ヌマンタの書斎

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福島原発事故、検察不起訴処分に思うこと

2013-09-11 11:59:00 | 社会・政治・一般

当初から立件は難しいと思っていたので、意外な結論ではない。

ただ感情的に納得のいかない人は少なくないだろうと思う。私自身、あの規模の地震の予測はあっても、あれだけの津波被害は想像すらしなかった。だから予見不可との判断は理解できる。

しかし、ここで問われるべきは被害直後の対応の拙さであろう。東京電力の社長以下役員の対応は決して褒められたものではない。また原子力規制委員会の醜態は恥さらし以外のなにものでもない。

だが、なんといっても不愉快極まりないのが当時、首相であった菅直人である。結論からいえば、緊急時にトップであってはいけない人であったとしか言いようがない。今少し、当時の官邸がまともな対応をしていれば、あそこで被害は深刻化しなかったのではないか。

そう思う人が少なくないからこそ、今回の検察庁の不起訴処分の決定に不満を持つ人が多いのだと思う。だが、私は思う。菅直人を首相の席に送り込んだのは、なにより変化を望んだ有権者の意志があってこそだろう。つまり民主主義が菅直人を首相に望んだともいえる。

今さらながら思うのだが、社民連の泡沫候補から這い上がり、新党さきがけで機先を制し、自社連立政権において厚生大臣の座を得る、まさに成り上がりであり、恐るべき強運の持ち主である。

そして、橋本内閣における厚生大臣の時の「薬害エイズ事件」こそが、菅直人を虚構のヒーローに祭り上げた大舞台であった。ないとされていた「郡司ファイル」を見つけだし、厚生省の欺瞞を暴きだし、ミドリ十字の役員たちを引きずり出し、官僚OBの悪意ある作為を公衆の面前に曝しだした。

多くの日本国民は、この菅直人のスタンドプレーに拍手喝采を送り、この一事をもって彼は大物政治家への第一歩を刻んだ。だからこそ民主党政権における二番目の首相として菅は総理の座に就いた。

ここで改めて、菅直人の転換点となった「薬害エイズ事件」を振り返ってみたい。

HIVへの感染の危険性を秘めていることを知りながら、当時の厚生省はOBが社長を務めるミドリ十字社への指導を怠った。重要な天下り先を守るだけでなく、厚生省の利権を国民の生命よりも重んじたわけだから、それ相応の罰があってしかるべきである。

その罪を隠しきれなくなったとき、首相の座にあったのは、あの橋本龍太郎である。何故かマスコミは黙っていたようだが、橋本は長年厚生族と云われた族議員であり、当時は厚生族のドンでもあった。

菅直人のスタンドプレーを許し、厚生省OBの国会議員の罪を問うたあの「薬害エイズ事件」で、橋本自身は無傷である。他にも数人自民党の大物及び医師会の大物がかかわっていたはずだが、帝京医大の安陪を追い込むだけで、問題を収束させてしまった。

私からすると、菅直人は橋本の掌で踊っていた役者に過ぎず、自民党厚生族の大物たちは傷つかず、厚生省の利権構造も抜本的是正はされず、医師会との癒着問題も先送りにされた。まさに策士・橋龍の思惑通りであった。証拠はないが、菅は知ってて踊っていたと私は邪推する。

だが彼らは受益者であり、自らの利益を守るために奔走しただけだ。私が許せなく思うのは、知っていながら報道を避けたマスコミである。橋龍が厚生族のドンであることを彼らマスコミが知らぬ訳がない。

それなのに、厚生族のドンの責任を追及した大手マスメディアが一社でもあっただろうか。彼らは知っていたはずだ、菅直人は舞台で踊る猿回しの猿に過ぎないことを。しかも確信犯の猿である。少なくても菅直人が橋龍の責任を追及することは、あの当時は避けたことは間違いのない事実。猿回しの猿より性質が悪い。

だが、マスコミはこの「薬害エイズ事件」でようやく左派政治家のスターを手に入れた。猿回しの猿であっても、菅直人はこれまで望んで得れなかった期待の星となった。

実はその後、菅直人は未熟な実力を露呈している。もう忘れられていると思うが、あの「0-157とカイワレ大根」事件での失言と失政で第二次橋本内閣では、せっかくの大臣の座を追われている。でも、マスコミ様は彼を追及することを避け、ようやく得られた期待の星を温存した。

あの時のカイワレ大根への誤った風評被害は長く尾を引き、生産農家に大きな打撃となったが、マスコミ様は黙殺した。おかげで本来、大臣のような責任ある職を担うには実力不足であった菅直人は温存されてしまった。

彼は政界を追われるべきであったと私は思う。しかし、マスコミ様の隠ぺいがあり、虚構のヒーロー菅直人は政界に生き残ってしまった。その挙句が、東日本大震災と福島原発事故であった。

口先だけで綺麗ごとを並べることは得意だが、いざ現場の陣頭にたっての危機管理は出来るはずのない人が、あの大災害時に首相の座にあった。これこそが最大の悲劇であった。被災した国民にとっては悪夢であり、その責任を問う声が上がるのは必然であった。

でも無能な人間が首相の座にあって、無為無策を繰り返したことを法的に責任を問うことは出来ない。これは民主主義が負うべき責任であり、菅直人に、そして民主党に投票した有権者すべてが負うべき責任でもある。

そして、絶対に忘れてはいけないのは、菅直人を虚構のヒーロー政治家に祭り上げたマスコミの責任である。マスコミが如何に無視しようと、私は忘れてやらないぞ。

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