収益を高める手法として、新たな価値観を創造することは王道である。
分かりやすく言えば、新たなブランドの確立だ。スティーブ・ジョブズらアップル社が生み出したパーソナルコンピューターや、任天堂のファミリーコンピュータ、フォードのT型フォード車などが典型的な成功例である。
しかし、その成功例の背後には新たなブランド確立に失敗した残骸が死屍累々であることも忘れてはならない。経営的視点からすると、新しい価値観の創造は失敗の可能性が高く、むしろ既存の価値観を活用するほうが成功する確率が高い。すなわちリスクが少ないのである。
だからこそ日本テレビは、オリジナルの脚本のドラマよりも、既に知名度がある原作の実写化を収益源の柱としたのだと思う。これ自体は間違いではない。しかし、問題は彼らTV業界の傲慢さにある。彼らにとっては原作など、自分たちがいい様に加工できる材料に過ぎないと考える。
これは小説などの文章の実写化では、どうしてもドラマの製作現場での創意工夫が必要になるから、ある意味当然であり、むしろドラマ製作スタッフの技量が問われるものである。また小説の場合、ほとんどの場合、既に完結しているため、脚本でも大きく改変できない。
しかし、原作を漫画とした場合、いささか異なる事情が生じる。人気漫画は連載が長期にわたることが多く、アニメ化や実写化が原作の漫画に追い付いてしまうことが多い。そのため原作にない新たな物語がTV局側の都合優先で作成されることが頻発した。
これでは原作の漫画に悪影響が出ると危惧した出版社側及び漫画家がTV局と話し合い、TV版独自のセカンドストーリーが製作されるようになった。これは人気漫画を数多く抱える集英社が特に積極的であり、漫画家も雑誌連載時には切り捨てざるを得なかったアイディアを、アニメに活かすこともある。当然ながらアニメ化や実写化には、漫画家本人が強く関与する。
先月から炎上している「セクシー田中さん」の原作者の自殺などは、これとはまったく逆の失敗例である。その違いは原作及び原作者へのリスペクトの有無にある。原作を単なるネタとしか捉えなかった日テレは、収益至上主義の観点からオリジナルよりも原作転用を選択したに過ぎない。
だから平然と原作者の想いを押し潰す。番組プロデューサーは、広告代理店と図って人気タレントを強引に押し込み、脚本家は原作にない恋愛要素をぶち込めば、それで視聴率が取れると思いあがる。そこには原作者への敬意はまったく感じられない。むしろ原作者を邪魔に思っていたのが本音だろう。
一方、日テレとは真逆の発想で漫画のアニメ化に成功したのがTV東京だ。その一例が表題の作品だ。漫画家の久保帯人は雑誌連載のBLEACHを主人公の成長の物語と位置づけ、アニメは漫画では描き切れなかった部分を題材にしている。
連載中の漫画にアニメが追い付いた時こそ、そのチャンスであり、むしろ積極的に製作に関与することでアニメの人気を盛り上げ、連動するように漫画自体の人気も向上させた。その第一作目が原作にはない吸血鬼(バウント)と死神たちのストーリーであった。
日ごろTVを視ない私は、CS放送での再放送で視たのだが、その内容は決して原作を貶めるものではなかった。同時に原作を妨げるものでもなかった。ちなみにアニメに力を入れているテレ東での最長放送番組がBLEACHであることは、決して偶然ではないと思う。
日テレになくてテレ東京にあったのは、原作に対するリスペクトであった。だからこそ多大な時間をかけて原作者と話し合い、より面白いものを作ろうとの熱意がファンに高く評価された。また久保帯人自身も多くのアニメーターと触れ合うことで、画力を大幅に向上させ、漫画の表現の質を向上させたことは原作の漫画を読めば明白だと思う。
日テレはいい加減自らの傲慢さが一人の原作者を死に追いやった事実を直視するべきだと思いますね。
そうか、ブリーチの頃はオリジナルストーリーを作っていた時代ですね。
最近は、1クールやって間隔開けて次のクールでやってるので、原作に追い付くことを避けてますね。
オリジナルストーリーはヌマンタさんの仰る通りリスペクトが無いと無理ですよね。
そこのリスク回避としてはいい作戦ですね。