ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

山登りと遭難救助

2023-08-18 09:31:01 | 社会・政治・一般

若い頃、山登りに夢中だった私だが、実は子供の頃は登山は好きではなかった。

理由は簡単で、単に登るのが苦しいからであった。まだ両親が離婚する前だったと思うが、既に父は家に不在であった。そのせいか、母は私たち兄妹を外に積極的に連れ出すようになった。

山登りもその一環であったようで、最初は東京西部の高尾山であった。この山は標高6百メートルあまりであり、登山道も整備してあり、幼い子供でも登れる。現在は外国人に人気の観光地と化している。

問題は次の登山が、奥多摩の御岳山であったことだ。この山はハイキングの対象ではあるが、小学1年生の私にはきつかった。当然、幼い妹たちにもかなりの労苦であったと思うが、最初に根を上げたのは私だった。登山道の真ん中で座り込んでしまい、立ち上がる気持ちになれなかった。

結局、近くの広場で昼食をとって下山した。母がどう思ったか知らないが、離婚後祖父母の家に同居するようになると、私をカブスカウトに入隊させた。ちなみにカブスカウトとは、ボーイスカウトの幼年組のことだ。

私はここでアウトドアで遊ぶ楽しみを覚えた。ただ精神的に荒れた子供であり、そのせいで学校で問題を起こして転校することになり、カブスカウトを止めてしまった。転校先では思いっきり猫を被っていたので、すぐにクラスに受け入れられて、ボーイスカウトに再入隊する気持ちは失せていた。

しかし、アウトドア遊びというか虫取りだけは大好きであったので、母にも内緒で高尾山周辺の森や林に赴いて虫取りに励んでいた。山に登るためではなく、虫取りのために山に分け入る子供であったので、自然とルートファインディングや獣道の見分け方などを身に着けてしまった。

ちなみに中学生の頃には、もっぱら夜の公園とか繁華街の裏道にたむろする危ない子供と化していたため、虫取りも止めてしまった。ただ、見知らぬ都会の裏通りを歩き回るのは好きであった。私が高校生になりワンダーフォーゲル部に入部した動機は、歩き回るのが好きだったからだ。

また先頭を歩くのが好きなのは、虫探しの時の習慣からだ。私は子供の頃から視力は悪いが、気配に敏感だったので虫がたてる微かな音や、甲虫が好む樹液の匂いなどに気が付くのが早かった。おかげで山で道に迷っても、獣道と登山道の違いとか、道なき山腹の微かな踏み跡にも敏感だった。

だから山頂を極めるタイプのピークハンター的な登山には、あまり関心が持てずにいた。登ったり降りたり、沢筋を遡行したり、藪を漕いだりするバラエティーに富んだ登山を好んだ。当然に道なき道を彷徨うことも多く、遭難と紙一重の登山をやらかすことも珍しくなかった。

でも遭難したことはない。私は登山とは家を出て、山に登り無事家に帰るまでで終わると考えていた。だから事前の準備は怠らなかった。地図は一般的な山マップの他に国土地理院の二万五千図を用意するのは義務だと思っていた。主要なルートとその周辺の地形は、暗記するほど熟読した。

その意味で、私は冒険家ではないと思う。むしろ臆病な散歩好きの延長が登山であった。遭難とか事故とかは真っ平であった。

だからこそ昨今の登山での遭難事件の稚拙さを憎む。特に夏に多い無謀な富士山登山には本気で腹が立つ。山好きの方ならご存じの通り、富士山は危険な山だ。優美な姿ではあるが、巨大な独立峰であり、天候の急変の凄まじさは日本屈指である。

率直に言って富士山に素人が登れるのは7月の梅雨明けから3週間程度だと思う。一番気候が安定しており、基礎体力さえあれば誰でも山頂にたどり着けるはずだ。しかし、あくまで天気次第である。独立峰である富士山は天候の急変が凄まじい。

無風で晴天ならばTシャツ一枚でも登れる。しかし、同じ日に、風が吹き雨が降ったのならば体感温度は一気に20度以上下がる。セーターと防風用上着がなければ低体温症を起こして死亡することもある。これは風が体温を奪うことから、体内の脂肪燃焼による熱以上の体温が奪われることで発生する。低体温症は意識の混濁を伴うため、気が付いた時には手遅れとなるケースが多い。

だから夏の富士山では、低体温症による判断力低下で転倒したり、昏睡状態に陥っての事故が後を絶たない.更に付け加えるなら救助活動も難しい山である。標高が高いと、ヘリコプターも飛行時間が短くなる。おまけに強風でも吹けば、ベテランの操縦士でも恐れるほどの乱気流が発生しやすい。

アルピニストの野口健氏が、昨今流行りの無謀な富士登山に救援隊を無理に出す必要はないと発言したところ、それを批難する人が出る始末。私は二次遭難の危険性が高い危険な救援など出す必要はないとの野口氏の主張に賛成だ。

そもそも登山とは命の危険性を伴うものだ。だからこそ周到な準備が必要となる。その準備を怠る愚かな登山者のために、救援に赴く人が無理をすることは理不尽だ。ところがそんな危険な場所にこそ行くのが救援隊の責務だと、真面目な馬鹿は安全な場所から声を上げる。

私はこの手の無責任な人命救助至上主義者が大嫌い。だったら自分でやってみろと言いたくなる。まぁどうせ逃げることは分かってますけどね。

コメント (6)
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