを混ぜてドレッシングで頂くこともある。でも本命はワサビ醤油で刺身のように食べるのが一番好きだ。最低、月に一回以上は食べているかもしれない。

好きなわりに、「・・・かもしれない」なんて曖昧な言い方になるのは、読書と同じ。読書は大好きだが、何冊読んだかなんて覚えないのと同様、食べたことや美味しかったことは覚えても、何回食べたか、何時食べたかまでは覚える必要はないと思っているからだ。

ところで、この大好きなアボカドなのだが、実は食べ時の判断が難しいのが最大の難点だ。

まず硬いままだと青臭くって美味しくない。皮が黒くなり、手で押すと軽く反発するくらいの柔らかさが食べ時である。しかし、油断すると熟しすぎて緑色の果肉が黒っぽく変色してしまうことがある。これは風味が大きく落ちるので、美味しいとは言いかねる。

まったくもって、この食べ時の判断が難しい。常温で保管しておけば、2~3日で食べごろに熟すので当初は簡単に考えていた。ところが、時折夜の付き合いが入ることがあるので、食材を冷蔵庫で保管する習慣がある。特に夏場は常温ではすぐに腐る可能性が高い。

だから、アボカドも冷蔵庫に保管してしまうのだが、そうなると熟する時期が微妙に長引く。一週間なら大丈夫みたいだが、一〇日過ぎると危ない。すぐに変色してしまうのだ。

刺身などの生鮮品は、買ったその日のうちに食べてしまうが、なまじ保管できるがゆえにアボカドの食べ時を逃してしまうのだ。昨夜のアボカドは五日目だったが、既に一部が黒色化していたので、そこを切り落として食べた。充分熟していて美味だったが、切り落とした部分(二割程度)が悔しいではないか。

どうも夏場は冷蔵庫に入れても、若干熟すのが早いらしい。夏は冷蔵庫に過剰に食材を入れがちなので、ちょっと油断すると冷蔵庫の隅っこでゾンビ化した食材に遭遇するリスクも高い。

アボカドなんざ、ゾンビ化の可能性極めて大きい危ない食材なのだ。気を付けねば。

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