ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

竹島問題

2006-04-24 14:21:21 | 社会・政治・一般
昔は日本の領土でした。でも戦後のドサクサにまぎれて韓国に奪われたのが竹島でした。それを長年ほったらかした政府の怠慢を差し置いて、いまさら騒いだり姑息な真似をしても無駄。

もし本気で竹島を奪い返したいのなら実力行使あるのみ。間違っても話し合いでは還ってこない。それが現実。戦後の日本外交の汚点として、しっかり銘記しておけばいいだけのこと。

憲法9条なんぞ、侵略者には関係ないことを証明している点でも、竹島の教訓は是非とも教科書に銘記していただきたい。

このような問題は事なかれ主義の役人に任せては駄目だという点でも、非常に参考になる事件です。まあ、役人は減点主義で成績考課されますから、「話し合い」で解決が難しい問題の対処をさせること自体無理があるのですがね。

今回は先延ばしという、予想された結論に落ち着きましたが、根本的な解決には程遠いのは言うまでもありません。
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「死霊狩り」 平井和正

2006-04-22 14:42:36 | 
実は私が十代の頃、最も失望させられた作家がこの平井和正です。日本版狼男ウルフガイ・シリーズで有名なSF作家で、その激しい文体には十代半ばの頃、随分と熱中したものです。

平井和正は、人間という生物に悲観し、絶望したがゆえに繊細で傷つきやすい心と無敵の身体(満月期限定ですが)を持ったユニークな狼男・犬神明を生み出しました。堕落したジャン・メ[ル・ベルモンドというか、痩せ落ちた海賊コブラといったイメージの狼男シリーズは、70年代後半から80年代半ばまで、かなり人気を博したヒーローでした。

ウルフガイ犬神明は無敵でしたが、作者である平井和正はついに人間に耐え切れず、神へ救いを求め、宗教に入れ込んでしまいました。たしか高橋圭子が主催する団体だったと思います。ピンと来た人もあるでしょうが、あの高橋信次の系統の新興宗教です。

平井和正本人は、この入信により救われたようですが、それが小説に影響を及ぼしてしまったのが致命的でした。神の愛を語るウルフガイに戸惑い、失望した愛読者は少なくなかったと思います。現在も「幻魔大戦シリーズ」など小説を発表しているし、そこそこ売れているようですが、私は食指が働かず、未だ読んでいません。

その平井和正が最も深く人間に絶望していた時に書かれたと思われるのが、本作「死霊狩り」でした。敵役である死霊たちよりも、死霊と戦う人間の方が、よっぽど恐ろしく残虐であることが印象的な小説でした。救いようのないエンディングにこそ、平井和正の苦悩が顕れている気がします。

私が残念に思うのは、作者が神に救いを求めず、人間の非道さ、残虐さを直視しつつ、その一方で相反する人間の慈悲や思いやり、友愛を信じていたのなら、もっと素晴らしい小説を書けていたのではないか。そんな疑念が浮かんでしまうのです。もちろん平井和正本人は反論するでしょうが、かつての愛読者としては忸怩たる想いを捨て切れません。
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東シナ海を巡るゴタゴタ

2006-04-21 09:34:57 | 社会・政治・一般
東シナ海の海底ガス田を巡って、またしてもきな臭いニュースが伝わってきてます。領土と資源という問題ですから、当然日本も政治的主張は必要でしょう。でも産経新聞に代表される強硬論はいかがなものか。

日本と中国ではエネルギー需要に対する逼迫度がまるで違う。今後継続して経済成長を遂げなければ、国内を維持できない中国と、人口減に伴うゆるやかな低成長が予測される日本では、おのずと資源に対する必要度も異なる。

古来、領土問題と資源問題は戦争の原因となることが極めて多い政治問題です。仮に話し合いによる解決が出来なければ、後は実力行使あるのみ。これが人類の歴史の普遍的事実。

私は非戦論者ではありませんが、今の日本に戦争に耐え得る覚悟、準備があるとは思えません。支那事変の時のように、ズルズルと戦争に引き込まれるのは望みません。そもそも戦争と言う政治的手段を合法的に実施する行政手法すら確立していないわが国が、戦争を主体的に出来るわけがない。

膨大な軍事予算を誇る自衛隊なんぞ、極東アメリカ軍支援部隊の位置づけでしかない。

ここは頭を冷やして、中国に譲ることを前提に交渉すべきでしょう。中国は面子を大事にする国ですから、面子を立てての政治交渉なら、案外応じるものです。ただ・・・日本の外務省には無理っぽいし、靖国問題等で日本国民に尻尾を振りがちな自民党政治家でも危うい。やはりアメリカを引き込み、アメリカの外交手腕に期待するしかないかも。情けない話ではありますがね。
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「奔流」 田中芳樹

2006-04-20 09:42:56 | 
中国の三国時代における最も有名な戦いの一つに、赤壁の戦いがあります。これを史実ではないと指摘したのが作家の田中芳樹でした。正史である魏誌はもちろん、呉誌にも蜀誌にも記載はなく、もっぱら「三国志演義」にのみ記載されていることが根拠だそうです。たしかに「三国志演義」は、大衆向けの娯楽ものですから、話を盛り上げるために「赤壁の戦い」が後付けされた可能性は否定できない。

私は吉川英治の「三国志」を20回以上繰り返し読んだ三国志フリークですから、これを知った時は、思わず感情的に反発したものです。しかし、よくよく冷静に考えると確かに赤壁の戦いには、おかしなところがある。大敗したはずの魏軍では、著名な軍人の誰一人死んでいないし、信賞必罰を信条とする曹操は、事後の敗戦処理を十分していない。誰一人処罰も降格もしていない。たしかに不自然というか、曹操らしくない。

私は魏誌を原文で読めるほどの語学力はないし、単なる歴史好きに過ぎませんから、事の真贋は専門家に任せますが、なかなかに興味深い指摘でした。その田中芳樹が「赤壁の戦い」のモデルになったのではないかと指摘しているのが、南北朝時代の「鐘離の戦い」です。三国時代から300年ほど後の戦いですが、これがまた凄い。敵味方100万を超える大規模な戦いであり、連環船への火攻め等、三国志を想起させるものがあり、田中芳樹の指摘もそれなりに説得力があると思わざる得ませんでした。

この「鐘離の戦い」を舞台に書かれたのが本書です。登場人物も三国志に負けず劣らず興味深く、中国史の奥の深さを思い知らされます。日本では春秋戦国時代と、三国時代に偏り勝ちの中国物が多い中、それ以外の中国史を題材にした作品を展開する田中芳樹は、今私が最も注目している作家の一人です。

もともと80年代前半に、青少年向けの「銀河英雄伝説」の大ヒットで知られる人ですが、これが災いして、なかなか正統な作家として評価されていないむきがあります。福田和也が「作家の値打ち」で高得点を付けていたように、歴史作家としての力量も相当なものがあると私は考えています。特に多彩な人物像を生き生きと描くことと、独特の歴史観はこの人ならではの魅力です。

ただいただけないのが、なかなか続編を出さないこと。「薬師寺涼子」で遊ばないで、早く「タイタニア」「アルスラーン」等の続編を書いてくれ~
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プロレスってさ スタン・ハンセン

2006-04-19 09:34:11 | スポーツ
少し誇張した言い方ですが、スタン・ハンセンは日本のプロレスを変えたと評してもいいと私は考えています。70年代までは、日本人(善玉)vs外国人(悪役)という構図がプロレス界の定番でした。なかには善玉として活躍する外国人(ファンクス兄弟やロビンソン)や、悪役(上田馬之助)の日本人もいたし、外国人同士の試合もありましたが、やはり主流は日本人対外国人。

悪役人気というものもあり、ブッチャーやタイガー・ジェット・シンがその代表ですが、あくまで憎まれ役としての人気にとどまりました。ところがハンセンは違った。もちろん、当初はハンセン自身も悪役レスラーとして振舞っていたはずなのですが、観客の反応がこれまでとは違った。

一言で言えば、ハンセンの暴れっぷりに人気が出た。ちゃちな反則もしない、凶器も使わない。その強靭な肉体だけで、ひたすらパワー&ラッシュでリング上を暴れ回る姿は爽快そのもの。当時は技の数も少なく、エルボーとニードロップ、ボディスラム、そしてウェスタン・ラリアット。一つ一つの技のパワーが桁外れで、エルボー一発で相手がふっとぶ。ひたすら動き回るその姿は、まさに「ブレーキの壊れたダンプカー」。

正直憧れましたね。男と生まれた以上は、あのくらい暴れてみたい。あんな喧嘩がしてみた。そう思うプロレス・ファンは多かったようで、いつのまにやら日本人レスラーよりも人気が出ていた。悪役とか善玉とかの枠を超えた人気であったと思います。

皮肉なことに、この頃からアメリカのプロレスはショーマンシップがこれまで以上に誇張されるようになり、本格的な技の鰍ッ合いが出来るアメリカのプロレスラーには辛い時期となった。ましてハンセンのような手加減が下手なレスラーは肩身が狭くなり、必然的に日本を主要な仕事場とするようになった。いつのまにか日本人と再婚し、家族をもうけ、引退後もしばしば日本を訪れる親日家になっていたようです。

余談ですが、ハンセンの別名「テキサスの首折男」は、ウェスタン・ラリアットではなく、ボディ・スラムの鰍ッ損ないで、相手を首から落としてしまい頚骨骨折をさせたことに由来します。ちょっと不器用なレスラーでしたね。でもそれを上回るパワーとスピードで人気を博した名プロレスラーでした。
コメント (7)
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